第3話 はいはい
ようやく寝返りが出来るようになったが、ベッドがかなり大きい。
アンがベッドの周りから話しかけてくる所をみると、セミダブルくらいだな。クイーンやキングサイズではこうはいかんだろう。
おっと、今度は赤ちゃんベッドに移動か?
おっ、動いた。ベッドタイプの乳母車か。
おお、隣にも部屋があったのか。あれ、ここも出た。
廊下だな、かなり長い。こりゃ、相当広い家だぞ。
それにしても、家の中だというのに肌にあたる空気がけっこう冷たいな。冬かもしれんが、年中寒いのは嫌だな。
四季はあった方がいい。無いと良い木が育たんしな。
ん? 天井に照明がないぞ。
光源らしい金色の石は壁にあるということは、直接操作をするのか。
まてよ。まさかとは思うが、電気がないとか言わないだろうな?
配線があれば全灯スイッチもあるはずなんだが……。
キョロキョロしていたら抱き上げられた。
今度は階段を下りるようだが、てことは今までが二階か。
そういえば、外国だとプライベートルームは二階だったな。
この広い空間は玄関ホールだな。
定番のシャンデリアがでかく、格窓から差し込む光でキラキラと輝いている。ガラス細工はかなりの物だ。
光源らしきものは見当たらないし、夜は石の光でも反射するのかもしれんな。
置物は牙の長い虎ときたか、かっこいいねえ。
またベッドか、えっ? このベッドどうやって下ろしたんだ? おお、メイドが沢山いる、アンだけじゃなかったんだ。
部屋に入ったが段差がなかったぞ、まさかバリアフリーか? いや、そんな事より酒臭いな。
部屋は広いが閉め切っていて、換気口も無いようだ。
しかし、俺にも酒をよこせと言えないのが辛いな。熱燗でキューッとやりたいところだ。
お母様が覗き込んできた。
今日はまたあでやかな服装だな。別嬪さんは何を着ても似合う。
考えてみたら、こんな綺麗なねえちゃんが母親とは、こりゃ春から縁起がいいぜ。
いや、季節があればまだ冬だった。
次から次へと人がやって来て、ルーラァという単語が飛び交っている。
お披露目かなんかだろうが、人の頭の上でごちゃごちゃとうるさい。
黙って聞いているしかないが、どうやらお父様の名前がブルーノで、お母様がカロリーネらしい。
ブルーノに目元が似ているとか、カロリーネにそっくりとか、ガキが出来た時に聞いたセリフがぴったりとあてはまる。
みんなが持っているのは銀のグラスか。
ガラスのグラスじゃないのはどうでもいいが、そのカラフルな服装は何とかしてほしい。
女性はいい、貴婦人らしく胸が誇張されたドレスも、裾を引きずる上着も似合っている。
問題は男だ。
貴族様だろうから、羽飾りの帽子は許すし、長袖シャツに短めのコートはどれほどカラフルでも我慢できる。だが、足にピッタリの白タイツはなんだ。おまけにスカートだぞ。ひよっとして、大人に成ったら俺も……。
い、嫌だ、あんな恰好は絶対に嫌だー!
「びえーん」
泣き出したらお母様に抱かれた。
柔らかいおっぱいと優しい声にいやされて泣き止んでしまうのだから、げんきんなものだ。まあ、こんだけいい女のおっぱいギューじゃ泣き止むわな。
待てよ、言葉が分からないなら何を言ってもいいという事じゃないか。
「きゃっ、きゃっ」
おばはん、その服は似合わんぞ。
「きゃっ、きゃっ」
オッサン、顔こえーぞ。
おお、なんかしらんが、うけとる。
「きゃっ、きゃっ」
お前のかーちゃんデベソ。
ハハハ、ばかうけみたいだぞ、こりゃいいや。
おっ、あれはポーカーじゃないか、ベガスでやったやつに間違いない。あっちはチェスか、やった事は無いな。サイコロもあるか、チンチロリンなら得意だが。
おいおい、暖炉はいいが煙突はどうした? こんだけの家を建てておいて煙突無しかよ、一酸化炭素中毒にならんのかな?
あれ、急に騒がしくなった。メイドが大勢やって来てグラスを下げていく。貴族達は椅子から立ち上がり、服装をチエックしたり髪を撫でつけたりと大忙しだ。
何事が起こったんだ? おっ、入り口が大きく開いたぞ。みんなは膝をつき、右手を左胸に当て、頭を下げている。
カロリーネも俺を抱いたまま跪くもんだから、肝心の扉の方が見えん。
なんか若い声が聞こえてきたが、偉そうな感じだ。
カロリーネと何事か話をした後、ようやくその男の顔が見えたが……。
ピ、ピエロ? 首の周りと両手首にでっかいヒラヒラが付いている。
「きゃははは」
笑える、その恰好笑える―。
「きゃははは」
いくらなんでも、そりゃ、そりゃ無いだろう。
ピエロがなんか褒めているみたいだが、知らぬが仏とはこの事だ。
「きゃははは」
それに、その女の様に編み込まれた長い金髪、何とかしろよ。目鼻立ちは整っているが、苦労知らずのボンボンか?
ブルーノとも言葉を交わし、ブルーノも頭を下げた。
ふーむ、偉そうだとは思ったが、本当に偉いのか?
ひょっとして、おしのびの王子様とかいうオチだったりして。
だとしたら、ピエロ王子で決まりだな。
「ふぁーっ」
なんか眠くなってきた。
「むにゃむにゃ」
ハイハイが出来るようになると世界が変わるねえ。
ベッドから見て入り口とは反対の床がふかふかのカーペット。いや、布団の上にカーペットが敷いてあるのか。
カーペットに描かれているのは、蝶や蛇をはじめ、大きな牙が生えた犬や、翼のあるライオンなどだ。
その名前をおしゃべりアンが教えてくれるのだが、分かり始めた言葉をつなげると、どうやら魔物というらしい。
玄関ホールの置物もサーベルタイガーと言う魔物だそうだが、動物や獣が変異したものが魔物、たぶんそんな感じだ。
それにしても見事な絵だな、十二色どころか二十四色はある。
エジプシアンブルーのような高価な色も有るかも知れないが、まるで生きているみたいだし、有名な画家なのだろう。
まあ、ピカソの絵と保育園児が描いた絵の違いが分からない俺ではあるが、多分有名だ。
というか、そうであってほしい。
その絵に手を置くたびにアンが名前を教えてくれる。それが楽しくて次から次へとハイハイをしてゆく。
右に行ったり左に来たり、ぐるりと回って後戻り、夢中で進んでいると、ゴン、という鈍い音と共に目から火花が出た。
「ふえーん」
壁にぶち当たったらしい。
まったくもう、クッションくらいまいとけ。