第9話 竹蜻蛉
たとえわずかでも、下りの小道は上りより危険だ。
腕をくむのは紳士の義務だ、責任だ、憧れだ~。
そっと肘を出したらすんなり手が、ごくりとなった音が聞こえなければいいが……。
だが、もっとこう、すがるようにした方が……。
思いは伝わる、足をとられそうになってすがりついてくる。
「危ないから、しっかりつかまっていて」
「はい」
か、完璧だ、俺、偉い。
腕に感じる、弾力が、弾力が~。
ナーンを誘って毎日来てもいい、いや、来るべきだろう。
忘れ物をしたと言って、戻るのもいいかもしれん。
いっそのこと竹藪の中に、い、いかん、煩悩退散。
だ、大事なのは分析だ。
ナーンも感じている筈だ。
いや、Hな意味ではなく、触れている事が分かっている。
これ、これが重要だ、試験に出るくらい重要だ。
状況さえ作れば、弾力に触れてもいい。
この不思議な女心を理解出来た者だけが勝者となれるのだ。
ただいま、友達から恋人への階段を上っております。
ルンルン気分というやつだ。
しかし、それを邪魔する奴がいる。
「馬車が子供を産んだ」
「えっ?」
2回りほど小さい馬車がもう1台、名残惜しいが伝えた。
しかし、残念なそぶりなどつゆほども見せずに、くんだ腕をほどき、差し出した手に添える形に改める。
『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ』
などと思うが、表面は極めて紳士的にいく。
あくまで、表面は、だが。
それに、こちらの用事が済むまで待っていたのだから、礼儀知らずではなさそうだ。
女性のように見える。
右手を胸に、片膝をついて首を垂れている。
庶民と侯爵令嬢なら不思議はないし、普通なら素通りするところだが、ここにはエリーヌの店しかない。
小道を下り終えて、通りに出た。
「顔を上げなさい」
護衛が配置についていることを確認したナーンが口を開いたが、チェリーだった。
何故こんなところにいるのか、さっぱりわからん。
かなり驚いたが、眉をピクリとさせただけで止めたの上出来だろう。
「名前は? そして、ここに来た目的は何ですか?」
「マロン商会、マロンが家内、チェリーにございます。 こちらには仕事で参りました」
「白い紙のマロン商会ですか?」
「さようにございます、ナーン・ドーマ様」
名前は名乗っていないはずだが、馬車にはドーマの紋章、鮫が描かれている。
更に、ドーマ侯爵に孫娘はナーンだけ、御者あたりに確認もしたのだろう。
「エリーヌに高価な紙を買うゆとりはないはずですが」
「はい、わがマロン商会は、新たに商社としての仕事を手掛けております」
「はて? それはどのような商いですか?」
「代理販売と言えば分りやすいでしょうか。 ここには素晴らしいガラス製品がございますが、ここにある事を誰も知りません。 そこで私共が代わりに販売いたします」
説明をしながら、こちらの方をチラチラと見てくる。
記憶にはない。
ないが、商社などと言う単語は俺しか知らんだろうし、たぶん宴会の時だろう。
そして、おそらく俺の名を出してもいいかの確認だろうな。
まあいい、うなずいておくか。
「しかし、それで商売になりますか?」
「売れた場合には手数料を頂きますし、お店に並べるだけでも良い物は売れます」
「面白い商売があるものですね」
「雑貨屋は多くの職人から仕入れて販売しております。 紙とガラスを同時に売っても不思議はないと、 聡明なルーラァ・アイスラー卿に教えていただきました」
ナーンがくるりとこちらを向く。
驚いたような表情はかわいいが、本当に覚えていないんだな、これが。
頭をポリポリ掻くしかない。
「なるほど、それなら納得です」
照れているとでも思ったのか、しかし、それで納得するナーンもおかしいと思うんだが。
「ちなみに、白い紙の秘密もルーラァ様直伝にございます」
「それもですか? どうりで、お爺様が惚れこむわけです」
「爺さんにもてても嬉しくないけどな」
「またそういう事をおっしゃる」
かわいい、笑顔のままちょっとにらむ感じ、いい、すごくいい。
それに、ここでチェリーに会うとは、渡りに船とはこの事だ。
「南の大陸にゴムという木がある」
「ゴムでございますね」
「そうだ、その木に傷をつけ、出てきた汁を集めた物が欲しい」
「どのくらいあれば、よろしゅうございますか?」
「そうだな、とりあえず、船1艘分も有ればいいか」
「ふ、船1艘分でございますか?」
「ああ、船を買えばいい。 金の事は心配するな、レイダーに話をしておく」
「は、はい」
船にも大きさがある。
小舟程度なら比較的安いが、南の大陸に行くとなれば、超が付くほど大きな船が必要で、超が付くほど高い。
先の戦争が負け戦だったのだから、失った船も多かったはずで、どれだけの値が付くのか見当もつかない。
子供が扱っていい金額ではなく、ましてや執事などもってのほかだ。
おまけに、嵐1つで全てを失うとあっては、思いつきで買っていい物ではないはずだ。
しかし、ここは決めるところだろう。
「万一、嵐で船を失ったら……」
「は、はい」
「もう1艘買え。 じゃ、マロンによろしくな」
効果的なためを作り、とんでもない事をあっさりと話す。
決まったな。
心の中で、ガッツポーズだ。
あっけにとられたチェリーを残し、ナーンの驚き顔を楽しみながら馬車にエスコートした。
いいねえ、金持ち冥利に尽きる。
やってみたかったんだよな、こういうの。
馬車の中でのナーンは面白い。
何かを言いかけては止め、止めては言いかける。
気持ちは分かるが、この振動が収まってからだ。
やがて馬車が石畳に差し掛かり、ナーンが意を決したように身を乗り出してきた。
「船はドーマ家で用意させていただきます」
「やめたほうがいい」
勢い込んで向かって来る言葉を、すっとかわす。
いわゆる、肩すかしというテクニックだ。
これで話の主導権を握る。
「どうしてですか?」
「今回はためしだ」
「ためし?」
「ああ、そのまま使えるのか、はたまた何かを混ぜるのか、まるで分っていない」
「ゴムの樹液ですよね、そもそも何に使うのですか?」
「馬車の振動を少なくしたい」
「振動、ですか?」
「ああ」
「それだけ?」
「ははは、ああ、それだけだ」
なるほどな、実感がないからすごさが想像できないんだろう。
馬車だけじゃない。
輪ゴムやゴムひもには時間がかかるだろうが、盾の裏あてなど、クッション材としての可能性は無限だと言ってもいい。
まあ、こうご期待といったところだが、それにしても……ふ、ふふふふ。
顔の筋肉が、痙攣しそうだ。
完璧だ。
ナーンの目は、うるうる、というやつだ。
もはや、ナーンは俺のとりこと言っても過言ではない。
結婚するとあれか?
「お風呂になさいますか? お食事になさいますか? それとも……」
「そ、それともで、うおー」
「きゃー♡」
「ぐふっ」
い、いかん煩悩が、煩悩退散、色即是空。
しっかし、今日の俺なら男もほれるな。
いや、男はいらんか。
「そうだ、近衛城兵は普段は何処で練習しているか知ってる?」
「屋内訓練所か、その横あたりだと思いますけど」
「ああ、あそこか、誰が1番強いのかな?」
「それは隊長さんだと思います」
「若手ではどう?」
「ジンテノ・ルーブル様ですね」
「ルーブル侯爵の孫か」
「はい、強くて素敵なお方ですよ」
し、しまったー。
目が輝いているよ、調子に乗っていらんことを言っちまったか?
「そうか、手ほどきしていただきたいものだ」
「嫌などとはおっしゃいませんよ、お優しい方ですから」
「では、期待しておくか」
こ、この笑顔は俺じゃねえ。
ジンテノとかいうやつに向けた笑顔だ。
なんてこったい。
伯爵家だもんな、パーティーや舞踏会などで知り合ったに違いない。
強くて、身分があって、イケメンで、性格まで……。
まずい、限りなくまずい。
今夜、俺のかっこいい所を思い出しても、最後にジンテノが出てくりゃ、終わりじゃねえか。
は~っ、全ての苦労が水の泡かよ。
まったく、だからあれほど……。
記憶の中の家系図では3男だったな。
くそー、気に入らん。
ジンテノってやつに非は無いだろう。
無いだろうが、気に入らんもんは気に入らん。
まったく、どうしてくれようか。
綺麗なお顔に傷をつけたところで、ワイルドになるだけだろうし、隠れて魔法を放てば1撃だが、ギャフンと言わせる為にはそれでは駄目だ。
やはり真っ向勝負、それしかないか。
聞く限りでは強そうだが、それでもここで引くわけにはいかん。
どうなるかは分からんが、まあ、拳で話せることもある、あたって砕けろだ。
いや、砕けてどうする、やっつけろ、だ
馬車は第2第1城門を抜け、城の正門に到着した。
ナーンには、爺さんに帰るむねを言付け、向かうは屋内訓練所。
今日はその横、やる気満々でやって来たのだが、誰もいない。
奥内訓練所の中も覗くが、装備からして近衛兵だ。
かなり厳しそうだが、ビリー達が訓練しているんだろう。
しかたない、お楽しみは明日だな。
しっかし、ジンテノの奴、俺に恐れをなして逃げ出したか?
ははは、まったく、そうでも思わんとやってられんぞ。
「ただいま~」
「うわーん、お兄様」
家に帰るなり、ハンクが泣きながら走って来た。
「ただいま、ハンク。 どうしたんだ?」
「うん、ひっく、あのね、ひっく、あのね」
片膝をつき、ハンクを抱き上げ、そっと頭をなでながら言葉が出て来るのを待つ。
「ひこうき、ひこうき、こわれた」
「そうか、じゃ、またつくらないとな」
「ほんと?」
お~、涙をためながら見つめてくる瞳がかわいい。
「ああ、すぐに作れただろ」
「うん。 うん。 ありがとうお兄様」
目じりに残った涙を拭いてやりながら部屋に向かう。
「そうだ、今日はお土産があったんだ」
「おみやげ? なに、なに?」
「飛行機とお土産、どっちを先にするかな?」
「うーんとね、うーんとね、おみやげ」
「よし決まった。 んじゃ、お庭に行くぞー」
「いくぞー」
ハンクを左手に乗せながら庭を目指す。
メイド達が駆け出すのは、先回りしてテーブルや椅子を拭くのだろう。
ここは、ゆっくり歩くのが親切というもんだ。
庭に出ると、4つある椅子の2つがくっついている。
ここに座れという事だろう。
テーブルにはクロスまでかけられていた。
いつもの事ながら、うちのメイドは優秀だ。
「お土産は、これだ」
「これはなんですか? お兄様」
「これはバンブーという木だ」
「なんぶー?」
「バンブーだ」
「バンブー」
「そうだ、これを今から削るから、よく見ておけ」
「はい、お兄様」
椅子に座り、たらした両足をきちっとそろえ、両手は膝の上。
それでも興味がまさるのか、思いっきり前傾姿勢だ。
「これは真剣にシュッシュッだ」
「しんけんにシュッシュッですね」
「そうだ」
竹の切れ端を左に持ち、腰の短剣を抜く。
ハンクが、ごくりと喉を鳴らすのを横目に、切れ端の片方を斜めに削る。
この時、シュッシュッという音が出るが、真剣な表情をハンクに見せておく。
言葉以上に、態度で教えることが重要だ。
「ふーっ」
ため息を1つつき、引き続きもう片方を削る。
刃物を扱う時の真剣さ、その緊張感も伝える。
そして、最後は細い竹の棒を丸く削り、中央の穴に押し込んで完成だ。
短刀を鞘に納めてから、にっこりとほほ笑んでやる。
「できたのですか? お兄様」
「ああ、出来た。 これは竹トンボという、空飛ぶおもちゃだ」
「やったー、またお空をとぶんですね」
「おう、よく見てるんだぞ」
「はい」
「こんな風に手を合わせて棒を挟む、そして、素早くこする」
シューッ、軽快な音を立てて竹トンボは空高く舞い上がった。
ハンクがポカーンと口を開けながら見上げている。
紙飛行機は、飛んでも室内の天井まで、ハンクなら頭の上あたりだろう。
それがいきなり建物の屋根近くまで上がれば、驚くのも無理はない。
「あーっ、まって―、いかないでー」
垂直に上がった竹トンボも、落ちて来る時は風に流される。
椅子から飛び降り、追いかけるハンク、転びそうだがかなり早い。
「ハンクぼっちゃま、走るとあぶのうございます。 ぼっちゃまー」
ハンクの専属メイドだろうか、必死に追いかけている。
男の子はこけて怪我して強くなるのに、分かってねえなあのメイド。
ハンクは無事に竹トンボにたどり着いたが、メイドの方がこけた。
さすがはハンク、運動神経が抜群に違いない。
だが、そんなメイドをほっといてこっちに来るのは感心しない。
「お兄様、もう1かい、もう1かい」
「ちょいと待て」
そう言いながらハンクを抱き上げ、メイドの所に行く。
「大丈夫か?」
「はい、申し訳ございません」
起き上がろうとするメイドの肩をつかみ、押さえる。
疑問の表情を浮かべるメイドを置いて、
「ハンク、大変だ、起き上がれないみたいだ。 誰か呼んできてくれ」
「はい、お兄様」
ハンクが勢い良く走ってゆく。
竹トンボを握りしめた手が前後に揺れる。
「あの~?」
「ああ、女性が倒れているのに知らん顔をする男にはなってほしくない。 もう少し協力して」
「は、はい、申し訳ありません」
「ごめんね」
あまりに可愛くて、頭を撫でてしまった。
真っ赤になったメイドを見て笑ってしまったのは内緒だ。
「こっち、こっち」
ハンクは執事のレイダーを連れてきた。
さすがはハンク、最高責任者をチョイスするとは見事なものだ。
「立てないようだ、おんぶしてやってくれ」
「かしこまりました」
顔を真っ赤にしたメイドをおんぶして、レイダーは何も聞かずに去ってゆく。
見えないところまで行ったら、メイドが話すだろう。
「ハンク、レイダーを連れて来るとはえらいな」
「へへへ」
「よし、今度はハンクが飛ばす番だ」
「はい、お兄様」
にぎやかなアイスラー家の庭先、竹トンボは夕焼雲が赤く染まるまで空を舞っていた。




