第15話 ハンクの風邪
試験が間近に迫る頃、マロンが金貨一枚を持ってやって来た。
「ルーラァ様、とりあえず今年の分でございます」
「今年の分? 毎年持ってくる気か?」
「無論にございます」
当然という顔をされても困るのだが、予定が狂った。
お金はもっと後だと思ったし、戦争は勝つと思ったし、試験は来年だと思っていた。
ここが人生の分かれ道だと、俺の感が告げている。
へへー、なんかかっこいいねえ。
まあ、伊達に年食っちゃいない。男はこうでなくっちゃ、な。
とは言うものの……。
「うーむ」
「あの、何か?」
「ああ、なんだ、収穫大変だっただろう?」
とりあえずごまかした。
「そこは、奴隷たちがおりますので」
「奴隷がいるのか?」
「はい、それが何か?」
まいった、奴隷問題もあるのか。
奴隷が悪とは言い切れないんだよな。
悲惨な目に合っている奴は例外で、ほとんどの奴は言われた事さえやっていれば食いっぱぐれが無いから、結構満足しているんだよな。
特に戦争の後じゃ食料不足は目に見えているし、餓死するくらいなら奴隷の方がまだましという物だろう。
米の収穫量は小麦の十倍というし、集団農法ならなんとかなるかもしれんな。
どんなに美味くても、家畜の餌と思われてるなら対外的に問題はないだろう。
しかし、彼らが独立しないと発展していかないんだよな。
「うーむ」
「ルーラァ様?」
「少し黙ってろ」
「はい」
「うーむ」
「…………」
「うーむ」
「…………」
「うーむ」
「…………」
「くー、すー、すー」
『目が覚めたら、見知った天井だった』
い、いかん、難しい事を考えすぎて眠ってしまった。
「アン! アン?」
「はい、ただいま」
「マロンはどうした?」
「明日、改めてお来しになられるそうです」
「そうか、爺さんは?」
「ドーマ侯爵はお昼までいらっしゃいますが、体調が思わしくないのであれば、今日はお休みされてはいかがでしょう?」
「大丈夫だ、すぐに行く。そうだ、午後も爺さんと話がしたいから、レイダーに休むと言っておいてくれ」
「はい、ルーラァ様」
当初は貿易船を作って、南方の島からゴムの輸入をさせる予定だった。
馬車のゴムタイヤは無理でも、シートにしたかった。
貴族の馬車から初めて、荷馬車の御者台までいけるから需要は大きい。
それに、あの弾力を知ったら他の馬車には乗れなくなるだろう。
ひと財産は築けるはずだと思っていたのだが、今はそれどころではない。
とりあえず人と食料が先だし、できれば奴隷も何とかしたい。
奴隷廃止は国家の基盤だから無理だろうが、少しでも何とかする為には爺さんの知恵がいると思ったわけだ。
だが、その日爺さんは泊まる事になった。
そのくらい白熱した議論が交わされた……ら、良かったんだがなあ。
夜が更けると、人が話しているのに寝ちまいやがった。
全く、肝心な時に役にたない。
とはいえ、考えてみれば、年とりゃこんなもんだった。
翌日、マロンが来た。
昨日の事を詫びたうえで、事細かに指示を出した。
まず、儲かったお金で奴隷、出来れば子供を集める。
次に、集団農場を運営しながら稲作を教える。
更に、優秀な者は奴隷解放し、新しく開墾した土地で自立させたうえで、米は買い取ってやる。
最後に、アイスラー侯爵領で行う。
奴隷は解放しても何をしていいのか分からず、結局浮浪者になってしまう。
頑張れば奴隷の身分から解放され、更に独立まで出来ると分かればむちを使わなくてもよく働く。
将来米を大量に扱えば相場を左右出来、膨大な利益が上がる。
爺さんに後ろ盾になってもらえばトラブルが回避できるし、将来俺が領主となった時には今より豊かなアイスラーとなっている。
説明を終えた俺にマロンが言った。
「ルーラァ様はおいくつですか?」
「へっ? 十一歳だけど」
「いやいや、とてもそう思えなくて申し上げたのです」
「俺はブルーノとカロリーネの子だ、これくらい当然だろ」
「はあ」
「だいたいマロンが人の事を言えるか?」
「えっ? 私がでございますか?」
「ああ、俺みたいなガキの言う事を真に受けて独立はするし、大金まで返しに来る。俺には到底真似が出来んぞ」
「恐縮ですが、人を見る目はあるつもりですので」
ふーん、うまい褒め言葉だ。さすがは商人だけのことはある。
「そうだ、もう一つ」
うろ覚えだったが、回転式脱穀機ともみ殻の分離装置を図にして渡した。
更に、稲わらを使って、縄や草鞋、ゴザや籠などが作れる事も教えてやった。
これらを自分達で作れれば、生活が格段に良くなるはずだ。
「だいたいこんな形だが、工夫して作れ」
「分かりました」
「酒は、もう少し我慢するか」
マロンを帰した後でつぶやき、その後はレイダーと特訓だ。
何しろ試験が迫っているのに昨日はお休みしたからな。
気合を入れ直して庭に向かったが、そんな事より、いや、稽古は大事だが、それより大変な事が起きた。
ハンクが熱を出したのだ。
風邪薬なぞ無いのは勿論だが、やってきた医者がまたむごい。
瀉血とかいうらしいが、血を抜いて終わりだ。
腫物の膿を出して治療するように、悪い血を出すのだそうだ。
まったく、血液検査でもするのかと思った俺の期待を返せってんだ。
ともかく、熱が引かなきゃ命を落とす。おまじないだと言って、治療の魔法を唱えてみたが駄目だった。
それに、会えたのは一度だけ。
お世継ぎ(?)の俺に風邪をうつすわけにはいかないのだろう。
だが、風邪ならまだしも、悪性のインフルエンザならハンクが危ない。
どうする、どうする、どうする。
部屋に戻された俺は熊のように歩き回っていた。
そして閃いた。
止めようとするメイド達を突き飛ばしてハンクの部屋に飛び込んだ。
ハンクのそばにかけより、すぐさま魔法を唱えた。
「病原菌は全て『死ね!』」
そして俺は気を失った。
『再び、目が覚めたら見知った天井だった』
菌がどれほど小さかろうと数十万単位、そりゃ気絶もするわな。
死ななかっただけ、もうけものだったかもしれない。
ハンクの熱は下がったらしい。
ブルーノとお母様が何やら騒いでいるが知らん。
ハンクが無事なら後はどうでもいい。
安心したし、もう一度眠る。
「おやすみ」