8
「え?」
私は織屋くんの言葉を頭の中で反芻し、その意味が上手く理解出来ず声をあげた。
「幼なじみだからって仲が良いとは限らないだろ?」
言いながら織屋くんが肩を竦める。
背中を向けているため、織屋くんがどんな表情を浮かべて言ったのか知ることは出来なかった。
――幼なじみだからって、仲が良いとは限らない
それは、そうかもしれない。
私は家族ぐるみで付き合いがあったし、彼とはよく喧嘩もしたが仲は良かった。付き合うようになってからも喧嘩はしたけど、亀裂が走る事はなかったから、つい同じように考えてしまうけれど幼なじみにも色々な形があるに決まってる。
それは解るのだ。
なのに腑に落ちないのは、私の中にある記憶のせいだろう。
2人はすっごく仲が良くて、なのにイベントは焦れったいものばかりが続きプレイヤーをやきもきさせる。しかし、焦らされ続けた末の告白イベントが印象的な2人で、私は織屋蓮司というキャラクターが一番好きだったけど、やっぱりそれは香奈恵の存在も含めてだった。
まさか“幼なじみじゃない”なんて事態じゃないよね。さすがにそんな予想外も予想外な事態には見舞われたくない。
気になる。
でも、これ以上踏み込んでいいものか……。
「秋島さん」
どうしようかと考えていると、織屋くんがさっきよりも軽い調子で私を呼んだ。考えているうちにいつの間にか下を向いていたらしい。固いコンクリートの地面にうつる織屋くんの影から目を放して顔をあげる。
「少し、寄っていかないか?」
公園を指差しながら、織屋くんは笑った。その微笑みがどこか寂しそうに見えて、私は思わず頷いてしまった。
この時、何が何でも断っておけば良かったと、私は後悔する。
**
ブランコ、滑り台、雲梯、砂場――とポピュラーな遊具が揃っている公園は恰好の遊び場だ。
そこに備え付けられているベンチに腰掛けて、冷えた缶ジュースのプルタブを開けた。
近くにあった自販機から購入されたこれは、織屋くんの奢りで「誘ったのは俺だし、付き合ってくれたお礼」と何ともスマートな流れに財布を取り出す隙もなかった。
有り難くご馳走になることにして、今に至っている。開けた缶を両手で包みこむようにして持ち、口をつければ甘い桃の味が舌に広がった。
喉を潤しながら、目の前に視線を向けると、時間を忘れて遊びほうけている子供の姿が飛び込んでくる。広く開けた所でサッカーに興じている男の子たちや、ブランコを揺らして友達とお喋りしている女の子の姿。
サッカーに興じていた男の子の一人が、公園内にある時計に目をやって「もう帰ろうぜー」と飛んできたサッカーボールを綺麗に跳ね上げて脇に抱えた。すると時間を忘れて遊んでいた子供たちは、夢から覚めたように家へと帰っていく。
その中で私の目を惹いたのは、同じ方向に帰って行く男の子と女の子の姿だった。私も、小学生低学年の頃は彼と一緒に家に帰っていた。遊ぶ相手は互いに違っていたりしたけど、鉢合わせた時は帰りはいつも一緒で、あの頃はそれが自然だった。彼はまだ私を妹とか家族みたいに思っていた頃だったし私も、ただ一緒にいて楽しいってだけで……それが一度だけ変化したのはそれを冷やかされてぎぐしゃくした時期だ。妙に気恥ずかしくて私もしばらくは距離を置いてたのだが、最終的にこんなに意識してるのって逆にどうなの?、となり以前と同じ気持ちに戻った。だけど、それは私だけだった。
彼は家族ぐるみで会う時は以前とさほど変わらないのに外ではよそよそしく、露骨に距離を取りたがっていたのである。内での彼と外での彼とのギャップに私は困惑し、だんだんと腹が立ってきたのでなら私も知らないふりをしてしまおうと考えた。私だって彼の態度にまったく傷付いてなかった訳じゃないのだ。
なのに、実行に移せば彼は絶妙とも言えるタイミングで私の前に現れたり不機嫌だったりで、その態度が私には解らなかった。
最後には数年振りとなる大喧嘩にまで発展したっけ……でもそれがきっかけで私の中に芽生えていた恋が花開いたんだけど。
私は手慰みに中身の減った缶を揺らした。
織屋くんは、さっきから黙ったままだ。別段、居心地が悪いという訳でも良い訳でもない。なんとなく、織屋くんも私と同じように、公園の遊具とか遊ぶ子供の姿に思い出を重ねているんじゃないかと思った。同じ、っていっても私の場合は今みたいに彼の思い出を追いかけ、記憶の琴線をふるわせて彼を感じることしか出来ない。
その時間は凄く恋しい気持ちになる。幸せで、でも寂しくて切なくて甘い。
――小さく息を吐いた。
「ごめん」
すると、今の溜め息を悪い方に捉えたのか、織屋くんが沈んだ声で謝罪の言葉を発した。私は慌てて右手を左右に振った。
「違う違う!今のはちょっとセンチメンタルな気分になって思わず出た溜め息っていうか……!」
「センチメンタル?」
「う、うん」
織屋くんがきょとんとした顔で聞き返してきた。何かおかしな事を言ってしまっただろうかと私がおずおずと頷くと、織屋くんは吹き出すように笑った。
……今のは、笑うところでしょうか?
軽く肩を震わせて笑う織屋くんの姿に頭の上で疑問符を飛ばす。
「ごめん、違うんだ。先輩の言った通りだと思って」
困ったように眉を下げて、でも口は緩やかな孤を描いている。ちぐはぐな表情。織屋くんは少し曲げていた背を真っ直ぐ伸ばすと、背もたれにもたれかかった。
「先輩って八王子先輩?」
落ち着いたらしい織屋くんに問う。私と織屋くんの間で思い浮かぶ先輩といえば、八王子先輩だ。織屋くんは頷いて、口を開いた。
「“黙ってたら人形みてぇなのに喋りだすとアレだ”」
「……」
織屋くんの口から飛び出すとは到底思えない台詞だ。この台詞をどんな表情で八王子先輩が言ったのか、私はすんなり思い浮かべることが出来た。きっと、意地の悪い顔をしてにやりと笑いながら言ったに違いない。
褒められているのか馬鹿にされているのか解らないけど、普段の八王子先輩を思うに、後者の線が濃厚だ。
それより、アレってどういう意味なんでしょうか、八王子先輩。っていうか、織屋くんの言い方からして織屋くんもそれに納得してるって事!?ちょっとショックなんだけど……。
それが表情に出たのか、織屋くんがやんわりと首を振った。
「悪い意味じゃないんだ。今日、初めて秋島さんに会った時にさ、俺も人形みたいに綺麗な子だなって思って……」
柔らかな微笑みさえ浮かべて言われた言葉に、私はぎょっとした。
お人形さんみたいに可愛いわね、みたいな事は小さな頃に近所のおばさんとか母親に言われて慣れているし、クラスの子にもたまに言われるけれど、男の人に面と向かって言われたのは初めてだった。
しかも相手はキラキラとした美形で、織屋くんである。少し砕けた喋りのせいで、さっきより輝きが三割増しだ。眩しい。どう反応を返せばいいのかわからない。
織屋くんは続けた。
「だからさ、本当のところ少し緊張してたんだ。ここに誘ったのは個人的な感傷で、一人より誰かにいて欲しいと俺が勝手に思ったからでさ。なのに、君がいることを一瞬とはいえ忘れてたんだ。酷く居心地が悪かったろう」
返事を求められているとは思わなかったが、私はただ否定するように首を振った。居心地が悪いとか良いとかはなかったのだ、本当に。私自身、思い出に浸っていたからだ。
「そしたら君が慌てて言った言葉に、何ていうか肩の力が抜けて……俺も同じくセンチメンタルだったからかな」
「織屋くんが?」
「――うん、まぁ、あまり思い出したくないんだけど上手くいかないんだ」
あ。さっき私を公園に誘った時に見せた顔だ。寂しそうで、でもどこか憤っているような……何に?
幼なじみに?
それとも自分自身に?
「思い出したくないって、どうして?」
気付けばするりと声に出していた。聞いちゃダメだったかも、と失言を窘めるように唇を軽く噛んだ。織屋くんの様子に変わったところは見られない。ただ、少し間を置いてから言葉を紡いだ。
「傷付ける言葉ばかりぶつけてしまうんだ」
「えぇ?」
私には、織屋くんが傷付けるような言葉を吐くとは思えなかった。たとえばどんな――と想像してみても、しっくりこない。それは私が、この短い間で感じた織屋くんの姿だからだろう。でも、声と様子から嘘をついているとも思えない。
傷付けるような言葉だって自覚していながら、止められない。思い出の中でも。それって、どういう事なんだろう?
「昔からさ、どうしてもあいつを見てるとイライラして……言いたい事の逆の事しか言えないんだ。だから、学校でも会うのを極力避けてて」
「学校、同じなんだね」
聞きたかった事を思わぬ形で聞いてしまった。織屋くんが口を噤む。言ってしまった、という顔をして私の視線から逃れるように目を背け、
「帰ろうか、秋島さん」
と言った。
正直、気になるけど無理に聞き出そうとは思わない。織屋くんを問い詰めたい訳でもないし、別に焦ることでもない筈だ。香奈恵との関係を、知る機会はあるだろう。
だから私は頷いた。
「ジュース、ご馳走さま」
織屋くんの口が小さな笑みを刻んだのを見て、これで良かったんだって思った。
思った。
けど、いま私は公園に立ち竦んでいる。さっきまで座っていたベンチから五歩ほど歩いた距離で、右手に空の空き缶と左手で学生鞄を持ちながら。
『本当に、ごめん』
そう言って逃げるように立ち去った織屋くんの消えていった方角を見ていた。謝らなくていいから事情を説明して欲しかった。そう、事情を。
――待って、いま何が起こった。落ち着いて姫乃、考えて姫乃。
いま、私は、
携帯が震えてる。
何だっけ、そう織屋くんが、香奈恵と、真中が、私が会って、それで――
“お前、織屋と付き合ってたっけ?”
瞬きを繰り返したところで、真中から送られてきたメールの文面に変わりはない。付き合う?付き合うって何?
帰りが一緒で、公園に寄って特に会話もなくベンチに座って思い出に浸ってただけで、端から見ればカップルかな?くらいは思われるかもしれないけど、かもしれないだけだ。
「生徒会に用があって、そしたらたまたま帰りが一緒になっただけだよ」で誤解なんて消える。というかそれが真実だし。
なのに、まさかだ。
まさか、織屋くんがいきなり私の肩を抱き寄せて、
『真中もデートか?』
などと、のたまうだなんて想像だにしていない。
『へ?いや、俺は――』
『その子、この間転校してきた子だろ?』
真中は鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をして、恐らく否定しようとした。けどそれに被せるように言葉を発して、織屋くんは香奈恵に視線を向ける。
『栗原香奈恵さんだっけ?初めまして』
『……っ』
何が起こったの。っていうか、織屋くん。性格まで変わってなかった?
うん。とりあえず私も私でなに呆然としてたんだろう。吃驚しすぎて、誤解を解かなかったとか私は馬鹿なの?香奈恵は真中連れて行っちゃうし、なら織屋くん……!って見たらこっちはこっちで全世界の不幸を背負ったみたいな顔をして落ち込んでるし、またそれにも吃驚して恐る恐る声をかければ、織屋くんは逃げちゃうし。
“付き合ってない”
真中からのメールに返事を打って、送信する。
「――」
さっき、香奈恵が見せた顔が頭から離れない。すっごく、傷ついた表情だった。
何で、どうして?
きっと二人は初めましてなんかじゃない。さっきの香奈恵の顔を見ればわかる。なのに、織屋くんはどうして、あんな事を言っちゃったの?あんな顔をして、後悔するくせに。
ああ、いま凄く叫びたい。
私の馬鹿、織屋くんの馬鹿、馬鹿馬鹿――っ!って声高に叫びたい。
「どうなってるの……」
なのに、出たのは弱々しい声だった。