第八話 〈それぞれの出逢い〉 前
「お~い! 畑山~! ここにいたのか!」
今までとはまるで別人のような神威の様子に、しばし呆然としていた畑山を頭上より呼ぶ声。それは三十名近くの編隊の先頭を飛ぶ十平の声だった。
「隊長! 皆さんも……出動するんですね!」
「ああ! やっとこな。本当は何を措いても現場へ行きたかったんだが、然るべき人数の隊を編成せよとのお達しがあったからな。歯がゆいったらねえぜ。
所で、お前はここで何してる! 千沙と兄ちゃんは見つかったのか?」
「はい、いえ……」
煮え切らない畑山の様子を見て、十平の心に一抹の不安が過った。
「どっちなんだ」
「……残念ですが、やはりあれは月白さんだったようです」
――やはり……
十平はそう思った。
しかし、ここで動揺する事は立場上出来る訳も無い。
「そうか……で、兄ちゃんは?」
「それが、たった今、状況を説明するや否やレストへ向かってしまわれて」
「レストって、奴は飛べるようになったのか?」
「飛べるどころか光の様な速さでした! しかも!」
「なんだ?」
「魔法陣なしに飛んだんです! いきなり黄緑色の魔力光に包まれてフワッと浮き上がって! 魔法陣も呪文も何もなしに! あの人は本当に救世主なんじゃあ……」
「つまんねー事言ってんじゃあねぇ! とりあえず後を追うぞ! 千沙がどうなったのか、まずはそれからだ! お前も俺達と一緒に来い!」
「はっ、ハイ!」
十平は自身の率いる隊に向き返り声をかけた。
「通信師! 居るか!」
「はい!」
「捜索隊に連絡! 『捜索は打ち切り、本部にて待機せよ』」
「了解!」
「急ぐぞ! 兄ちゃんに何かあったら、副部隊長殿に大目玉くらっちまう!」
敢えて、おどけてそう言った十平だったが言い知れぬ胸騒ぎを拭う事は出来なかった。
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ここまでどうやって来たのか。いや、飛んでいた事は憶えている。でも魔法陣を出せた記憶はない。それどころか俺は飛行魔法の呪文を知らない。
解っている事は、気が付くと俺はここにいて、そこが間違いなく少し前まで戦場だったという事だ。
おびただしい数の遺体。焼け焦げた臭い。ただ、不思議な事に敵兵の手には銃の類がない。あるのは殺傷能力の低い武器ばかりだ。攻撃ではない別の目的があったのか? 何のために? 何が目的なのかは解らない、しかし千沙は捕らえられたと言っていた。殺すつもりは無い?
少し冷静さを取り戻し辺りを見まわすと重なり合う焼けただれた屍の狭間で何かが夕日を受けて光っていた。それは金属製で円形……アクセサリーか? いや、お守り?
「熱っ!」
うっかり触れそうになると燃えるような熱が伝わって来た。それは、この辺り一帯が一時焔に包まれていた事の現れなのだろう。
千沙の放った焔はまだこんなに熱いのに千沙の手掛かりはまるで無かった。
と、その時。
「それに触れるな!」
「えっ?」
振り向くと声の主は距離わずか五メートル程の所に浮いていた。
黒い頑丈な甲冑の様な出で立ち、背には金属の羽。しかしその声は少女? 敵の兵器なのか? どうやって浮いている? こんなに近づかれるまで何故気づかなかったんだ!
様々な考えが浮かんでは消える、その間つかず離れずにらみ合いは続いた。が、攻撃してくる気配はない。
無論、俺は攻撃されれば成す術はない。かと言って逃げる手段も無い。しかし、相手は? どうして攻撃して来ない?
『少尉! 神崎少尉! 応答してください! 少尉……ブチッ』
ピンと張り詰めた静寂を破ったのは黒甲冑への通信らしき声だった。だが、その通信を断ったのもまた黒甲冑だった。そして頭部を覆っていた防具を外すと現れたのは栗色の髪をポニーテールに結った少女、十四、五歳くらいにしか見えない。
少女はジッと俺を見ていた。その表情から見て取れるのは驚愕と不審。
そして懐かしさ……
「……兄さん、なの?」
「えっ?」
いったい何を言っているんだ?
「あたしの事、解らないの?」
これは一体何なんだ? こいつは何を言ってるんだ? 罠なのか? いや、俺を騙した所で何の得も無い。兄さんってどういう事なんだ?
少女の黒い瞳は真剣であるという事を感じさせる強い眼差しだ。でもだからと言って彼女が妹であるという記憶も根拠も何一つ無い。そもそも魔法使いに黒い瞳は存在するのか? 俺が魔法使いで妹はそうじゃない、なんて事があるのか? 敵か味方かさえも解らない? いや、念話じゃない通信を使っていた。こんな装甲の防具も金属の羽も、魔法使いには重石でしかない。ならば、やはり敵。何の目的でこんな茶番を演じているんだ?
そして答えの出ない思考のループを断ち切ったのもまた、彼女だった。
「どうやら長居は出来ないみたいね」
少女は何かを感じ取ったのか北の空をじっと見てそう言うと、夕日を浴びて光っていた物を拾い上げつぶやいた。
「まだこんなに熱い。素手では触れそうにないわね。あの人はいったい何者?」
「えっ?」
独り言のようにつぶやいた彼女は次の瞬間、俺を見据えて言った。
「もう時間が無い! さあ! 早く! 行こう、お兄ちゃん!」
「君は誰なんだ? お兄ちゃんって、俺の事なのか?」
「ホントに分からないの? 茜だよ? 父さんと母さんが死んだ時、兄さんも行方が分からないって聞いてたけど、あたしは絶対に生きてるって信じてた! 『信じる事をやめたら信じていたものもなくなる』ってよく母さんが言ってたから!
兄さんは必ず生きてる、絶対また会えるって。
私のこの髪を見ても思い出せないの? 兄さんにいつもからかわれてたこの髪が、きっと目印になるって信じてたのに!」
からかった? 俺が? 栗色の髪を? ポニーテールを? まるで解らない。何を言っているんだ?
けれどその瞳は嘘を言っている様には見えない。
「証拠は? 君が俺の妹だって証明できる物があるのか?」
茜と名乗った少女は、右手に持った金属の塊をジッと見つめると、その蓋を左手でこじ開けた。中には何かの燃えカスが入っていたが折からの風にさらわれ灰となって消えた。
「証拠、燃えちゃったみたいね。でも、証拠が必要なんて悲しいよね」
「えっ?」
「残念だけどもう限界、行かなきゃ。
今は一緒に来てくれそうにないわね。でも必ず助けに来るから! それまでにはあたしの事、思い出しておいてよね。あたしは茜……忘れないで」
彼女はそう言うと脱いだ頭部の装備を整え南の空へ飛び去った。一度だけこちらを振り返ったが俺には彼女が誰なのかまるで解らなかった。
それから程なくして前線本部の偵察隊がやって来た。あの少女はこの事を察知していたのだ。
総勢三十人程の多くは散開し辺りを調査し始め、隊長である十平氏は真っ直ぐ俺を目指して降り立った。
「良かった! お前さん、無事なんだな!」
「十平さん。すみません……俺……」
俺の言葉を遮るように、十平氏は笑顔で言った。
「やっぱりそうだっか……でもこれはお前さんのせいじゃない!
大丈夫だ! 千沙は生きてる、俺には解る!」
「俺だって、そう信じたいです。でも……」
「願望じゃあねえよ、確信だ。
どうやら俺たちが死んだらどうなるかまでは聞いてねえみてえだな」
――死んだら?
「ここいらの人間の屍は朽ちて大地に還るが、俺たちはこれでも天使の末裔だからな。亡骸は朽ちない、だが二十時間前後で消滅する。大気に還るんだ。だからその代わりって訳じゃあないが、どんなに遠く離れていても命が尽きた時、親しかった者には『伝わる』んだ。そいつにはもう会えねえって。
だから解るんだ、千沙は生きてる! きっとまた会えるぜ! 神威!」
十平さんに『神威』と呼ばれたのはこれが初めてだった。
「実を言うと神威ってのは千沙がまだチビの頃可愛がってくれた近所の兄ちゃんで、あいつは良くなついてたよ。もしかしたら千沙にとっては初恋の相手なのかもしれねぇ。と言っても千沙より十も年上で神威の方は全くそんな気は無かったろうがな。
前にも言ったが、そいつもこの戦争で死んじまった。まだ新婚だったのによぉ。
千沙がどうしてお前さんにその名を付けたのかハッキリ聞いた訳じゃねえ。だけど大事な名前だって事は確かだ。どうでもいい奴には付けねえよ。
別に神威の代わりになれって言ってんじゃねえ、千沙だってそんな気じゃあねえと思う。ただ、お前に神威って名を付けてもいいって思った。つまり、千沙はお前を信頼したんだ。俺らも同じだよ。お前は仲間だ、何でも一人で背負い込むんじゃあねえぞ!」
「仲間……」
「とりあえず戻ろう。現状の報告と千沙を取り戻す算段が必要だからな」
十平さんの言葉が終わるや否や、不意に聞き慣れない声が飛び込んできた。
「あのぉ盛り上がってるところ、ごめんなさ~い」
今まで気付かなかったが、偵察隊に七人程の知らない顔が混じっていた。制服のデザインも少し違う。
いきなり声をかけてきたのはその中の一人、赤い髪を頭のだいぶ高い位置で二つに結った、かなり若そうな女の子だった。
「十平さん、この方たちは?」
「神威の客だよ」
「俺の?」
「失礼しました。お初にお目にかかります、僕はこの度、警備監察機関警備部特別機動隊特命六課隊長補佐を拝命致しました沢渡銀河です。突然の事で驚かれたとは思いますが、隊長をお迎えに上がりました」
見るからに紳士的な、すらっとした美形の青年はにこやかにそう言った。
「隊長? まさか俺の事じゃあないでしょう?」
警察への入隊は覚悟していたが、隊長だなんて馬鹿な話は無い。
魔法も使えない俺の部下になるなんて納得しているのか?
「勿論、神威隊長の事です」
「銀河ぁ、この人ホントに大丈夫? 記憶がないってのもホントみたいだし、頼りなさすぎじゃない? 服も変だし」
最初に声をかけてきた少女はあからさまな態度で俺を凝視する。
「玲奈さん。今はお召し物の事は関係ありませんわ。確かに、かなりご年配が好まれるデザインではございますが、とてもしっくりと着こなしていらっしゃいますし、好みと言うものはそれぞれですもの」
訳知り顔でそう言ったのは、玲奈と呼ばれた少女よりも少し年長の、気品を感じさせる少女だ。
「そのしっくりが余計に変さを際立たせてると思うよぉ」
「初対面の方に失礼ですわよ。それを仰るなら玲奈さんのその頭の……」
「はい! そこまでです! あなた達は今がどういう時か解っているんですか? 私達にはもう一つ重大な任務があるでしょう!」
青年の声に、彼女たちは一瞬身を縮めた。
「は~い! ごめんなさ~い」
「申し訳ありません。もう! 玲奈さんのおかげで怒られてしまいましたわ!」
「なんでれーなのせいなのさぁ!」
「玲奈! ミーシャ!」
「……」
この場にそぐわぬ緊張感の無いやり取り、他の四人は呆れたように眺めている。
「すみません隊長、この方たちの事は気にしないで下さい。それより場所を変えてお話を。ここは長居するにはいささか雰囲気が良くありませんし、きちんとお聞きしたい事もありますので」
いつの間にか一通りの任務を終えた十平さんが声をかけてきた。
「だったら、ひとまず本部に戻った方がいいんじゃねえか? もうじき日が暮れる。こんな国境地帯で夜間飛行はまずいぜ」
「そうですね、今野前線本部長。今夜はお世話になります」
そう言うと銀河と名乗った青年は何やら仲間に指示を出した。
前線本部への帰路はとても重苦しい空気に包まれていた。
あれ以来、かなり不安定ながらひとまずは飛べるようになったものの、一番喜んでくれるはずの人はいなかった。
今は十平さんの言葉を信じるしかない。そう思う反面、命があると言ってもどんな状態か、果たして無傷なのか瀕死なのか。
考えてもどうにもならない事ばかりが心を支配する。
「神威。六課の皆さんが会議室で待ってるぞ。大事な話があるってよ」
「分かりました。今行きます」
このタイミングで現れた『六課』を名乗る七人。
本気で俺を隊長として迎えに来たと言うのか?