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1-6

 リリーナ・ファンネルは王城の廊下を全力で駆け回っていた。急いで私室に戻り、手紙を書かなくてはならない。そう思っているのに、頭の中が混乱していて私室がどこにあるのかわからない。生まれた頃から王城で生活しているにもかかわらず、自分の部屋の位置すら思い浮かべることができない。自宅があまりにも広い、王城である事実を恨みたくなる。

――どうして、こんなときに

――早く、手紙を書かなくてはならないのに

 そうして慌ただしく乱れる思考を落ち着かせることができずにいると、ふと、サーリンス軍のどこかの部隊が外の演習場で訓練に勤しんでいる姿が窓から見えた。

――たしか今日のこの時間はケーラス小父様の師団が王城に来ているはず

リリーナは朝の(おぼろ)げな記憶を強引に引き出す。

――せめて、ケーラス小父様に先程の話を伝えなくては

 そう思い立ち、私室へと向かうのを諦め、外へと出るための階段を駆け下りた。

 三段飛ばしで階段を駆け下りて、非常用の裏口まで着くと、リリーナはそこで足を止めた。扉の脇には騎士姿の人間が倒れていた。

「ちょ、ちょっと、どうしたの?」リリーナは急いで門衛の元へ駆け寄る。

…………。

 返事はないが、ざっと見た限り、出血などはない。念のため脈拍も確認するが、死んでいるのではなく、気絶しているだけのようだ。

「いったいどういうことなの?」言ってから、彼女はつい先程盗み聞きしてしまった話を思い出す。「まさか、さっきお父様と話していた方が……」

 とにかく、こうしていても仕方がない。大した外傷はないようなので、本来の目的のため、裏口の扉を開き外に出た。

 そこで、再びリリーナは足を止めてしまう。裏門の外側にも内側と同様に騎士姿の人間が倒れていた。だが、それが理由ではない。

 演習場と裏門の間にある、正面の石畳の小さな裏庭。その中央に、全身が黒で覆われた、一人の少年が立っていた。演習場には光る(リジューム)が沢山設置されているが、こちらにはその光が微かに届くだけで、星の方が明るいくらいだ。それでも、少年のシルエットははっきりと感じられた。

 既に星が輝き渡るこの時間に、自分よりも年下らしき少年がいることは不可解だが、それ以上に、その少年の纏う尋常ではない、威圧的な雰囲気(オーラ)が気になった。

 リリーナはサーリンスという大国の姫だ。あまり物騒な仕事を請け負う人間とは殆ど面識がない。だが、わかってしまう。感じてしまった。眼前の少年はその(たぐい)の人物であると――。

 確かに門衛は殺されていなかった。脈まで確認したのだから、大丈夫だろう。けれど、改めて考えれば、軍の門衛に対して大きな傷を残すことなく昏倒させることなど、普通の人間にできることではない。

 もしかしたら、彼がお父様と客室で話していた人だろうか。いや、あの声はもっと大人の声だった。少なくとも目の前にいるような少年の声ではなかった。では、声の主が部下と称していた人物だろうか。部下の声は聞こえてこなかったから、可能性はある。

「どうしたんですか? こんな時間にそんなところにいてはいけませんよ」リリーナは少し大きめの声で話す。

…………。

 予想通りではあるが、返事はない。外見からもなんとなく察せられるが、あまり口数の多い人間ではないらしい。だからといって、このまま立ち尽くしているわけにはいかない。

リリーナは少年を視界に収めて、警戒しながらも奥に見える演習場へと歩き出した。

「止まれ」リリーナが数歩分近づいたところで少年が初めて声を発した。かなり小さな声だと思ったが、不思議と通る声だった。まだリリーナと少年は十ニード以上離れているが、微弱ながらしっかりと声が届いている。「今すぐ部屋に戻れ」

 少年はその身に纏っていた威圧感を視線に乗せてリリーナへと向けた。

 リリーナとしても、無事に部屋に戻れるならばそうしたかった。だが、この状況で少年の言う通りにするのは悪手な気がする。例え部屋に戻っても監禁されてしまえばそれで終わりだ。

「あら、なぜかしら」怖くて仕方がなかったが、リリーナは可能な限り気丈な振りをして答えた。手が震えそうなのを、握り拳を作って抑える。

…………。

 またしても少年は無言になってしまう。

 リリーナは恐怖に次いで生じた、舌打ちしたくなる気持ちを、今度は微笑を浮かべて抑える。握り拳で微笑を浮かべる妙な姿になってしまったと後悔するが、それどころではない。

 少年がここで先程の父の部屋での話を持ち出してくれれば、この少年の素性を推測できるが、何も話してくれなければ単なる想像にしかならない。だからといって盗み聞きした手前、こちらから話を振るのは危険だ。

「もう一度言う。今すぐ部屋に戻れ」再び少年が小さくも良く通る声で言う。一方的過ぎて会話になっていない。

 リリーナは頭を必死に回転させる。無視して進んでも殺される可能性は低いが、絶対ではない。大声で助けを呼ぶのも同じ理由で却下だ。

「もう一度聞くけど、なぜ?」リリーナは不自然にならない程度に声量を上げ、とりあえず会話にならない会話を続けることにした。このやり取りの中で何か情報が得られればそれでいいし、運が良ければケーラスが気づいてくれるかもしれない。

「これが最後の忠告だ。今すぐ部屋に戻れ」少年がリリーナの狙いに気づいたのかわからないが、彼は手を腰に当ててこれまでよりも低めの声を発する。「従わないようなら、――殺す」

「あなたにそれができるの? 私、これでもお姫様なのよ」リリーナは気丈な態度を崩さない。同時に、悲鳴を上げるタイミングを見計らう。本当に殺されるとは思えないが、万が一この場で命を絶たれたとしても、ケーラスにこの少年の存在を知覚させることができればそれでも構わない。この少年はウィルヒナの命を狙っている可能性がある。

 だから、そうでもしなければ彼女を守れない。大国の姫という厄介な立場の自分の、たった一人の大切な友人を守るためならば、命なんて惜しくはない。命は尊いものだということに異論はないが、ここで何も出来なければ、その尊さを失ってしまうから。

「お前がクライアントの娘だろうと、関係ない」少年はそう告げると、腰のナイフを手に取り、一瞬だけ腰を屈めて構える。

「やっぱり、あなたが先程の“部下さん”だったのね」言ってからリリーナは息を大きく吸い込む。自分の信号が親友を救うことを信じて。

 肺の中に目一杯の空気をため込んでから、リリーナは少年の微細な動きも見逃さないように目を凝らす。

 そして少年がこちらに踏み込もうと、さらに膝を曲げてエネルギーを溜め、手に持ったナイフが僅かに星の光を反射した瞬間、リリーナは喉を潰す勢いで甲高い悲鳴を上げた――。


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