第六話 〈魔法の方程式〉 中
訓練一日目なのだから致し方無いと千沙は言った。
確かにそうなのだ。記憶の無い俺にとって魔法を使う事など途方も無い事だ。
だが一方で、敵軍を一撃で消した救世主としての期待が無いと言ったら嘘なのだろう。女王の命であるという事もある。
言葉とは裏腹に千沙自身の気負いが感じられる。
俺はもう、戦う覚悟の有無などを問われる立場では無く、確実に象徴的存在となっていた。
千沙にとっても俺を一人前の戦闘系魔法使いにする事は避けて通る事の出来ない道。それでもなお一向に魔方陣の気配すらない自分自身に、ただ焦りだけが募っていた。
だからこそ「焦るな」と、千沙は言いたかったのだろう。
「一言で戦闘系と言ってもタイプがあるのよ。あの攻撃を見る限り、多分あんたは遠距離型だと思うけど、近距離型と協力型っていうタイプもあるわ。フィールは個々の力が弱くても互いに同調し共鳴する事で大きな力を生み出すの。……でも、そもそもフィールで赤い目は無いわね。
攻撃系はどのタイプも火、水、雷、光、闇の五つの属性があって、それぞれ魔力光の色が違うんだけど、あんたの『黄緑』はそのどれにも属さない……。と言うか、火、水、雷の三種類以外はかなりレアケースだから私が知らないだけかもしれないけど、特殊な物なのは間違いないと思うわ。
戦前は武器以外の物も具現化できる近距離型の方が絶対的に必要だったの。そして、それが自然の摂理なのか遠距離型の比率は戦闘系の二割しかいないのよ。だから、あんたの攻撃力に期待が寄せられてしまうのも致し方無いんだと思う。みんなの気持ち、わかってあげて……」
そんなしおらしい事を言われると調子が狂う。
「……大丈夫、まだ一日目だ。焦らず全力を尽くすよ」
「じゃあ、試しに具現魔法にチャレンジしてみようか。最初から遠距離型って決めつけているから悪いのかもしれないし、そうだ! この前シールドしたんだから楯とか出せるかも! 利き腕は右だから左手に楯をイメージした魔力を集中して……」
「魔法陣の基礎を出すんだろ。……でもあの時は突然激しい閃光が広がって、魔方陣もシールドも一切の記憶が無いんだ」
嘘だ……一つだけ覚えている事がある。
『愚かな……』と、誰かが言った。
あれは誰だ? あの何かが俺を守ったのか? 何故? 何の為に?
「どうしたの?」
「いや、何でもない。けど遠距離型っていうのはどうやってシールドするんだ? 魔法で楯出したりしないんだろ?」
「全力で逃げる」
「……真面目に聞いてるんだけど」
「ごめんごめん。でも、けっこう本気かも。魔力で武器や防具を具現化する近距離型と違って遠距離型のそれは正確には防御ではなく攻撃ね。自分に危害を加えようとするエネルギーに対して相殺するエネルギーをぶつける。迎撃よ」
「って事は、対象物が近くでも破壊攻撃はできる」
「そう言う事。遠距離型って言っても遠くへ攻撃が出来るってだけで近い物に攻撃出来ないって訳じゃないのよ。ただ攻撃方法が属性によって違うとはいえ、結局は魔力弾だから、距離によっては自分も仲間も危険にさらされる事になる。過剰な防衛はむしろ命取りだから遠距離型の防御はとっさの正確な判断を必要とする高等技術なのよ」
聞けば聞くほど気が遠くなってくる。ハードルはかなり高そうなのに俺はその入口にも立っていない。今日一日中やってみても何の変化も感じないのだ。
「まだ始まったばかりじゃない。何か一つきっかけがあれば大丈夫よ。焦らないで。
そろそろ日も暮れるわ、歩いて戻りたくないからそろそろ引き上げましょう」
俺の表情は余程わかりやすいのか、慰められるとむしろ焦る。
「もう終わりでいいのか? 時間ないんだろ?」
「今日はもう本部へ戻ってお勉強しましょう。あなた意外と理屈っぽいっていうか、理解から入るタイプみたいだから」
「闇雲にやっても無駄だと?」
「ハハハ……そうね」
返す言葉が見つからない程、今日の収穫はゼロだった。時間が経つにつれ千沙の態度が優しくなるのも情けない気分にさせる。
* * *
前線本部では、それぞれの持ち場を交代して戻った警察隊員達が順番に食事や休息をとっていた。
この戦争が始まってもう四年の月日が流れたのだと言うから、ここにいる隊員達にはこれが日常生活なのだろう。戦闘態勢にない時は巡回や訓練などが主な業務となり、死を感じさせる緊迫感は無い。いや、常に緊張感が漂っていたらきっと続かない。この緩急こそが長い戦いを支える上で大切な事なのだ。
「救世主神威さん! お帰りなさい! お疲れさまです!」
俺の服を直してくれた隊員が声を掛けて来た。それにしても”救世主神威さん”って何だろう。馬鹿にされているようにしか感じられない。
「お疲れ様です!」
「お帰りなさい!」
「演習はいかがでしたか!」
他の隊員達も次々と声をかけてきた。
期待の程を感じるにつけ、肩身の狭い気分になる。演習になんてなってもいないのだ。
「救世主は勘弁してください。神威でいいです、いや、もうぜひ神威でお願いします」
「なぁあに懇願してんのよ。そんなにその名前気に入った? そりゃあ私がつけた名前だものね」
「何とでも言え。飯食ったら続き、教えてくれ」
「了解。いい心掛けだわ」
夕食後、人けもまばらになった食堂の片隅で基本的知識の勉強は再開した。
「ふ~ん。あんたって、記憶力いいのね」
「あんたって言うなよ」
「記憶喪失なのに記憶力がいいって皮肉ねえ。一回言った事、ほとんど頭に入っているんだもん。おかしな事言えないわね」
「おかしな事は忘れた」
「忘れてって言った事も憶えておいてくれて有難い事だわ」
「君は皮肉屋だね」
「あら、本心よ。神威こそ、こういう腹の探り合いみたいなの止めましょう。記憶がないんだから心底信用出来ないのかもしれないけど、私はあなたを信用してる。それは信じて」
「違うんだ。俺は君も、十平さんも、ここの皆も信用してるよ。信じられないとしたら自分自身だ。もし俺の言動が懐疑的に聞こえるのだとしたら、それは君達のせいじゃない。俺自身に何か問題があるんだと思う」
「ごめん。私の言い方も皮肉っぽいのかもしれないわ。ホントに記憶力いいって思ってるし…………あぁぁぁぁ! 止めましょう! こういうの苦手なのよ! だから、あなたみたいなタイプ慣れてないって言ったでしょう! 頭でっかちっていうか、堅苦しいっていうか、面倒っていうか」
「よおっ! まぁたやってるな! 痴話げんか!」
十平はこの前線本部の本部長だというのに、やたらとちょっかいを出してくる。
「ちっ、痴話げんかって! 私達は別に……」
「おっ? わたしたちぃ?」
「からかわないで下さいよ十平さん。いつも絶妙なタイミングですね。聞いてたんですか?」
「俺だってそんな暇じゃねえよ。ただ、『あぁぁぁぁ!』なぁんてでっけえ声出されたら、こんな〝貧相な〟建物じゃあ、聞こえちまうんでね」
「十平さんも意外と皮肉屋なのね」
「千沙程じゃあねえよ」
「やっぱり聞いてたんでしょう!」
「聞いてねえ聞いてねえ。そんな事よりも兄ちゃんの記憶力って、そんなにいいのか?」
「ほらぁ! やっぱり聞いてたんじゃない!」
十平の登場はいつも絶妙だ。千沙を父の様に見守っている。いや、俺さえも彼に見守られているのかもしれない。父親ってこういう物なのだろうか。残念ながらそれも俺には記憶がない。
「それで、どのくらいお勉強は進んだんだい? なんか俺も手伝える事があったら言えよ」
「じゃあ遠距離型としてのアドバイスとかしてよ。私は近距離型だから、いまいちポイントがずれているのかもしれないし、子供がいる訳じゃあないから初めての魔法を意識した事も無いし」
「まあ、俺はフェルエだからな。兄ちゃんも恐らくおんなじだろうし、かと言ってなぁ。魔法を発動する動機付けは遠距離型も近距離型も協力型も変わんねえんじゃねえか? 兄ちゃんはまずそこだろ?
子供が初めて魔法を使う時って這ってる赤ん坊が歩きてえって思うのとおんなじなんじゃねえかと思うんだ。自然の欲求ってやつだな。理由は『魔法使いだから』俺はそう思うね」
「参ったわね。十平さんからそんなまともな話が出てくるなんて思わなかったわ」
「他人に話ふっといて何だよそりゃあ」
「でも、何の参考にもならないけど」
「あの。自然の欲求って具体的にどういう事ですか?」
「う~ん、頭で考えないって事かな」
「それは無理かも。この人は『理論派』だから」
「皮肉か?」
「違うわよぉ、面倒な男ねえ!」
身体よりも先に、頭で考える行動パターン。
確かに自分でも実戦向きとは思えない。記憶を失う前、俺は本当に戦っていたのか?
そして訓練は二日目を迎えた。
「頭で考えないって、どうするんだ?」
「いいわよ、好きなだけ頭で考えれば。『考え尽くしてやがて考える事が尽きた時、無意識の意識が見える』って聞いた事がある。あなたにはきっとそう言う瞬間があるんじゃ無いかと思うから」
「無意識の意識?」
「昔の知り合いがね、そう言ってた。私にはよく解らないけどあなたなら、神威なら、解るんじゃないかな」
「無意識の意識……か」
そんなものがあるとすれば……あの時の、あの声?
あの声は、いったい何なんだ?
会話の内容は思い出せないが複数の男が何か俺に話し掛けて来た気がする。
そして、ただ一人だけ別次元の老人の声。
『愚かな……』
その言葉だけが今も耳に残っていた。