第18話 ルテシイア・オターナ・アール・スースキ姫
「ルーラァ様、お急ぎください」
登城していつもの部屋、スラガ・ドーマ爺さんの執務室だ。
再びというか、三度ナーンと顔を合わせたわけだが、何度見ても可愛い。
爺さんは王様と謁見中とかで女官長がいた。
「こちらでございます」
剣とガントレットをナーンに預け、緊張した面持ちの女官長と隠し扉を抜けた。
勿論、ちょっと指に触れるのは忘れない。
彼女は廊下側から扉にカギをかけると、その横の壁を押し開けた。
聞ける雰囲気ではないが、カギをかけないと開かない隠し扉なのかもしれない。
再び通路に出て、何の変てつも無い石の壁を見ながら早足で進む。
突き当りの扉を開けると小さな部屋、振り返るとここも隠し扉になっていた。
壁際に椅子が数脚置いてあるだけの部屋だが、メイドが5人ほどいた。
「ルーラァ・アイスラー様がおこしです」
「入れろ」
扉の前にいたメイドが中に声をかけ、返事を待って扉を開けた。
目に飛び込んできたのは緑色。
壁も天井も、暖炉、正確にはマントルピースか、テーブルからショーケース、ソファーに至るまで緑色だった。
よく見ると生い茂る緑葉のようだ。
更にその中に咲き誇る薔薇のような花びら、赤や黄色や白い花が咲いていた。
空中庭園かと思ったが、絵画だ。
この一体感は、先に絵を書いて、家具を置いて再び書き加えるしかない。
こりゃあ、部屋の模様替えは出来ないぞ。
「これ、ルーラァ」
吸い込まれるように室内に足を踏み入れ、爺さんの声にようやくそこに人がいることに気が付いた。
慌てて跪き、最高の礼を持って頭を垂れた。
王様がいるんだった。
だが、自慢の部屋のはず、見逃してもらえるだろう。
「面を上げよ」
「はっ」
声を聞く限り怒ってはいないようだ。
顔を上げるとこの間見た白髪がある。
存在感があるってやつだな、貫録を感じさせる王様がいた。
威圧するような感じはないが挨拶をすべきか、いや、ここは爺さんの仕切りだし任せよう。
「まだ子供ではないか」
「それだけではございません。 無鉄砲でございましてな。 入隊式の日に門番はけ倒すわ、素手で教官に重傷を負わすわ、大変な悪がきであります」
「何、素手でか?」
「はい、体術を心得ておりまして、女官たちの教官をやらせております」
「なるほどのう」
うまい、おそらく教官を殴った事を王様は知らない。
こんなふうに話しておけば、他の奴から耳に入っても問題にはならない。
まあ、王様にまで伝えるほどの事ではないだろうけど……。
「名を聞こう」
「はっ、ブルーノ・アイスラーが嫡男、ルーラァ近衛城兵見習いにございます。 此度は陛下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」
再び頭を下げた。
「ほう、その挨拶誰に教わった?」
「はっ、ドーマ侯爵様は、幼き頃より我が師であります」
なんか沈黙、まずってはいないと思うが……。
「ルーラァ、此処へ」
「はっ」
えーっと、爺さんの声だが、いいんだよな。
ともかく爺さんの横、ソファーに腰を下ろすと、そのタイミングでメイドが紅茶を運んでくる。
既に喉が渇いているが飲むわけにはいかない。
「新しい船を造ったそうだな」
「はっ」
おっと、優しい感じじゃないか。
子ども扱いしているとも言うが、贅沢は言っていられん。
「それもスラガに習ったのか?」
「畏れながら、申し上げます」
「うむ」
「それらは古代語に書かれていた物にございます」
王様と爺さんが顔を見合わせた。
「アイスラー家の古い文献にございましてな、興味を持ったようなので研究してみろと」
「なるほどのう」
口から出まかせなのに即興で返すとは、爺さんやるな。
「宝物庫にもあったのではないか?」
「ですが、このような者に出入りさせるわけにはいきません」
「かまわぬ。 調べさせよ」
「御意」
ははは、ほんとに古代語があるんだ。
まあいい、これで宝物庫に出入りできる。
何があるのか、海賊の宝箱を開けるような気分だな。
爺さんの管轄とはいえ、こうやって許可を取っていくんだな、だてに年食っちゃいないってことか。
しかし、姫様の救出の為に来たはずだが、どうなってるんだ?
タイミングを見ているという事かな?
交渉のうまいやつと一緒だとやりやすいし、一丁かましてやるか。
「侯爵様」
「なんじゃ」
「聞かれたこと以外一切口を開くなとおっしゃられましたが、陛下に申しあげたき事がある場合、どうすればよろしゅうございますか?」
「なっ……」
「ふっ、はははは。 よい、言いたい事があるなら申せ」
爺さんが言葉を失い、陛下が笑う、読み通りだ。
「はっ、この前、結婚をしなくとも子は残せることを知りました」
「こ、これルーラァ、何という事を言い出すんじゃ」
「はははは、いや、よい。 そうか、それを知ったか?」
爺さん、脅かしてすまんがついて来てくれよ。
「はい。 魔道師様は結婚なさらなかったそうですが、その方法で子をなされたのではないかと思われます」
「何?」
場が凍りついた。
笑い話で済む次元を超えている、王様は紅茶を飲もうとした手をひっこめ、笑顔を消した。
さあ、進軍開始だ。
「1000年の昔、大陸が統一され平和が訪れました。 しかし、魔道師様だけは将来の争いをご心配なされたそうです」
「それで?」
王様のにらむ様な視線が熱い。
「ここからは推測にすぎませんが、2人の子をなし、魔法を授け、人里離れた場所で、その時を待つように指示されたのではないかと推察いたします」
「1人はアイスラーか?」
「御意、もう1人が砂漠の民かと存じます」
そう言った途端、爺さんが身を乗り出してきた。
「ばかな、あのような蛮人どもが、魔道師様の子孫だとでもいうつもりか」
おっと、1番の協力者がここでは反対の立場でいたか。
決断を下す時は賛否両論を比べる。
感情に任せた反対意見ばかりを聞けば、賛成意見は何かと考えるようになる。
王様は砂漠の民に関しては好意的に、少なくとも、公平な立場でとらえるようになる。
高等戦術とでもいうべきか、このしたたかさはさすがだな。
「だって、爺さん、じゃなくて侯爵様。 彼等は魔法を使います。 これをどう説明されるのですか? 彼等にも言い分はあるはず、それも聞かずに一方的過ぎませんか?」
「ばかを申すな。 王国に盾突く者どもをかばうか、この不忠者が! 下がって沙汰を待て!」
「まあ、待て」
「はっ」
いい連係プレイになって来たぞ。
「ルーラァ、だったな」
「はっ」
「アイスラーの者も魔法が使えると聞こえたが?」
「はい、使えます」
「「……」」
再びお見合いか、今日は面白いもんが見れるな。
さて、本題に入るぞ。
「黒目黒髪の姫様は100年に1度お生まれになられますが、アイスラーでも、100年に1度魔力の強い者が生まれます」
「それが、お前か?」
「御意、わがアイスラー家の者は守護の魔法が使えるようでございます」
「守護じゃと?」
「御意、命の危険が迫ると、知らない間に守ってくれるようにございます」
「どう思う?」
「私も初めて聞きました」
「うむ」
爺さんも返す言葉がないか、いい、出番はもう少し後だ。
「アイスラー家は魔物の巣窟と言われたギール山脈の中にあり、生きながらえているばかりか繁栄しております。 先の戦争では、万を超す敵軍から王子殿下をお守りする事もかないました。 父ブルーノは運が良かっただけだと申しておりましたが」
「守護の魔法だと」
「おそらく」
「ふーむ」
「幸い私の魔力は強く、危機が迫らなくとも発動できます。 お見せできますがいかがでしょうか?」
「見せてみよ」
「はっ」
ようし、いい食い付きだぜ。
「守護の魔法よ、わが右手に宿れ」
右手にシールドをかけただけだが、言葉があるとそれらしく見える。
「侯爵様、私の右手を叩いてくださいますか?」
「お、おう」
爺さんの左手が、おそるおそる俺の右手に触れようとするものの、すんでの所で見えない壁に阻まれる。
「もっと強く」
「おう」
今度は勢いよく振り下ろされた手が、パーンという音と共に止まる。
勿論、見えない壁に。
「「何と……」」
さあ、デモンストレーションは終わりだ。
「この見えない壁は守りたい者にかける事が可能です。 例えば、我々3人の周りにかければ、なんぴとたりとも近づく事はかないません」
「では、ブルーノは」
「おそらく」
「うむ」
さあ、爺さんの出番だぞ。
いつまでも呆けてないで、なんとか言えよ。
「陛下」
「ん?」
「ルーラァの魔法は使い勝手がありそうですが、古代語も話せます。 100年に1度であるならば、もしや姫様も」
「うーん」
さすがだ、爺さん。
さあ王様、どうする?
「誰かある」
「はい」
扉が開き、女官が顔をのぞかせた。
「ルテシイアを呼べ。 服装は構わぬ至急だ」
「はい」
よし、第1関門突破だ。
ホッとして思わず眼の前の紅茶を飲んでしまったが、見逃してね、と。
「ルーラァ」
「はい、侯爵様」
「守護の魔法の事を誰かに話したか?」
「いいえ、父も知りません」
「よし、ならば、誰にも話すでないぞ。 ブルーノにはわしから言っておく」
「はい」
「お前の力は陛下の専属城兵に匹敵するが、実力のないお前ではそれをすると目立つ。 わしの専属のままでいて、いつでも陛下の元に駆けつけられるようにしておけ」
「はい」
王様は目を閉じ、じっと考え事をしているというのに、眼の前で許可も取らずに決めていく。
有り難い話だが、王様は下っ端の人事には口を出すなと言っているようなものだ。
この辺りのさじ加減が絶妙なのだろう。
暫くすると、女官がコルク栓の様な物を持ってきた。
「これは?」
「姫様の御歌を聞いた者は悲しみのあまり、涙が止まらなくなるのじゃ」
はあ? 何だそりゃ、だな。
歌で人の心を揺り動かす魔法、なのかな。
なるほど、これでは魔物が乗り移ったと言われるはずだし、爺さんが歌姫だと言うのもうなずける。
で、これが耳栓か。
しかし、こりゃちっとばかしまずいかもしれんぞ。
精神錯乱なんかしてたひにゃ、間違いなく詰みだ。
「姫様の悲しみが、歌となって伝わるのでございましょう。 心安らかになっていただきますれば、喜びもまた伝わる事と信じます」
「本当か?」
「私はそう信じます」
こうなったら、毒を食らわば皿まで、行けるとこまで行ってやる。
「ルテシイア・オターナ・アール・スースキ王女様、御着きにございます」
「入れ」
扉が開き、2人の女官を従えた日本人形が入ってきた。
長い黒髪を腰まで垂らし、黒く大きな瞳は部屋の絵に驚いたのか、更に大きく見開いている。
しかも、全身が光り輝いている。
レイバンが言ったように、清らかな月光、そのものだ。
「陛下、姫様から大きな魔力を感じます。 念の為保護の魔法をかけますので、お動きなさいませんように」
「うむ」
「保護の魔法よ、陛下をお守りしろ」
女官たちがいるので小声だが、シールドの魔法をかけてちょいとポイントを稼ぎ、護衛の立ち位置に向かう。
ルテシイア姫は女官たちに身ぶり手ぶりで指示されて膝をつき、最高の礼の形を取った。
王様はその様子に真剣なまなざしを向け、爺さんは座りながらも振り向き、心配そうに見守っている。
「面を上げよ」
王様の声には反応せず、女官に促されて顔を上げた。
本当に言葉が分からないようだが、何か言ってくれないと日本人かどうかも分からない。
「ルテシイア、余が分かるか?」
誰が話しているのかは分かるようだが、助けを求めるような視線を女官たちに送っている。
「ルーラァ」
「はっ」
さあ、一世一代の大芝居、幕開けだぜ。
まずは日本語が分かるかどうか。
しかし、いきなり日本語を話してパニックになられても困る。
『こ、と、ば、分かるか?』
『えっ? あなたは日本語が分かるの? 教えて、ここはどこ? 私は誘拐されたの? この人たちは誰? 助けて、お願い』
日本人だったが、やはりパニックになっている。
それでも、精神が病んでいない事の方が大事だ。
ずっと閉じ込められていたから、間に合ったというべきか。
「やはり、古代語のようです。 言葉が通じない事に驚かれておられるご様子です」
「続けよ」
「はっ」
王様とも話をしなけりゃならんし、こりゃ、ちょいとばかし大変だぞ。
『後でゆっくり話す。 今は時間がない。 分かるか?』
『え、ええ。 でも、教えて、ここは何処』
『長くなるから後だ。 お前を助けたい。 質問に答えろ』
『ええ、分かったわ』
『いい子だ』
ふーっ、すがるような表情にドキッとしたが、これならなんとかなりそうだ。
次は王様か。
「姫様は、ユニコーンが記憶を持って行ったとおしゃっておられます」
「なに? どういう事だ?」
「聞いてみます」
『何があったのか、覚えているかぎり話してくれ』
『正直分からないの。 目が覚めたら見知らぬ天井が見えたわ。 知らない言葉を話す女の人達に、外にある別の部屋に連れて行かれて監禁された。 それだけよ』
『その前はどうだ?』
『いつもと同じ、夜になったから寝ただけよ』
『日本でか?』
『そうよ。 ねえ、いったいどうなってるの? 何か知っているんでしょ。 教えてよ。 このままじゃ頭がおかしくなりそうなの』
『それくらい我慢しろ』
『え?』
『今お前は、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。 助かってからゆっくり話してやるから、今は質問に答えろ。 文字通り、死にたくなかったらな』
『わ、分かったわ』
まずい、話が長すぎた。
王様に何と言うか。
「姫様とユニコーンは同居していたと、おしゃっておられます」
「なんと」
「何かに驚かれて、出て行かれたのだと」
「ふむ」
「ただ、何が起こったのか、何故ユニコーンが離れていったのか、また、戻って来るのかどうか、それさえも分からないそうにございます」
「うーむ」
「もしや、舞踏会で出された毒では?」
「かもしれん」
爺さんいいぞ、その調子だ。
『いい感じになってきた。 もう少し頑張れ』
『はい』
『ユニコーンは知っているか?』
『えっと、何かの映画で見たような』
『分かった、それはいい。 ところで、歌を歌っていただろ?』
『ええ、話し相手がいなかったし、さみしかったし』
『分かった、分かった。 責めているわけではないんだ。 だけど、悲しい歌はもう歌うな』
『どうして?』
『質問は後だといっただろう』
『分かったわよ、怒らないでよ』
『怒ってないよ』
『怒ってるわよ』
『分かった、すまない。 楽しい歌、そうだな、春の小川は知っているか?』
『もちろん、文部省唱歌よ』
『そ、そうか。 ちょっと待てよ』
精神が不安定なせいか、気を付けて話さないといけないな。
しかし、また長くなってしまったぞ。
「申し訳ありません」
「どうした?」
「姫様の歌が人を悲しくさせてしまうので、おやめ下さるようにお願いしたのですが、御立腹なされてしまいました」
「よい、余の命だと伝えよ」
「はっ。 それで、楽しい歌を歌いたいと仰せですが、いかがいたしましょうか?」
「ふむ」
「陛下、耳栓もございますし、お試しになられる価値はあるかと」
「よし、許す」
いいぞ爺さん。
これで楽しい気分になれば、魔物説は払しょくされる。
あ、楽しくならなかったら……。
ええい、やるしかない。
『よし、歌ってくれ。 ただし、心を込めて楽しくだ。 いいな』
『え、ええ、分かったわ』
頼むぞ、おい。
『は~あ~るの、おがわ~は、サラサラ行くよ~』
あれ、春のうららじゃなかったか?
いや、あれは隅田川か、まあ、どっちでもいいや。
おおう、王様も爺さんも、女官までも聞き入っている。
しかも、幸せそうな顔しているし、これは決まったな。
あれ? 俺は感じないぞ。
いい気分というより懐かしいだけだが、まあ、いいか。
歌い終わった姫様に、人差し指を口に当て静かにするように伝えた。
後は、王様の言葉待ちだ。
腕組みをしてジッと考えている姿は、さすがにさまになっている。
「火急の用件にございます」
もうこれで決まりだろうと思った時、女官長の大きな声が扉の向こうから聞こえてきた。




