第七話
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工房を出て、ホグワールさんのお店などがある町側とは反対の方角を下ります。
この先をもっと西下していくと蒼く蒼い海に出ます。
漕ぎ屋の人に頼めば島から島へと渡る事も出来ますね。
えっと、取りあえず、歩きながら地図を広げて見ても、残念ながら具体的な場所が大雑葉にしか書かれていません。
具体的なのはその内部、洞窟…でしょうか?
具体的と言っても、この内部の詳細もかなり大雑葉です。
意地が悪い師匠ですが、こんな書き方をするでしょうか?
何か字が汚い気もしなくはないですが、それも含めて簡単に辿り着けないようにする為の細工かも知れません。
何て言ったって意地が悪いですからね。
地図を仕舞って、坂をぐんぐん下ります。
大体何で師匠はこんな高地に居を構えたんでしょうかね?
師匠自身は飛んで帰って来るそうですが、私はこの逞しい二本足での徒歩ですよ、徒歩!
そのお陰か知りませんが、備わった無駄な脚力。
足の速さと持久力には自信あります。
今の所、師匠の魔の手から逃げる為ぐらいにしか活用してませんが…。
「あ―――………」
ふと、見上げて見ると、こちら側が西の方角なので、僅かな赤みが遠方に差しています。
見えるは地平線に八割程埋もれた夕日の姿。
自然と、足が止まりました。
「綺麗…………」
高地にいるお陰で、まだ先にあるこの海を一望出来ます。
そう、高地でしか見えない景色が、今のこの景色。
この角度から見る地平線はとても美しく、その下には黒にも似た赤が広がっていきます。
漕ぎ屋の人は、まだ働いているんですね。
明かりを燈しているのでしょうか、オレンジに似た光が点となって見えています。
「そう言えば、夜のオディールの景色を私は知りませんね」
夕方に外出する事すら稀です。
師匠が門限を定めていまして、その時間を一秒でも越えてしまうと………ぉぉぉ………。
あ、でも夜に外出する機会はあるにはあったんですよ。
オディールには毎年八月に "水霊降ろし" と呼ばれるウンディーネを崇める為のお祭が昼夜中行われます。
ウンディーネと言えば水の聖霊ですね、信仰も深く "水霊の都" と呼ばれるオディールならではです。
かつてオディールが大規模な水害に見舞われそうになった時、どこからともなく現れた魔法使いがオディールを守ったと言い伝えられているそうですよ。
その当時、水の国に魔法使いなんて存在は確認されておらず、人々はこの魔法使いこそ水の聖霊である "ウンディーネ" だと今に至るまで伝わってしまっているみたいです。
わたしは出身がディレイなので "水霊降ろし" なんて今まで存在すら知りませんでした。
以上の事は師匠の受け売り。
水の聖霊ウンディーネ
別名 "大魔法使い"
凄いですよね、ウンディーネ
町一つを丸ごと守れるその魔法の力、わたしにちょっぴりでいいので分けて欲しいです。
―――おっと話が逸れましたね
そのウンディーネを奉るお祭りを去年、師匠と二人で行く約束をしていたんですけどね、その一週間ぐらい前から、師匠は仕事に駆り出されていてついぞ行く事は叶いませんでした。
別段、約束の反古はどうでもよかったです。
師匠は水霊降ろしの二日後にヒョロリと帰って来ました。
全くの無傷でホッと胸を撫で下ろしましたが、愛用の黒い外套を洗うと、水が真っ赤に染まってビックリ。
オディールは平和です、故郷のディレイも同様。
でもわたしが見えない所では小さな争いが起きています。
この世界はですね、巨大な二国間での領土争いが何十年も続いてるそうです。
ここ数年は停戦中となっているらしいですが、
教科書で見て、先生に聞いた程度の知識ですが、オディールやディレイなどの町があり、今わたしが立っている、この大地の名を " サアカウマダ "
隣国とでも言いますか、そのサアカウマダと同等、いやそれ以上の領土を持ち、世界の半分以上を納めている武力大国を " ズィーツホイ "
この二国は俗に火の国、水の国と呼ばれています。
北のサアカウマダ、水の国。
南、火の国、ズィーツホイ
わたしは火の国には一度も渡った事はありませんが、夏はとんでもなく暑いそうですよ。
そんな場所が、この地平線の向こう側にあります。
今、この夕日を、わたしと同じように見ている火の国の人だっているんです。いる筈です。
……………
……………
……………
「地図によると、この先が入口らしいですが、
えー、どう見ても茂りまくりの未開道ですよ………」
美しい夕日の地平線に別れを告げたわたしは、更に斜面を下り、時折通り過ぎる顔見知りの方に挨拶しながら地図の場所を探し歩きました。
そして今、漸く地図の場所を知らない理由に気付きます。
だって、この先はもはや道じゃないんですよ。
鬱蒼とした草木を分け入って無理やり進まないといけません。
そりゃ見覚えない筈ですよね。
そんなヤンチャな経験、少なくともオディールではないと断言出来ます。
故郷のディレイでは―――まぁ、ちょっとはあったかなぁ…
「ムギィ………、ヤバイ! 結構ハードッ!」
小枝を踏み付け、スカートやタイツがビリビリと裂かれているのを黙視しながら、わたしは猛然と茂みを突破して行きます。
「うぁちッ…!?」
突如、視界の外側から襲った一本の枝が、頬を掠めました。
確認の為、手で擦ると、なんと薄く血が出てます。
無言でボキッとその枝を折って、無造作に投げ捨てました。
「フフフフフ………」
他の人から見ると今のわたしはさぞ不気味に映るでしょうね。
しかし、こうして口元が綻ぶのは理由があります。
―――こうでなくては。こうでなきゃいけません。
師匠が用意したミッション?が安々とクリア出来ない事ぐらい初めから分かりきっていました。
もしかしたら行き着く場所に秘書なんて物はないのかも知れません。
弄ばれているだけなのかも知れません、が―――上等ですよ。
困難なら困難なだけ、燃える女です。ええ、わたしは!
本当にそんなものがあるなら、それに越した事は無し!
ないならないで『ちょっとしたアスレチック気分を味わえましたありがとう師匠しね!』ってなだけです。
そんな訳で、入口手前でリタイアなんて、ディレイではお転婆と呼ばれていたこのわたしのプライドが許しません。
何ですかこんなの!
未開道なんてわたしが開拓していけばいいんですよ!
あ、痛い、いたたたたいッ!
うわっ、なにこの蛇ッ!?
ぎゃあああ!蜂の巣が!?
ひえええ!? こ、これ! 底無し沼ァ!!!
……………
……………
……………
「ハァ………ハァ………」
ぐふっ…
おェェ…
漸く、漸く、です。
認識が甘かったのは、そうですね、認めます。
ですが、何とか辿り着けましたよ。もう涙目ですけど。
途中で視界が完全に暗くなりましたので、師匠から頂いた、この光が燈る時計を頼りに手探りで進んで来た次第です。
そう言えば道中クマっぽい獣に襲われましたね。
ビンタで撃退しました。
キャンキャン言って逃げて行きましたよ。
「フー………、お転婆の看板は今夜限りで下ろしますか…」
肩で息をしながらも、やっとこさ開けた場所に出られたわたしの眼前には、岩だった崖がデーンと聳えています。
時計の明かりで照らしていくと、その崖の下には、ポッカリと、いかにもな空洞がわたしを手招きするかのように口を開けて待っていました。
「ハァ………て言うか、わたしは何をしているんでしょうね」
服も体もズタボロになりながら、道じゃない道を今しがた無理やり通り抜けました。
えっと今日は、朝早くに魔法の訓練をして、結果が芳しくなくて工房を飛び出して、
テレサレッサとメドゥーサに会って、彼女達の溢れる優しさに感涙し、魔法を使えるようになると熱く誓って、仕事に遅刻して――――――
ああ、もうっ!
前言は撤回です。
これで何もないようなら、師匠にはわたしの必殺ビンタで御臨終してもらいますよ。
「取り敢えず、洞窟に入りましょう、だって寒い!!」
今の季節はまだまだ冬。
僅かばかりの暖かさを齎してくれた太陽さんは裏側へ行っちゃいましたので、ググッと気温が下がっています。
か弱き乙女は寒さに弱いです。
ようするに、切れた服の隙間から入ってくる冷風がとにかく寒いんですよ!
そんな事情もあって、ろくに安全確認もせず、わたしは目前の洞窟へと入っていきました。
「うわ〜………」
思わず苦笑い。
中は予想通りの真っ暗です。
分かり切っていた事なので、時計を照らしながら歩きます。
てか寒いです。外より幾分かマシなぐらいでしょうか。
「いよいよ冒険じみて来ましたね…、お弁当作ってくれば良かったです」
そんな軽口を一人で交わしながら、ゆっくりと歩きます。
洞窟内は保々直線ですよ。
時計の光で道を確認しながら進んでいますので、わたしの歩く早さはとても緩やかです。
地図を取り出して確認した所、入口を入ってすぐ、扉らしきマークが書いてありますが、
今の所、特にこれと言ったものは―――ああ、ありました。
それはここには不釣り合いと言えますし、相応しいとも言えなくもないシンプルなチョコレート型の風体で、細々と存在していました。
見つけられたのは、辺りを探りながら歩いたお陰ですね。
そうでもなければ、完全に暗闇に溶け込んでいて、余裕で見逃してます。
あ、今『扉なら見逃す筈がない』って思ってますか?
そうですね、普通なら見逃しようがないですが、この扉は既に開けられていて、壁側に引っ付けられています。
完全に壁の背景ですよ、どうしましょう、閉めましょうか? 寒いですし。
………閉めたはいいけど開かないなんて有りがちなオチは御免ですので、止めときますね。
さて、扉はそのままで、変わりなく進みましょう。
入ってから結構歩いた気もしますが、曖昧ですね。
後ろを振り向くと、包み込む程の真っ暗で、今まで来た距離なんて計りようがありません。
「あ………」
暫く黙って足だけを動かしていると、ふと、前方に如実なる小さな変化が現れました。
それは、進めば進む程に大きな変化に変わっていきます。
「おおッ、明るいッ!」
そうです。光! オレンジ!
最後は走って行って、その光を周囲にスッポリと納めました。
この光の出元は、両壁際に並んでいるランプですかね?
そのランプにはガラスで囲ってますね。
途切れないように先の先まで、規則的な距離間でズラーッと並んでいますよ。
それともう一つ!
今、寒いと感じません。どちらかと言えば暖かい方です。
このランプのせいなのかは分かりませんが、わたしが快適と思えるぐらいの常温がこの空間で保たれているようです。
「フー、………どうやらゴールは近いみたいですね」
少し疲れたんでしょうか、軽く吐いて息を整えます。
そうしていると、知らぬ第三の変化にわたしは気付きました。
「何でしょうこの香り…、どこかでクッキーでも焼いているんでしょうかね?」
感じたのは、匂い。
どこか甘ったるい香りが、鼻から入ってきます。何でこんな匂いがするのでしょう?
うぅん、つくづくよく分からない場所ですね。
ただこんなにも怪しいと、秘書なんて物さえ現実味を帯びてきたように思えます。
「大分進みやすくなりましたね、ここからは一気ですよ!」
お役御免となった時計を仕舞うと、わたしは再び、洞窟の中を進みます。
やはりこう明るいと、今までのような歩き辛さ、進み辛さによる倦怠が全くありませんね。
不気味な感じは未だに消えませんが、さっきよりは大分マシってものです。
「おっ………?」
暫くすると、漸く道筋にも変化が訪れました。
十字路です。右、左、真正面と道が分かれています。
立ち止まり、すぐに地図を確認しましたが、何かグチャグチャに書かれていて、ここから先、どこをどう進めばいいのか全く読み取れません。
なにこれ、この地図って存在する意味あるんでしょうか?
さて、右、左、真正面。
どうしましょうかね。
こーゆー時は―――勘ッ!
「ひたむきに真っ直ぐ! コレわたしの信条!」
取り敢えずは真っ直ぐ進んでみましょう。
ダメなら戻って、他の道に進めばいいだけですしね。
「―――ありゃ? また十字路ですか」
これは、正解の道…だったのでしょうか?
真っ直ぐ行った先には、また十時に道が分かれていました。
次は…、そうですね、右に進んでみましょう。
「また………」
進んだ先に十字路。
今度は左に行きます。
「何ですか、これ………」
やはり待ち構えていた十字路。
道が分かれすぎですよ。どこの迷路ですか…。
ん? 迷路?―――
「あ、ヤバッ!」
急いで来た道を戻ります。
このまま適当に進んで行くと絶対迷子になりますから!
十字路を二、三程しか進んでなかった事が幸いでした。
特に苦もなく一本道へと舞い戻る事が出来ました。
しかし、これでは先に進みようがありません。
どうするか、どうしよう?
腕を組んで考えていたわたしの視界に、先端が少し尖った石コロが入りました。
わたしはそれを拾い上げて、掲げて見ます。
「こ、これだ…! 十字路に来たらこれで壁を傷付けて目印を!
流石わたし! 神懸かり的な幸運ッ!」
行き詰まっても、割と簡単に突破口が見つかる辺り、わたしはどこかの神様に好かれているようです。
いやぁ、モテる女って辛いですよね。
よし、アズサ、アイテムゲット! 尖った石コロ!
以後、わたしはこれを使って、十字路の近くに来たら壁に傷を付けて目印を残す事で着実に進んで行きます。
案の定、行き止まりや、同じ道に戻って来たりもしましたが、目印のお陰で別段混乱はありません。
時間が掛かりますが、徐々に道は絞られていきます。
「フフッ、何か楽しくなってきましたよっと」
ガリガリと傷を付けながら、わたしは二十八回目の十字路を右折しました。
テンポよく進んでいる感じがして、とても気分がいいです。
外の濃厚アスレチックさえなければ、愉快な遊園地みたいなものですよ。こんなの。
さて、次の十字路はまだですかねぇー?
そろそろ終わってもいい頃だと思いますけど、まだ続きそうな気もしますね。
「あー、ハズレでしたか…」
ガックリと肩を落とします。
目前は、少し丸まっている岩で行き止まり。またさっきの十字路に戻って、違う道を進まないといけません。
「…サイ………」
うーん、行き止まりはこれで八回目です。
と言うか、ここの造りはどうなっているんでしょうね?
明らかに広すぎですよ、異次元ですかと突っ込みを入れたいぐらいです。
憎らしい、行き止まりの岩に向かって、ベー!をして踵を返しました。
『サイ………サイ………クサイ………」
ああ〜ん? 誰に向かってクサイですか。超失礼ですね!
わたしはキチンとお風呂に入ってますし、めっちゃ清潔です!
今は、色々あって不潔かも知れませんが、それでもクサくはないです。
心外! デリカシー零!
ま、言われてみると確かに沼に落ちたり何やらしました…。
そうですね、帰ったら速攻でお風呂に直行ですかね。
晩御飯なんてその後でも十分ですよ。―――ん?
クサイ?
あれ………?
………誰が………
クサイって………?
「………………」
い、嫌っ、振り返りたくない。
振り返りたくはないけれど、確認しなくてはいけないと、内なるわたしが叫んでいます。
ドクンドクンと鳴る鼓動を抑え
あるだけの勇気を振り絞り
わたしは、恐る恐る、後ろを振り返る事にしました。
そこには、
丸まった岩がある"だけ"です。
―――だけ、ですが、
今は、上ら辺に、何か赤いのが二つ見えます。
キョロキョロ動くそれは、やがてこちらをジッと見つめたまま動かなくなりました。
その光景に、わたしは苦笑いしか出来ません。
『………サ……サ…サイ……クサ…イ…クサ…サ……――――サ………』
その譫言が聞こえる度に、丸まった岩から、謎の砂がズサーっと噴き出します。
「うわぁ………」
ズズズ…と、地面が揺らぎました。
無論、地震じゃありません。
原因は、この巨体が動―――
次に聞こえる筈だった、雷鳴の如き轟音を聞き届ける前に、わたしは全速力で、今来た道を逆走し始めました。
ゴゴゴゴと唸りを上げ、わたしの後ろをさっきの岩が、何やら凄い勢いで転がって来ます。
き、きき気のせいではありません、何かその岩全体からは、赤々しい炎が立ち上ってます。
「ク、サクサイ、ク、イクササササクサク、ササ、イササ、イクササク、サク、サクサ」
転がる音が、わたしの鼓膜を激しく打ちます。
じ、冗談じゃありません! あんなのに、あんなのに追い付かれたらッ! 潰―――
わたしは見えてきた十字路を、ろくすっぽ考える暇なく、身体ごと捻って左折しました。
願うのは、あの岩がこのまま真っ直ぐ行ってくれる事!
「ひ、ひぃぃぃいいい!!?」
しかし炎岩はぬるりと巨体に似合わぬ華麗な方向転換で、わたしを追尾するよう転がって来ます。
よく分からない間に始まった命賭けの全力疾走。
わたしは次の十字路を右折しました。
轟音のまま炎岩がそれに沿ってきます。
「な、ななな、なにアレなにアレあにアレ!?!?
ちょっとォォオオオ!!!
し、師匠ぉ! しッ………師匠ぉぉおお――――ッッ!?!??!」
は、拝啓、お母さんッ!
先立つ娘の不幸をぉぉぉぉ!!!
許しッ、許っ、うひゃああああああああ!!!?