第11話 馬車
「どこまで行くんだ?」
「造船所だ」
お馬の親子の様にポックリポックリと歩く馬車の中で、ドーマの爺さんと二人っきり。
真正面を避けて席をずらしたが、当然テーブルなど無く、微妙な距離感はここも変わらない。
ナーンと乗った時のあの甘い雰囲気はかけらもなく、重い沈黙の中、当たり障りのない会話をするだけだ。
「それ、どこにあんの?」
「ドーマ川に決まっておろうが」
「決まってるって、じゃあ、ドーマ川の造船所はどこさ?」
「西の城門街じゃ」
「西門? 第3城壁の?」
「当たり前じゃ」
「ははは」
20キロだ。
ぼそぼそとしゃべる爺さんと、20キロ……。
小さな格子窓をスライドさせ、ガラス越しに外を見るが、やはり歩くくらいのスピードだ。
ナーンと乗った時はゴトゴトだったが、今日はゴットンゴットンだからもっと遅いかもしれん。
いったい何時間かかるんだ?
そもそも、歩く速さは時速何キロだ?
だめだ、そんなもん気にした事も無かった。
待てよ、孫の遠足のしおりに15分で1キロとか書いてなかったか?
よく覚えとらんが、まあいい。
1時間だと4キロで、20キロは5時間、往復だと10時間……。
行って帰るだけで日が暮れるじゃねえか、かんべんしてくれよー。
馬で来るべきだった。
そうすれば、こっそり逃げられたかもしれんのに……。
「わしは国王に最も信頼されておる」
「ふーん」
なんだ、話し始めたと思ったら自慢話かよ。
まあ、沈黙の5時間よりはましか。
「ルーブルは第1王子、テネスは第2王子じゃな」
「第2ってピエロ、じゃなくてイタリナ王子か?」
「そうじゃ」
「ふーん」
3侯爵の話か、何が言いたいのかよく分からんが、お世継ぎ問題でもあるのかもしれん。
「アイスラーはイタリナ王子の専属だったんじゃが、前の第2王子は戦死なされ、テネスに変わったんじゃ」
「ふーん、宴会の時には来てくれたみたいだけどな」
「それじゃよ」
「どれ?」
まったく、爺さんの話はさっぱり分からん。
「第2王子の権利を譲る代わりに、アイスラーは伯爵の地位を手に入れたんじゃが、イタリナ王子の心はアイスラーにある」
「それで?」
「面白くないんじゃ」
「はあ?」
伯爵家を得た裏事情ってやつか、いやまてよ、派閥争いの話か。
アイスラーは爵位と引き換えに第2王子から第1王女の担当に格下げになった。
しかし、第2王子の心はまだアイスラーにある。
だからテネスが嫉妬する、か。
まったく、大人げないというか、いや、権力者はいずこも同じか。
「だから、あんまり騒ぎを起こすでない」
「あ、ああ、わかった」
なんなんだ、まったく。
結局、教官をぶん殴った事に対する説教だったのかよ。
前ふりが長すぎだぜ、爺さん。
まさか、こんなところで説教されるとはな、沈黙の方がましだったぞ。
話が長すぎてもう着いちまった、なんて具合にはいかないか。
5時間て何時間だ? 5時間だ。
はーっ、1人突っ込みはやはりむなしい。 もう帰りてえよ。
急に馬車が止まった。
素早く腰に手をやったが剣がない、ガントレットも……。
くそっ。
扉の内側に見えない壁、シールドの魔法をそっと掛け、爺さんの横に移動する。
シールドの練習をしている暇はなかったが、きいているはずだ。
それでも、奇襲に備えて爺さんを自分の体でカバーする。
素早くグーパーを繰り返し、首をコキコキ、音が出ないのは若さゆえか。
浅く座り直し、足先にも体重を乗せる。
飛び出すか、攻撃をかわすか、両方に対応して身構えた。
「宰相様、御休憩を」
「いらん、急げ」
「はっ」
ふーっ、護衛か。
まあ、馬車に乗る時、周りに何人もいたしな。
奥宰相の侯爵に護衛が付かないはずはないし、その護衛が戦闘を始めたら、いくらなんでも分かるだろう。
ようやく落ち着いたが、しかし、今の今まで剣が無い事に気が付かないとは情けない。
爺さんに振り回されていたとはいえ、自覚が足りない証拠だな。
それに、この格好、服装だけの近衛城兵なぞ恥さらしもいいとこだ。
「それも体術か?」
「うん? ああ、まあな」
「剣無しで戦うつもりじゃったのか?」
「ああ」
がっくりしながら元の席に戻ると、爺さんが聞いてくるが、なんか喜んでいないか?
まったく、嫌味な爺さんだぜ。
「ドーマの護衛は近衛城兵クラスじゃ、心配いらん」
「強そうには見えなかったけどな」
「試験の時のようにはいかんと思うがの」
「体術を馬鹿にしてるのか?」
「そんな事は無いが」
「ふん、あんなもん、指を2本掴んだだけでも倒せるわ」
「ふぉおっほっほ」
「ちっ」
別に、信じてくれなくてもいいけどな。
しっかし、乗り合う相手が変わっただけで、どうしてこうも潤いが無いかね。
慣れていないせいか、馬車の揺れも疲れるし。
気分転換に窓を開けると、ガラス越しに森が見える。
ここは第3城壁内のはずだが、人口はそれほどでもないんだろう。
むしろ、城壁の外は大森林って事だろうな。
建築をする者にとって、石と木が手軽に入るのは好材料だ。
どんな建築文化が育っているのか、じっくりと見て歩きたいもんだ。
「宰相様、お食事の準備が出来ております」
「うむ」
何度目かの会話で、ようやく休憩となった。
扉が開かれ、冷気が押し寄せてくる。 ブルッと身震いはしたが、気持ちいい。
あれ? 馬車の中、暖房がかかっていたのか。
炎の魔石だろうが、なんか、ここだけ時代の最先端みたいな感じだ。
護衛も多く、ざっと10人見えたが遠くにもまだいる。
その中に光っている奴が2人、またかという感じだ。
食卓テーブルがセットされ、並んだ料理から湯気が上っていた。
「うーん」
伸びをしていたら差し出された銀のグラス、中身は蜂蜜ジュースのホットバージョン、おまけに。
「ルーラァ様、お検めください」
そう言って出されたのが、剣とガットレットだ。
思わず受け取り、サーベルタイガーの紋を確認した。
ガントレットも特注品だ。
指無し手袋のように指に通し、拳にも鉄がかかっている。
「世話をかけた」
「とんでもございません」
こればっかりは言わずにおれない。
こんな格好で西城門の街に行く事を思えば、抱きしめてチューしてもいいくらいだ。
いや、男はいらんか。
それにしても大したもんだ。
俺が馬車に乗る時に剣が無いのに気が付く、そこまではいい。
爺さんに強制連行されたことを推測し、城まで行って事情を確認、ナーンから預かり、馬を飛ばした。
食事の支度くらいならアイスラーの者でも出来るだろうが、ここまでは無理だろう。
侯爵家伝統の力といったところか、まったく恐れ入ったぜ。
食事はさすがに質素だが、パンに付けるのは、甘くとろみのあるコーンスープと、塩味のさらっとしたスープ。
フォークを使うのは、フランス料理の様に、皿の中に黄色いドレッシングの海、魚の切り身が中央にポツンとあるやつだ。
だが、もう1つ、塩鮭、塩鮭が登場した。
うまい、いや、んまい。
箸が無い事など問題にもならん、懐かしくて涙が出そうだ。
まったく、久しぶりに日本を思い出しちまった。
卵ご飯、梅干し、海苔、納豆、お茶づけ、食いてー。
醤油ご飯や、ネコマンマでもいい、食いて―なー。
無敵海軍ドーマ、いい、認める、俺は認めるぞー。
美味しい余韻に浸りながら、馬車は再び出発した。
お腹が膨れて眠くなる所だが、あいにく馬車の揺れがそれを許さない。
ゆらゆらとした揺れならいいのだが、ゴトンと来る揺れは体に響く感じで、仕方なく話題を探した。
「あのさ、第1王女って、なんで北の塔にいるんだ?」
「それじゃ」
「だから、どれだっちゅうの?」
「ルテシィア・オターナ・アール・スースキ姫のことじゃ」
「はいはい」
長ったらしい名前はいらんだろう。
ルテシィアだけで十分なのに、律儀というか、頑固というか。
「姫が黒目黒髪なのは知っておろう」
「ああ、らしいが、それがどうかしたのか?」
おい、ほめた端から名前なしかよ。
しかし、なんか元気になったぞ、やっぱ飯食うと違うな。
「スースキでは、100年に1人、黒目黒髪の姫がお生まれになる」
「100年?」
「ああ、だいたいじゃが、100年に1人じゃ」
「ふーん」
100年に1人転生者がいたとかいうオチかな?
「皆、たいそう聡明な姫様じゃったらしい」
「今回は違うみたいないい方だけど?」
「ああ、とても可愛い姫様じゃが、普通だったんじゃ」
普通ならそれでいいだろうに、勝手に期待して、がっかりしてんじゃねえよ。
まあ、これはさすがに言える雰囲気じゃねえか。
「しかもじゃ、戦争が終わって間もなく、舞踏会の会場でお倒れになったんじゃ」
「倒れた? 病気なのか?」
「毒ではないかとみておる」
「毒? 症状は?」
「ああ、記憶を無くされたんじゃ」
「そんな毒があんのか?」
「分からん。 じゃが、そうとしか思えんのじゃ」
「ふーん。 しかし、北の塔が病院だったとは知らんかったな」
アイスラーの管轄とはいえ森の奥だし、場所的には人目をはばかるような感じだしな。
「隔離じゃ」
「隔離?」
「ああ、魔物が乗り移ったという噂が立っては、城にいていただくわけにもいかん。 処刑するというのを、何とか思い止まっていただくのが精いっぱいじゃった」
おいおい、そんな話をしていいのか?
なんか、こっちが心配になってくるが、それにしても奥宰相というのも大変みたいだな。
まあ、王様なんか、わがままだと相場が決まっているからな。
「そっか。 なんか、苦労してんだな」
「じゃが、これからはお前がおる」
「お、俺?」
「そうじゃ、お前に何とかしてもらおうと思うてな」
「ちょっ、ちょっと待て、精神科どころか医者じゃねえぞ。 だいたい姫様にお会いする事なんか無いだろうが」
「ふっ、ブルーノは専属城兵じゃから扉の外じゃが、奥宰相は中に入れる。 陛下の許可は必要だが、お前もじゃ」
なんだそのドヤ顔、気色悪いにも程があるぞ。
「ちょっと待て。 ひょっとして、その為に俺を専属にしたのか?」
「大正解じゃ」
「大正解じゃねえよ、まったく」
大事な姫様の秘密を、ようもまあペラペラとしゃべるもんだと思ったら、こんな裏があったのかよ。
「もう1度言うが、俺は医者じゃねえぞ」
「分かっとる。 医者で駄目だからお前を選んだんじゃ」
「むちゃ言うなよ。 俺にだってな、出来る事と出来ない事があるんだ。 それくらいわかんだろうが?」
「お前が作った楽器があったろ」
「あ? あの、ピアノとか、ギターとかか?」
なんだおい、俺の話を聞いてるのかよ。
「それそれ、そのギターをな、演奏されたんじゃ」
「それがどうかしたのか?」
「演奏方法は誰も教えておらん、というより誰も知らん」
「お姫様はギターを知っていたとでも言いたいのか?」
「いいや、おそらくじゃが、見ただけで演奏方法が分かったんじゃろう」
「はあ?」
また話が変な方向に行ったぞ、どうなってんだ?
「第1王女はな、伝説の歌姫様じゃ」
「あ、おとぎ話の?」
「そうじゃ、きっかけさえあれば、元の、いや、本来の歌姫様に戻る筈なんじゃ」
「ちょっと待てって。 おとぎ話の歌姫さんは、ユニコーンの生まれ変わりだったって話だろうが。 無理がありすぎだって」
「フン、歌姫様の聡明さに比べたら、お前なんぞ、つぶれたカエルじゃ」
「つぶれた……」
ははは、完全に信じとる、駄目だこりゃ。
「ともかくじゃ、なんとしても記憶を取りもどしてもらわにゃならん」
「もしだめだったら?」
「姫様は処刑されるじゃろう」
「おい」
「何じゃ?」
「……」
爺さんとにらみ合いになったが、ちっ、本気のようだ。
まったく、ハードル上げ過ぎだって。
歌姫云々は別としても、黒目黒髪はやっぱり日本人だろうな。
何故かは知らんが、100年に1人か。
しかし、日本人であろうがなかろうが、記憶喪失なんてどうやって治すのかさっぱりだ。
頭をたたくとか、もう1度毒を飲ますとか、うーん、無理だろうな。
当って砕けろとはいかんだろうし、かといって、会ってみないと何にも始まらん。
断るという選択肢はないだろうし、日本人だろうから断る気もないが、それにしても、厄介なもんを押し付けてくれる。
あれこれと考えていた、というより、ぼんやりしていた気がするが、馬車のゴトンとくる衝撃は、続くと腰にくるらしい。
なんか、だるい様なにぶい痛みが出てきた。
この振動は予想以上にきつく、ゴムだけじゃおっつかん感じだ。
そういえば、ダンプの後輪についていた鉄の板、あれは多分板バネだろう。
厚みのある鉄の板を何枚か重ねてあったと思うが、引きずり入れて6個、耐荷重1トン近くの計算か。
馬車なら4つ、100キロ程度でいいだろうが、問題はこの衝撃、どれだけのエネルギーとみるか。
ベクトルを垂直に限定しても、こう繰り返されるとかなりのものだろう。
曲げた鉄の強度が分からん以上、数を増やすしかないか。
らせん状のバネは作れるか?
針金を棒に撒きつけても弾力は出ないし、らせん状にしてから焼き入れとか。
いや待てよ、焼き入れすると固くて脆くなるんじゃなかったか?
弾力って出るのかな?
焼き戻しとかいう言葉も聞いた事があるが、うーん、さっぱりわからん。
ウオーターベッドはどうだ?
ジェルの入った水袋を敷き詰めたやつだが、動物の胃袋が水筒替りって話があったから、そこらへんで何とかしてもらうとか。
耐久性の問題は……ありまくりだろうな。
やっぱ板バネか。
試作品を作らせて耐久テストをすれば、わりと早く出来そうな気がするが……。
「うーん」
座ったままだが、思いっきり背伸びをした。
爺さんは、すでに無口になっていて、腕を組んで目を閉じている。
かっこつけてはいるが、明らかにじっと耐えている感じだ。
同じ年寄りだったから分かる、かなりやばい。
歩くどころか、立ち上がる事さえ難しいだろう。
宰相なんだから、城の奥でふんぞりかえってりゃいいもんを、そこまでして俺を連れて来たかったのか?
大変なのは分かるが、たかが船造りじゃねえか、命削ってまでする事かよ。
年寄りの冷や水って言葉は、ここには無いのかねえ。
やれやれ、適当にやって帰るつもりだったのに、そんな姿見せられたら本気になっちまうじゃねえか。
まったく、難儀な爺さんだぜ。




