ダイアリー
夫が死んでから五年の月日が流れた。最初の方こそ、ご飯の分量を間違えたり、最初のお風呂に入りづらかったりしていたが、今ではそんなこともなく一人の生活が身に付いてきた。
夫の持っていたものはほとんど全て消却し、死んでから夫のもとに入るものもほとんど娘に相続した。私が持っていても仕方のないものだと思ったからだ。
娘家族といえば、夫が死んだ一年後くらいに家の近くまで引っ越してきた。私が頑なにこの家から離れることを拒んだからだ、申し訳ないと思っている。だが、この我儘だけはどうしても叶えたかったのだ。それに、今更私のような老いぼれが家族の一員として入ったところで、という考えもあった。娘婿はそんなことはないと気を遣ってくれた、本当にできた人だ。
そういえば最近、孫がよく家に来るようになった。こっちに来てからは週に一回のペースできて、肩を揉んでくれたり話相手になってくれていたので嬉しかった。けれど、今はほとんど毎日こっちにくるようになったので、どうしたのかと心配だ。毎日話相手になっていることは嬉しく思っている。
明日は家族みんなでくると言って今日は帰った。少し寂しかったが、私は逆に嬉しくて涙が出そうだった。明日は夫が死んだ日だ。娘家族はそのことを覚えていてくれたようだ。それにわざわざ休暇までとって家族みんなで来てくれるなんで、夫も私もなんて幸せ者なのだろう。
私は仏壇の前に正座した。目の前には相変わらず仏頂面をした夫がこっちを見ていた。頑固で厳しくて真っ直ぐで本当に優しかった彼。もう涙は出なくなったが、胸の中がジンジンとするのは仕方のないことだ。
彼の隣に五つの本が置いてある。四つは洋書で、一つはどこの本なのかも分からないものだ。彼が最後まで読んでいた本、そしてついに読み切れなかった本だ。五年経った今でも私には何語か分からないし、どういった内容であるのかも分からない。ただ一つ言えるのは、これを読むのは老いぼれには難しすぎるということだけだ。だからきっと夫はこの本に挑戦こそしたものの読めるとは思っていなかっただろう。それでも挑戦せずにはいられなかったのかもしれない。
ぐらっと一瞬私の視界が揺れ真っ白になった。すぐに戻ったのできっと思い出に浸っている私を心配して夫が戻ってきてくれたんじゃないかと思った。こんな私を見られては彼が心配する、私はそんなことを思いながら立ち上がった。
体が重い、歳を取っているとはいえここ最近では一番重たいと思う。でも体は動く。私は明日の朝食分まで作ろうと思い、多めに作った。最初の目分量を間違ったせいで朝食分以上に作ってしまったが、明日は娘家族もくるし丁度良い。すっかり慣れた一人でのご飯をすませ、暇になってしまった。
体も重いし早めだけれど寝ることにした私は家中の鍵を閉め、そしてお風呂に入った。体を温めると体も軽くなったようなきがする。それからリビングに戻ってきた私は落ち着いたときから書いてきた日記を書くことにした。ずっと前から一日でも書かない日があると落ち着かないのですっかり私の生活の一部に組み込まれていることだ。
さて何を書こうかと思い、孫がきたことを書いた。最近の日記にはいつも孫のことが書いてある、なんて良い孫を持ったのだろうと思い、そんな孫に育てている娘に感心もした。しかし、何時までもお婆ちゃん子でいてもらっては困る、早く私から卒業して、自分の両親に孝行してやってほしい。まだ小学生でそれを言うのは酷かもしれないが、もう老い先の短い私は考えていることをすぐに伝えなければできなくなってしまう。
一通り書ききった私は布団に入った。最初は冷たくて震えてしまうが、次第に暖かくなっていき寝やすくなる。しかし、一人で眠るのは寂しい。二人で寝ていたころが懐かしくて、本当に久しぶりに涙がでた。これも歳のせいだろう、すっかり枯れてしまった涙がまた出てくるとは思いもしないことだ。
涙は納まり意識だどんどんまどろんでいく。その最中、瞼の裏にあの人を見た。とても懐かしい人だ。彼は私に近付き、そして、一つだけ言葉を紡いでくれた。私が一度は聞きたいと思っていて、ついに聞くことはできなかった言葉だった。
暗転。
父の命日に実家に家族で帰ってきた。近くに住んでいたから簡単に行く事ができるのだが、あまり行きすぎると母のプライドまで傷つけてしまうのではないかと思ってあまりいけなかった。それでも一ヶ月に数回は行っていた。今思えばもっと行って孝行していれば良かったと悔やまれる。そうだ、私が孝行すべき親はもう二人ともいなくなってしまったのだ。
父に遅れてちょうど五年、母はこの世を去った。昼頃に家に行くと鍵が掛かっていた。私達が行くことは伝えているはずなのでいつもの母なら開けて待っていてくれているはずなのに、妙な胸騒ぎがして急いで家に入り母を捜すと布団で幸せそうに寝ている母を見つけた。しかし、それは永遠に起きることのない眠りだった。握った手は温度が無い、人の暖かみが消えた布団。呆然として私から母の手を取ったのは正装をした夫だった。
彼は母の手を重ねて、タオルで口を閉じるように顔を縛った。その酷く滑稽な姿を見て私は初めて母が死んだことを悟った。普段の彼がこんなことをする訳がない、そのことを知っている分、この異例な事態はきっと異例な事態が起きていることを示しているのだろうと感じたからだ。
夫は私をリビングにまで連れて行こうとしたが、私は母のもとから離れたくなかった。そんな私を彼は怒る事はせず、息子に母を見ているように言って離れていった。多分、そういう言い訳で離れる口実をつけただけだろう。おそらく彼は私以上に私の父と母を尊敬し、死んだことにこの中で誰よりも悲しんでいる。だからこそ、誰よりも率先して母を弔おうとしているのだ。自分の父母に対してできなかったことを、自分を本当の息子のように扱ってくれた私の父母にしてやりたいのだろう。今頃は葬儀屋に電話でもしてこれからどうすればいいのかを電話で聞きだしているのだろうか、私にはそんなことわからないし、今は何もすることができず母の顔を眺めるしかなかった。
不意に袖の辺りを握られたような感覚がきた。横を見ると口をキュッと閉じて私の服の袖を握っている息子がいた。涙も流さずに、ただじっと母の顔を見ている。まるでその顔を記憶に焼き付けようとでもしているようだ。
だから私もそうした。母を忘れないようにするために。その時初めて、私は母が死んでいるということを認めたのかもしれない。嘘をついて、母がこの世に未練を残すようなことはしたくなかった。だって、母の寝顔は、とても幸せそうに微笑んでいたからだ。
一通り葬儀の手順を聞き、今は待機することになった。妻と息子は今も義母のところにいることだろう。なんて強いのだろうと思った。私は一緒の場所にいるだけで自分がどうかしてしまうのではないかと思ってしまっているのに。
私は義母のことを尊敬していた。どんなときでも寛容に受け入れ、道を踏み誤りそうになったときは優しく正してくれた。それが当たり前のように思っているのだろう。
机の上に一冊のノートを見つけた。どうやら日記のようだ。見てもいいのか分からなかったが、中身がどういうものなのか気になったのでつい手に取ってしまった。開くと丁寧な文字列が見えた。義母の字だ。
中身は日記だった。義父がなくなった丁度一ヶ月あたりから書かれていた。
『今日から日記を書こう、そう決めて五年分が書ける日記を買ってきた。毎日書いて、思い出に浸ることもしばしばしようと思う。それにこの日記の厚さが夫の本の隣に置くのに丁度良い大きさだったからだ。』
確かに日記の分厚さは遺品の本と同じような厚さで、隣にならべても遜色ない。びっしりと書かれている中身は一日も抜けておらず、几帳面に一日一日違ったことが書かれている。見ていて胸にじんとくるものがあった。
『今日、娘がこちらに引っ越してきた。私のためにこっちに来てくれて申し訳ないと思う。久しぶりに孫の顔を見た。お母さんによく似ているが、目と口もとはお父さんに似ている。逞しく育っているようだ。こちらにきてくれて嬉しい。』
こっちにきたのは義母が心配だったからなのだが、こんなことを感じさせてしまっていたのかと思うと少し心苦しい。しかしこちらにあまり来ないようにして正解だったと思う、ここまで感じていたのならこれ以上は感じて貰いたくはない。
日記はまだまだ続く。全部読む前に涙が出てきそうだ。私はこれ以上は思い返すことなくただ流し見るだけにしていた。そして最後の日、つまり前の日に書かれたところまできた。
そこにはいつもより丁寧に、まるで一つずつ真剣に書かないと字が歪んでしまうとでもいうように書かれた文字。文字は少しだけずれていたが、直した後がないのはもう気付かなかったからだろう。母はもうこの時には静かに死んでいっているようだった。
『孫がきた、今日で一週間連続で私のところにきている。嬉しいのだが、もっと友達と遊んで欲しいと思っている。こうして来てくれるのは嬉しいのは本当なのだけど。明日は娘達がくる。夫の命日になるからだ。その時、つくり過ぎたお味噌汁を食べてもらおう。』
日記の終わりはそこで終わっていた。それ以上は続かないし、これ以上書かれることもないだろう。そして義母がどれほど義父のことが好きであったかというのが分かった。
最後の日記、義母が義父のことを書いたのはこれが最初で最後だったのだ。一年前もその前も母は何も書いておらず、今日この日だけ義父のことを書いている。自分の死期を感じていたのかも知れない。
私はやはりこの人達には敵わないと心から思った。死ぬときまで自分の意思を曲げない父の姿、そんな夫の唯一の支えとなる母の姿。そういうことを教えてもらった気がする。私もこんな家庭を築きたいと思っている。でも私には私の生き方がある、真似をするだけで良い生き方ができるとは思っていない。
これから、ずっと後悔しない生き方をしていきたいと思う。そして笑って死ねるような生き方をしていきたいと強く、強く思ったのだ。
妻が義母のところから私のところにきた。息子も手を繋いで連れてきている。目は赤くなっていたが、涙を流したあとはないから文字通り涙を流さなかったのだろう。息子まで口を閉じて私の方を見ている。
私の人生はここから始まる。ここまで生きてきてようやく独り立ちできる、そんな気がしていたのだ。