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「なんだ、秋島。俺が担任じゃなくて寂しくなったか」
「ほんと綾瀬先生って、冗談がお好きですね」
私がヒロインの姿を捉えたと同時に、ヒロインの前に立っていた教師が声をかけてきた。
ストライプ柄の灰色のスーツを着こなしたその姿は、雑誌の表紙を飾れそうなほど洗練されている。いま手に持っているのは出席簿だが、これが一輪の薔薇だったらもうどこぞのホストである。そして、前世では考えられない銀色の髪が特徴的だ。
この教師こそ、攻略キャラクターの一人。綾瀬拓海(あやせ たくみ)先生である。
綾瀬先生はゲーム通り新ヒロインの担任のようだ。そのヒロインの前で一歩間違えればセクハラに値する発言である。今後、ヒロインの前で私に口説きまがいな台詞を吐くのはやめて欲しい。
いや、ヒロインの前じゃなくてもお願いしたい。綾瀬先生には是非、彼女を攻略して――間違えた。綾瀬先生は、早く彼女の魅力にメロメロになって下さい。そんな願いを込めて、辛辣な言葉を返した。
とは言っても、以前からこんな感じで接してるけど。
初めの頃は顔を引きつらせていた綾瀬先生も、そんな私にすっかり慣れてしまったのか涼しい顔をしている。私は綾瀬先生から視線を外してヒロインを見た。
途端、私の目は彼女に釘付けになった。
一言で言いましょう。
可愛い……!
ふんわりとした栗色の髪。ぱっちりとした大きな瞳。艶のある桜色の唇。ツルリとした肌――思わず抱き締めたくなるような可愛らしさを纏った姿が目の前にいた。感動と嬉しさのあまり小躍りしそうな自分を慌てて押さえ込む。
「先生、その子は?」
そんな私の隣にいた神宮寺さんが、ヒロインを見て不思議そうに声をあげた。しかしその瞳は子供のようにキラキラと輝いている。これは獲物を見つけた狩人の眼差しに近い。
そんな神宮寺さんの質問に、綾瀬先生が答えた。
「ああ、転校生の栗原香奈恵(くりはら かなえ)だ。栗原、二人は秋島姫乃と神宮寺綾音だ」
栗原香奈恵――デフォルトネームと同じだ。姿を見て確信してはいたが、名前もそのまま。これで、もう間違いない。
彼女こそ『恋の花を君と2』のヒロインだ。
「て、転校生の栗原香奈恵ですっ!よろしくお願いします…!」
栗原さんは、緊張からか声を上擦らせて、頭を下げる。何はともあれ祝福の挨拶を交わさなければ、と私は手を差し出した。
「秋島姫乃です。私のことは、苗字でも名前でも好きな方で呼んで」
「じゃあ、えぇと‥‥姫乃ちゃん。私は香奈恵って呼んで」
「香奈恵、ね。よろしく、香奈恵!」
握手を交わしながら、呼び方もそのまんまだ、なんて思う。
神宮寺さんと香奈恵も挨拶を交わし、神宮寺さんは綾音ちゃんと香奈恵に呼ばれることになった。
「あー、確か二人とも栗原の隣のクラスだったか……」
そんな生徒同士の微笑ましいやり取りを横目に、職員室に張られたクラスの一覧表に目を通していた綾瀬先生がそう言った。
綾瀬先生の言葉を聞いて、残念そうに香奈恵は眉を下げる。ああ、可愛い。
さすが、ユーザーにも人気の高いヒロインである。かくいう私も2のヒロインが好きだ。
私が新ヒロインのご登場に舞い上がったままでいると、神宮寺さんに背後からいきなり肩を掴まれた。
「栗原さん!クラスの違いなんて気にしなくていいわ。わからないことは我が新聞部・期待のホープ秋島姫乃に聞きなさい!」
「私?!期待のホープ!?」
神宮寺さんが、私を香奈恵の前に押しやった。香奈恵は目を瞬かせて、『新聞部なの?』とことり、と首を傾げた。
可愛い。もう私は何回、可愛いと心の中で呟いたのか。これは、綾瀬先生もどきりとするでしょ?
香奈恵に『今日から入部するの』と返して、期待を胸に綾瀬先生をちらりと見る。
「秋島、新聞部に入ったのか……?」
しかし、綾瀬先生は瞳を丸くして香奈恵ではなく私を見ていた。確かに、話の流れ的に私を見てしまうかもしれない。でも、そこはこの香奈恵を見ていて欲しかったです……。
少しがっくりしつつも、先走りすぎな自分を窘めて、私は小さく頷いた。
「お前が新聞部なぁ……なるほど、神宮寺に根負けしたか」
綾瀬先生も、私と神宮寺さんの攻防戦を知っていたらしい。確かに、結構な騒ぎだったと私自身も自覚している。綾瀬先生は瞳を眇めて悪戯っぽく笑った。
やっぱり、綾瀬先生も攻略キャラクターなだけあって、すごくカッコいい。同世代の彼らとはまた違う大人の色気が、魅力的だ。でも私は、いつもの大人な顔より、いまみたいな子供じみた顔の方が素敵だな、と思っていたりする。勿論、口には出さないけど。
「ええ、ようやく私が口説き落としました。秋島さんのしぶとさはなかなかのものです。しかしそのしぶとさが我が部に欲しい要因の一つですから、好ましいですけど。それに苦労して得難い部員を得た瞬間というものは、素晴らしい達成感を齎すのですね。感動です」
にっこりと笑って神宮寺さんはそう言った。これは、私が褒められていると捉えていいのだろうか。
「秋島を口説き落とすには神宮寺並みの強引さが必要ってことか……、なるほどなぁ」
そして、何を噛み締めるように頷いているんですか、綾瀬先生は。
「という訳で、私は秋島さんの気が万が一にも変わらないうちに入部届を提出したいので、名残惜しいですが失礼します」
「ああ、そうだな。俺もまだ栗原に話をしてる途中だったしな……」
綾瀬先生は頷いて、香奈恵を見下ろした。どうやらまだ説明の途中だったらしい。そこに私たちが居合わせたため、中断せざる得なかったようだ。いや、良く思い出してみれば声を掛けてきたのは綾瀬先生である。
自分でも悪いと思ったらしく、「悪いな、栗原」と綾瀬先生は謝った。
すると香奈恵は慌てて首を振る。
「いいえ。先生が姫乃ちゃんと綾音ちゃんに声をかけてくれたお蔭で、二人と知り合えたし……転校って初めてで不安だったんですけど、ほっとしました」
「……そうか」
ふわりと優しい笑みを浮かべて発せられたその言葉に、綾瀬先生の口が綻ぶ。
――満点だ。
香奈恵ちゃん、さすがヒロインである。
おぼろげに思い出したけど、転校初日にモブに鉢合わせてこんなやり取りがあった。そのモブの中に秋島姫乃の姿はなかったけど、まぁ少しの違いがあるのは私もいやと言うほど実感したので問題ない。そして、今の香奈恵の台詞は、多少違うが、好感度の高い選択肢だ。
まさしく正統派ヒロイン。
私みたいに出会いイベントで『雑用係りはしたくありません。どうしてもと仰るなら飴玉一つで手をうちましょう』などとパッとしない選択肢を選んだ私とは違う。しかも要求が飴玉である。
内申点あげて下さい、とかにすれば良かったと後悔した。
何故なら、雑用する度に飴玉一つ。律儀に綾瀬先生は渡し続けたのだから……。
何はともあれ、その調子で頑張って、香奈恵。そしてゆくゆくは攻略キャラクターの誰かと恋に落ちて欲しい。
そして手助けならば、ばっちりと任せて欲しい。何と言っても2の私はヒロインの恋を手助けする助言キャラクターだ。
そのために私は新聞部に入ったのだから。
まあ、神宮司さんの熱意に負けたっていうのもあるけどね。