第二話 〈赤い瞳〉 後
……身体のあちこちが痛む。
診察台にも似た簡易ベッドの上で、俺は薄汚れた天井を見ていた。また気を失っていたのか?
記憶を無くしてはいないらしいが、一体俺の身に何が起きているんだ? 心と身体が上手く噛み合わない様な気だるい疲労感が身体を支配していた。
隣の部屋からガヤガヤと話し声が聞こえて来る、かなりの人数だ。やっとの思いでベッドから起き上がり恐る恐る声の聞こえる部屋へと入ると、そこでは紺色の制服を身に着けた赤や橙色の目の者達が、簡単な食事をとっていた。
「お、坊主、起きたか! お~い。副部隊長殿! 救世主くん起きたぞ!」
俺を坊主と呼んだ年配の男が声をかけると、奥の部屋の扉が開いた。
「良かったわ、無事で。あそこに置いてきた手前、何かあったら寝覚めが悪いもんね」
「千沙……!」
そう言いながら入って来たのは千沙だった。
「あら、一晩で随分態度が大きくなったわね。”きみ”なぁんて気取った呼び方しか出来ないのかと思ったわ」
手紙の文面から”落ち着いて優しく繊細で思慮深い”なんて印象を持ったのはどうやら間違いだったようだ。
千沙は相変わらず掴み所のない態度で俺をからかっているようにしか見えない。
「紹介するわ。この人は現地警備部隊長で前線本部長の今野十平さん。私と同じレスト村の出身よ」
今野十平はにやりと笑い「よろしくな」と親指を立てた。
がっしりとして日焼けした腕は、まくり上げたシャツの袖から体毛を覗かせている。
「ここは?」
「ここはレストの北に位置するフォールにある前線本部よ。と言っても、元々警察の駐屯基地だから前線本部って言うにはちょっと貧相だけど」
「貧相はひでーなあ、副部隊長殿」
「十平さん、その副部隊長殿って言うのやめてくださいって」
同じ村の出だからか、二人はとても親し気に見える。
ここが基地と言うには貧相なのかどうかそれさえわかりはしないのだが、木造であることは内壁を見れば瞭然なむき出しの丸太組。ただ、ざっと見てもこの食堂だけで百人以上が食事している所を見ると、そう貧相とも言えないだろう。
「この空間に一本の柱もないなんて、凄いな」
「あんた、建築師なの? 詳しいのね」
そうだ、俺は何故そんな事を……。
「そうだ! あの子供は無事だったのか!?」
「あんたのお陰ね。ありがとう」
「俺の?」
「照れてるの?」
千沙が何を言っているのか、俺には全くわからなかった。
わかっていることは、また何も思い出せないという事だけだ。
「なんだ。記憶が戻ったってわけじゃないのね。と言うか、また覚えてないんだ」
「……何があったんだ? 俺は何かしたのか?」
千沙は真剣な顔になり「場所を移しましょう」と、使われていない会議室に俺を引っ張って行くと話しを始めた。
「今日攻めて来るはずだった科学軍は――ああ、科学軍ってのはあっち側の攻撃部隊の事ね。その予言が外れて昨日攻めて来たのよ。こんな事今までなかった事だわ。それで、すぐ対応できなかった私たちは、避難を促す念話を村の内部に発信し出動を急いだの」
そこまでは記憶がある。確かそれで俺は家を飛び出したんだ。
「村に向かっている途中でシールドの一部が破壊される様子が見えたわ。
全てのシールドが破壊されれば村はおしまい、私たちは焦った。『敵の進軍をこれ以上許す訳には行かない、命に代えても村を守らなければならない』って誓い合って出撃したんだから。
でも、次の瞬間村から強い光が放たれたの。その直後西の地で強い魔力光が炸裂し、止めどなく響いていた砲撃の轟音が一瞬にして止んだ。
私たちが着いた時には全てが終わっていたわ。そして、その光の放たれた辺りで倒れているあんたを見つけた。私にとっては二度目の事だけど服を着ていた事は救いだったわね」
かなり真面目に話しているように思える内容に、どうしてそんな事を挟んでくるのかも掴めない。ひょっとして俺を和ませようとしているのだろうか、だとしたら逆効果だ。気が散って仕方ない。
「あんたの傍にはあの女の子がいたんだけど『お兄ちゃんがやっつけてくれた』って言った途端泣き出しちゃったもんだから……後の事情は分からずじまいよ。
そして、村から西に二キロ程離れた所に半径約五百メートルのクレーターが出来ていた。
情報によると、この一連の魔法による攻撃は全てあんたの手によるモノだという事らしいんだけど。覚えてないの?」
「記憶なんて無い。と言うよりも、何か別の次元の話みたいだ。
それって本当に俺がやったのか? 一体誰がそう言ってるんだ。あの子供か?」
「あんたほんとに何も憶えていないみたいね。でも監察部隊からの情報に間違いはないと思うわ。」
「監察部隊?」
「そう。監察部隊っていうのは警備監察機関、通称『警察』の一部なの。彼らは機密情報を扱う専門部署で、普通簡単に情報を漏らす事はないわ。それが、今回は通常考えられない程スムーズに情報が伝達されたのよ。それによると――『レスト村への攻撃が始まって間もなく村を守っていたシールドの一部が破壊され、そこへ二十歳前後と見られる男性が民家から出てきた。砲弾は貫通、彼の頭上に落下した。でも、対魔法用強化型砲弾は彼の迎撃によって容易く止められ消滅した。そしてその残りのエネルギーは砲弾の軌跡を追うように反転し二キロメートルほど先に着弾。黄緑色の魔力光を放って、そこにいた敵軍を全て消し飛場した。爆煙が治まった後確認された男性は無傷。しかし、程なくその場に崩れるように倒れ込んだ』って言うのが今入ってる情報の全てよ」
「その男性ってのが俺なのか?」
「そう考えるのが妥当ね。情報通りの場所に情報通りの男が倒れてた。他には女の子が一人だけ。あんたに記憶がないって事を除けば疑う理由が見つからない」
にわかには信じ難い話しを、果たして鵜呑みにしていいのだろうか。
ただ、黄緑色の光というのは覚えがある。
夢だとばかり思っていた闇の中で聞いた声、その後、俺の前にゆっくりと広がった光。それは確かに黄緑色だった。
だとすれば、あれは夢ではない? では一体なんだと言うんだ?
「ちょっと! 大丈夫? 目空いてるんだから気は失ってないわよね。
記憶喪失ってのは随分頻繁に気が遠くなる物なのね」
「その中の一度は誰かから魔法攻撃を受けたらしい」
「……そうなの。それは災難だったわね。」
「そうだな」
千沙はまるで意に介さずといった風に続けた。
「あの砲弾は魔力を相殺するエネルギーを持ってるわ。これの直撃をシールドできるのはかなりの上位魔法使いだけよ。殆どの場合は砲弾が当たった時点でシールドは消滅して、その後は運が良ければ逃げるだけ」
「でも村に張ってあったシールドは一撃では破られていなかっただろう?」
「あれは広範囲防御型の結界。レスト村に張ってあった結界は親衛隊と警備部隊の二百人がかりで展開させたものなのよ」
「二百人⁉ それが、あんなにあっけなく壊れてしまうほどの攻撃だったのか?」
「そうよ。あの防御結界は、少なくとも私の基本シールド防御力の五倍以上の力はあったはず。にも関わらず五、六発程度で破壊されてしまったと推測される。あ、因みに私、自分で言うのもなんだけどかなり上位ランクだから。それでも、私があの砲撃を防ごうと思ったら全魔力の七、八割程度は使わなければならないと思う。それが、あんたは軽々とあの砲撃を防いだ上に魔力消費量の想像も付かない様な広範囲攻撃魔法を放ったのよ! 信じらんないわ!」
一番信じられないのは俺だ。なにしろ何も覚えてさえいないのだ。
「悪いけど、頭が追いつかない。自分自身の話とも思えないし実感がわかない」
「そうよね、またもや記憶無いんだもんね。ちょっと休憩しましょう。幸い救世主の登場で私たちにも少しながら時間が出来たから」
「嫌みか?」
「事実よ。お礼を言うべき状況ね、嫌みを言う理由なんてないわよ救世主様」
千沙はそう言うと、思いきりわざとらしく笑った。
前線基地の食堂は代わる代わる食事をとる警備部隊員で相変わらずごった返している。千沙もまだ朝食を済ませていないらしく、強引に俺を引っ張り、並んで配膳を受けた。
空いている席を探してきょろきょろと視線を巡らす。と、視線の先に気持ちが集中している俺に、いきなり後ろから十平が声を掛けて来た。
「救世主くん。それにしてもだ、その服はねえよなあ」
彼の声は中でも一際大きく、今受け取ったばかりの朝食を危うくフイにする所だったが、いきなりがっちりと組まれた肩が俺を硬直させ、間一髪で事なきを得た。
「千沙、こりゃ親父さんのだろ。ぶかぶかじゃねえか」
「しょうがないでしょ。私、生粋の戦闘系だもの」
空席を探してうろつく俺達の後を追うようについてくる理由は、暇だから。ではないだろう。多分千沙を娘のように気にかけているのだ。
「そりゃあ、嫁の貰い手がありそうにないなあ」
そんな台詞を口にする顔が緩んでいる。
「差別的ね。これだから、オヤジは! だったら、何とかしてあげてよ」
「いいのか? それは親父さんの……」
「この人は村を助けてくれた救世主でしょ。おかげで父さんの服なんてまだまだ残ってるわよ」
「それもそうか」
十平は、やっと今腰掛けたばかりの椅子からおもむろに立ち上がると食事中の隊員達に声をかけた。
「おーい。誰か裁縫師のスキルあるやついないか?」
直前までざわついていた食堂が一瞬にして静まり返る。
「自分、それ程のレベルではありませんが、よろしかったら救世主殿のお役に立たせてください!」
一人の若い隊員が手を上げたかと思うとおもむろに立ち上がり、俺をジッと見て言った。
『救世主殿』って……俺の事なんだよな。名前が分からないって本当に不便だ。
覚えのない功績を讃えられる居心地の悪さ。
これでもし村を救ったのが俺ではないとしたら……
考えるのは止そう。
「畑山、お前意外な特技があったんだな。ほら坊主、立ってみろ。それでもってジッとしてろよ。畑山の腕前は未知数だからな、刺されるかもしれん」
本当の年齢は覚えていないが、坊主なんて年でもないだろう。それでも救世主よりはまだましだ。
俺は十平に言われるがまま、畑山隊員に身を預けた。
「ひどいなあ。針刺したりしませんよ、多分。でも少しの間そのままでお願いします。動かないでくださいね」
畑山隊員はそう言うとスーッと深呼吸した。腕には水色に淡く光を発するリボン状のリングが緩やかに回転している。
彼が何やら小声で呟くとリングは消え、現れた無数の針のようなものが俺の身体に沿って高速のリズムを刻む。
「すごい……これが魔法……」
思わず息を呑んだ。いかにも借り物だった服は瞬く間に、まるであつらえた様にしっくりと身体に馴染む。いや、今まさに彼によってあつらえられたのだ。
「やめてください、お恥ずかしいです。自分の裁縫師レベルは中級程度です。それをそんな風に言われると……」
真っ赤になって恐縮する青年ににっこり微笑むと、千沙はまるで俺の保護者のように勝手に会話を引き取る。
「いいのよ、この人魔法を間近で見るの初めてなんだから。せいぜい感動させてあげて」
「えっ?」
どうやら、俺が何一つ覚えていないのは周知の事ではないらしい。が、何もそんな風に言わなくとも良さそうなもんじゃないか。
「詳しい事はまた後でな! ご苦労さん、良い仕事だったよ。持ち場に戻ってくれ」
「はっ!」
彼は十平にビシッと敬礼し、一瞬にして裁縫師の顔から警備部隊員の引き締まった表情に戻ると俺に一礼し足早に去っていった。
「お礼、言いそびれた」
「気にするな! 畑山の奴、今頃仲間たちに自慢しているだろうよ。自分は救世主殿の服を縫ったってな!」
いちいち恥ずかしく、居た堪れない。それは今も俺が名前さえ分からない、何も思い出せない、どこの誰かも分からない存在だから。
記憶が無いという事は、こんなにも自分自身に自信が持てないものなのか。自分を構成する物の殆どが記憶なのだという事を思い知らずにはいられなかった。
「また、目開けたまま気絶してた?」
「してないよ」
からかっているのか、心配しているのか。千沙の本心は俺にはまるで分からない。
「あんたって、難しい顔ばっかしてるよね」
心配、してるのか。
「申し上げます!」
突然、十平の所へ一人の隊員が走り寄って来た。
「女王陛下からの通達です!」
その通達は女王から俺への召喚通達だった。