序章 従者の目覚めと体験談 02
賊に拉致された後、天井の高い見知らぬ部屋にエシュマは連行された。
感覚としては、『侵入者二人と共に自身の身体が消えたと思った時には、既にこの部屋の中に来ていた』のだ。そして今、エシュマは奇妙な機械群の只中に在る寝台の上で、その寝台に付属した金属製の枷によって手足を拘束されている。寝台とはいえ、その実上体は半ば起こされ、椅子と寝台の中間のような造りとなっている。
室内を見渡しても、見える範囲に出入口は無く、エシュマがくくりつけられた寝台の背後には、部屋の半分ほどを占める巨大な彫像が鎮座していた。
彫像は兵士の姿だ。それは太古の神像だろうか。頭部は異形の生き物の形を成し、見る者に得体の知れない畏怖と威厳を感じさせる。
「さて、少し血を頂きますよ」
寝台の傍らに立つその人物は、エシュマにそう言った。まだ子供――それも女性のような仕草と口調でその人物は語りかけてくる。全身を包む、白の国の人間が好むような白い衣服に身を包み、傍らの装置を指先で操作する。体格などから年の頃は十三、四くらいではないかと思われるが、その顔は帽子から垂れ下がる布によって、口元以外は全て覆い隠されていた。また、帽子からは見事なまでの黒髪が背中へと流れている。髪の色と耳の形から、少女はどうやら白の国の人間である様子だ。
「私を殺すのか?」
エシュマは毅然として訊いた。答えがどうあれ、エシュマは動じない覚悟を持っている。主の身代わりとしての責務を果たす為に。
だが、謎の少女は口元に手の甲を当て、可笑しげに笑った。
「必要とあらばそうすることも躊躇いませんが、現状では意味の無い事。ご安心なさい。貴女がこの鍵の本当の持ち主かどうか、確認するだけです」
鍵、とは、今少女が手に持つエラルのペンダントを示しているようだが。
少女の言葉に、エシュマは内心で焦りを感じた。何か、持ち主を判別する手段があるというのか。それに、『鍵』とは一体どういう事なのだろうか。エラルの母の家系に伝わるというその秘宝。それが『秘宝』だという事しかエシュマは知らない。或いはまさか、このペンダントに纏わる噂が、本当だとでも言うのだろうか。
「それでは、少し痛みますが我慢して下さい」
口元に微笑を浮かべながら、少女は右手に持った針を、エシュマの右手人差し指――その指先に突き刺した。深くはない。痛みもそれほど感じない。しかし、自身が得体の知れない儀式に供された生贄のように思えて、あまり良い気分でもいられなかった。
指先に血が滲み、小さな赤い珠が出来ると、少女はそれをペンダントの黒曜石になすりつけた。
静寂が室内を満たす。
どういう素材の覆面であるのか、少女はしばし布越しに黒曜石を見つめていた。
やがて――
少女が傍ら――室内の空いている床に顔を向けると、同時にあの男、賊の首魁が出現した。
年の頃は三十ほどか。痩身で金色のウルフカット。鼻にかけた丸メガネの奥には、抜け目のなさそうな眼光を湛えている。
「お呼びかな? で、どうだ。それは目的の品だったかね?」
男の質問に、しかし少女は無言でペンダントを放り投げた。
男はそれを受け取ると、複雑な表情を見せる。
「偽物だったのか?」
「ええ、半分は」
「……半分?」
少女の返答に、男は当惑の色を深める。
「持ち主が偽者、という事です。御足労ですが、それをお預けいたしますので、本物を連れてきて下さい」
「別に手間賃を頂けるのかな?」
そんな男の質問にも、少女は口元に微笑を湛えたままだった。
「そうですね。成功したなら、追加報酬をお渡し致します。その鍵が本物だという事は確認致しましたので、正統な持ち主であるかどうかの判別は、その黒曜石に、その者の血を塗りつけてみれば判るでしょう。数分して何か変化があれば、その者が本物という事になります」
「なるほどね……よぉ、あんた残念だったな? 命がけの芝居も無駄になるぜ」
不意にかけられたそんな言葉に、エシュマは悔しさで涙を滲ませた。
「そう簡単にゆくものか! 私が消えたのだ、我が主とて警戒していらっしゃるぞ! 精々のこのこと出向いて、捕らえられてしまうがいい!」
悔し紛れの叫びが室内に響く。が、男は嘲るような苦笑を浮かべると、エシュマを指さして少女に訊ねた。
「うちも男所帯でね、仕事が明けたら手下共に女を抱かせてやろうかと思ってる。どうだい? 処分するあんたの手間も省けるかと思うがね」
「ふっ……ふざけるな! 誰がお前たちになど! ちょっとでも触れてみろ! その時は――」
「黙れ」
激昂したエシュマの声を、ただ物静かな少女の一言が黙らせた。
(なんて、重圧、なの……? この子は、いったい……?)
殺気にも似た、少女から発散される重圧。エシュマは圧倒的な恐怖の前に、それ以上言葉を紡ぐ事が出来なくなっていた。
だが、一方で男を見れば、彼もまた同様に少女を見詰めている。平静を装ってはいるものの、微かに引きつった口元がそれを示していた。
「追加報酬は差し上げます。が、貴方がたが手に入れてくるものに関しては、口出しは一切許しません。さもなければ……」
こつ、と靴音を立てて、少女は男に背を向けた。
刹那、エシュマが瞬きをしたほんの微かな時間に、男の周囲は屈強な兵士たちに囲まれていた。
「……その口、二度と開かぬ事となりますよ?」
「……ああ……心得ておこう」
少女の背後で、男の頬から汗が一筋流れ落ちた。
「ご安心なさい。貴女は私の客人です。……まだ、今のところは、ですが」
言って、少女はエシュマの頬を撫でる。その手は柔らかく、動きはあくまで優しい。が、それでも得体の知れないその少女が、エシュマは恐ろしいと思った。
少女はエシュマの頬に手を添えながら、再び男に顔を向ける。
「さて、それでは早速送って差し上げます。ただ、国共大の大学長が転移秘法に気付いたようです。ですので、少なくともこちらに戻る際の転移秘法の使用は、三十時間ほど様子を見ようかと思います。まだこの場所を知られたくはありませんのでね」
「つまり、明後日の早朝までは、転移秘法は使えない、と?」
「自信が無いのですか?」
特に感情を乗せず、呟くように訊ねる少女。だがその態度は、男にとって見過ごせるものではなかった様子だ。男は不敵に微笑うと口を開いた。
「自信がない、とは言えんだろう。こっちだって生活がかかってるんでね」
「それをお聞かせいただいて、安心致しました。それでは、貴方と側近の方は、首都ダイン城外に転送致します。明日の朝に、徒歩で城内に戻って下さい。御武運を」
少女がそう言うかどうかのうちに、男の姿はかき消えていった。
「……一体、何が目的なの……?」
エシュマは、少女に問うた。身代わりだと分かっても、少女はエシュマを客だと言った。なら、エラルに危害を加える可能性は薄い。もっとも、先程の言葉を考えれば、今後エシュマを、そしてエラルをどうするかは、彼女の胸三寸なのだろうが。
少女はエシュマの寝台の脇に腰掛け、左手を挙げた。刹那、先程まで男に睨みをきかせていた兵士たちの姿が掻き消えていく。そうして、少女はエシュマの上体にもたれかかった。
「……色々、ですね。一つは興味。一つは責任。それから……宿命……でしょうか」
「はぐらかすのが上手なのね……」
まともな答えなど、エシュマとて最初から期待してはいない。しかしそれでも、少しでも情報が得られる事を望んでいる。
そんなエシュマの胸中を見透かしたかのように、少女は口元に笑みを浮かべた。
「では、誰もが納得する答えを差し上げます。……世界征服、などは……目的としていかがですか?」
「ふざけないで! そんな荒唐無稽な事を!」
小馬鹿にしたような少女の口調に、エシュマは思わず声を高くした。
エシュマの語気に、少女はちろりと舌を出してみせる。そして――
「お気に召しませんか? それでは……こういうのは? この世界から……人々を消し去る……というのは」
少女の言葉尻で、エシュマの背を、冷たいものが駆け下りていった。
「何を……する気なの?」
『世界征服』が冗談じみて聞こえた後で、それよりも荒唐無稽な言葉が、エシュマの耳にはどこか現実味を帯びて聞こえたのだ。
少女は答えずに寝台から降りると、装置を操作してエシュマの縛めを解いた。
(なぜ?)
自由を与えられ、むしろエシュマは困惑した。そんなエシュマに、少女は向き直る。
「あるべきものを、あるべき場所に帰すだけ。私も……そして、貴女達も。その為に必要な存在は、もう既にどこかに来ています。彼も、探さなくてはね」
疑問を解く為に告げられる答えが、より難解な疑問をエシュマに生じさせる。
「私たちは……滅ぶの?」
――この世界から……人々を消し去る――
少女の言った言葉を思い返し、エシュマが問うと、
「さて、その先は……私にも答えられないのです。答えない、のではなくて……ね」
機械にもたれかかるようにして、少女は天井を仰いだ。唯一見える口元。そこだけから彼女の考えを読むことなど、到底出来そうにない。だが、エシュマにも解る確かな事が一つだけある。
それは、縛めを解かれたエシュマが、例え手元に武器があったとしても、この少女には敵わないだろうということ。
(お母上様……私は……どうすれば良いのですか)
予期せず大きな渦の中に巻き込まれてしまった事を、エシュマは感じていた。
次回は23:00くらいにでも