第五話
◆
「あら、もうこんな時間ですわね、帰りますわよメドゥー。
シスタージェネシスにこの無断外出がバレますと、今度こそ退学物ですわ」
他愛の無い談笑、陽の光に微かに赤みが射した頃合に、テレサレッサが腕に嵌めている菱型の時計らしき物を見ながらそう呟きます。
釣られるようにして、わたしもポケットに入れていた時計を取り出して見ると、時はもうすぐ夕刻を示していました。
「ご機嫌よう。四の十一はわたくし達も入学試験を見学させていただきますわ」
「頑張ってね、アズサ!」
魔法学校、―――特に一塔の見習い魔法使いはこうして外に出る事も一筋縄ではいかないと聞きます。
二人はそれ程のリスクを犯してまで、こうしてわたしに会いに来てくれました。
今更、その事に対して『ありがとう』と言うのは野暮かも知れませんね。
「頑張りますよ! 次に会う時は必ず魔法を使えるようになっていますから!」
だからわたしは精一杯のやる気を見せて二人を見送ります。
気持ちに応える事が、彼女達へ今わたしが出来る僅かなお返しです。
二人は桟橋の下の道と上の道を繋ぐ段を昇っていきます。
それをわたしは何をするでもなく、彼女達が視界から消えていくまで見ているつもりでした。
ですが二人は段の中程で立ち止まってしまい、そこから一歩も進みません。
何事かな?と首を傾げると、どうやらテレサレッサが前を行くメドゥーサの肩を掴んで止めているみたいです。
「なに? テレサさん?」
「………貴女、アズサに肝心な物を渡し忘れているんではなくて?」
突然メドゥーサは『あ!』っと素っ頓狂な声を上げ、テレサレッサの脇を擦り抜けて段を下り、わたしの元へと走ってきました。
「アズサ、はいこれ」
少し息を乱しつつも、万遍の笑みを携え、メドゥーサはわたしに小さくて丸いリング状の物体を差し出しました。
何を考える訳でもなく、わたしは彼女の掌にあるそれを受け取って見てみます。
「これは……指……輪……?」
うん、指輪ですね。
外側に何やら文字が掘ってありますが、小さい上によく分からない文字です。
何でしょう? 意図は分かりかねますが、二人がわたしに用意してくれたプレゼントである事は察しました。
外装も無く、剥き出しで、何か所々錆び付いているのが少々気になる所ですが…。
「それは二塔2位『商人』と呼ばれる魔法使いから購入した魔装具ですわ」
「商人…ですか?」
声のした方向に振り向くと、調度テレサレッサも段を下りてきている所でした。
「マジックアイテムを作ってる魔法学校内でも腕利きの魔装具職人なんだよ。
その人は他の魔法使い達にそのアイテムを密売したりしてるんだ、それでね―――」
目前のメドゥーサが次々と言葉を発して、尚も話を続けようとしていますが、ちょっと…、ちょっとだけ待ってください。
話を整理すると、この指輪は二塔2位の人から二人が購入したものらしいです。
学生同士の売買は厳禁と聞きますが…、ってそんな事は今はどうでもよく、
「あ、あの―――」
「お金の事なら気にしなくていいんですの。悪いと思うなら大人しく受け取りなさい」
わたしが言いたかった事を封殺する形でテレサレッサがそう告げたので、わたしは何も言えなくなってしまいました。
「あのねアズサ、この指輪はね―――」
〜二十一日前〜
魔法学校二塔某所
『ふぅ――ん、魔法の成功率を上げる、魔装具ねぇ―――』
『そ、そそそうです………、あ、あ、あああありますか? ああああありませんよね? ごめんなさい帰ります』
『落ち着きなさい、蛇』
『う―――ん、そうだね―――、そう―――、だね―――』
『ああっもう! じれったいですわね!
あるんですの!? 無いんですの!?』
『あるよ―――、うん、あるにはあるけどねぇ―――、
う―――ん、ソイツに渡しても意味無いんじゃないかね?―――』
『ど、どうして?』
『ソイツが魔法失敗する原因―――、本当に確率かな?―――』
『運に決まってますわ。その子にはちゃんと魔法使いの素質があるんですもの。
だからきっと魔法成功率が極端に悪いのですわ! 頭も悪いですけど!』
『うん―――、いや頭の方はどうでもいいけどさ―――、
うん―――、よしよし―――、分かった―――』
『では売って下さるのですわね?』
『ウチはたっかいよ?―――』
『オホホホ、名高き二塔2位ともあろう方が、一塔のうら若き後輩の足元を見ようなんて、わたくし全く思いませんわ』
『え―――、なにコイツ―――、ブチコロシてぇ―――』
『わわわわわ、テレサさん! 二塔2位を怒らせないで!』
『言い値で売って下さいまし』
『シネよオマエ―――
ん―――まあ―――、教師の目を盗み遥々二塔に来て―――、こうして私を探し出せた―――、
その勇気と行動力と運を過大評価して―――、
うん―――、"今回は" 特別サービス―――』
『まぁ♪ 話が分かる先輩で大変助かりますわ』
『その縦ロール燃やしてやろうか?―――、
うん―――、まぁいい―――、魔法成功率を上げる道具だったな―――、ならこれが良いと私は思うよ―――』
『これって、………この古臭くて安っぽいガラクタの事ですの?』
『ちょ…テレサさんテレサさん、言っちゃいけない事ってあると思うよ?
シィーだよシィー』
『貴女は少し黙ってなさい』
『古臭いとか言うな―――、年代物と言えよ―――、あとガラクタじゃねぇ―――』
『このガラクタみたいな指輪を嵌めれば、魔法が使えるようになりますの?』
『さぁ―――? 生憎保証は出来ない商売だからね―――、
で―――、商品の説明に移るけど―――、ソイツは "マガラーニャの指輪" と呼ばれてる―――、
嵌めるとエーテルと身体をより繋げやすくする便利な魔装具さ―――』
『マガラーニャ?』
『うん―――、製作した魔法使いの名だ―――、
マガラーニャは魔法使いとしては凡才だったらしいが―――、魔法道具製作に関しては―――、飛び切りの偉才を放ったそうだよ―――』
『この指輪が、その偉才の作品って訳ですわね』
『ああそうだ―――、さっきの話だが―――、マガラーニャは魔法の才が無い―――。
だから彼はこの指輪を装備して戦っていたそうな―――、
魔法を失敗する事も多々あったマガラーニャは―――、これ以降―――、魔法を失敗する事は死ぬまで無かったそうだよ―――』
『これが………、とてもそんな凄い物には見えませんわね』
『周りに何かよく分かんない文字が掘ってあるだろ?―――、それの影響なのは明白だが―――、この文字の意味や羅列の規則性は―――、マガラーニャが亡くなった今となっては―――、知る術がないらしい―――』
『で、これは御幾らですの?』
『そうだね―――、ざっと―――、これぐらいかな―――』
『なッ!!? 高ッ! 何がサービスだ! 高けェよボケ!!』
『うわぁ―――、地が出た―――、コイツ今までの御嬢様口調―――、全部演技だ―――』
『え? オホホ、わたくし今何か言いまして?』
『うわぁ―――、言い逃れしようもないのにシラを切るつもりだよ―――、こえ―――、最近の一塔の奴らこえぇ―――』
『いいから! もう少し都合つきませんの!?』
『分かった―――、分かったから私の身体を揺さ振るな―――、
私は天然モヤシっ子だからポキッと逝っちゃう―――、
ああっ―――、分かった―――、ならばこれでどうだ?―――、
一塔のガキでもこれぐらいなら出せるだろ?―――』
『まだ存分高いですが、出せない額ではなくなりましたわね。
メドゥー、貴女はどう思いますの? ………メドゥーサ?』
『ボクもう喋っていいの…?』
『えぇ、貴女はこの指輪をどう思いますの?
わたくしはこれをあの子に差し上げてみようと思ってますわ』
『いいと思うよ…。この指輪の中を魔力が流れてるのを感じる………、効果はどうあれ全くのまがい物では無いと思う』
『当たり前だ―――、こちとら信用が第一だからな―――。
あとそれ―――、小指に嵌めるものだから―――』
『では、これを頂きますわ』
『毎度―――、うん―――、出血サービスは今回だけだ―――、覚えときな―――』
『………そうですわね、次は二塔に上がれた時にでもタップリとサービスして貰いますわ』
『うん―――、いいだろう―――、その高飛車なツラと縦ロール―――、忘れるまでは覚えといてやるよ―――』
『帰りますわよ、メドゥーサ』
『さ、さようなら商人…』
『ああ―――、二塔の腐れ野郎共に見つからないように帰れよ―――、
うん―――、ミス "サンライト" に宜しくな―――』
『………わたくし、アズサの名を貴女の前で出しまして?』
『ああ―――、出した出した―――、さぁ帰れ帰れ―――、
私はこれでもとても疲れているんだ―――』
〜回想終了inテレサ脳内〜
「………二塔の『商人』………」
メドゥーサの話に耳を傾けて、この指輪の経緯は逐一把握出来ました。
これがその、マガラーニャの指輪ですか。
エーテルと精神の繋がりを高める魔装具だそうで。
金額とかその辺の所は聞かされる事はありませんでした。
改めて指輪を見てみると、普通の指輪とは異なる何かしらを感じるような、ないような…。
正直に言うと、わたしには見ただけでは分かりませんが、メドゥーサが目利きしている以上、期待の効果が現れそうな気がします。
「………もしかして、二人はこの指輪をわたしに渡す為に、今日ここに?」
「もしかしなくてもそうですわよ」
「本当はもっと早く渡したかったんだよ。でもあの夜の帰りにシスタージェネシスに見つかっちゃって…」
最近まで全く自由行動が許されなかった、と二人して口を揃えて笑います。
「うっ………」
その光景を見ながら、わたしはさっき締めた筈の詮が緩み始めているのに気付きました。
ですが、それを我慢しようなんて気すら起きません。
「ちょ、何を泣いてますの!?」
「ア、アズサ…!?」
わーわーと慌てふためく二人を余所に、わたしは暫くの間、感謝の言葉と嬉しさから来る涙を止めませんでした。
メドゥーサが差し出してくれた青いハンカチで鼻を噛み、ようやく涙腺の詮が締まります。
思わぬハンカチの使われ方に『うわぁ…』と苦笑いしていましたが、無論洗って返しますよ?
「全く。御泣きになるのは合格してからでしょうに………。
―――ともかく、わたくし達にここまでさせたんですから、嫌が応にも合格してくれないと困りますわね」
「バイバイアズサ…。入学試験見に行くからね。
絶対合格出来るよ、合格してね?」
わたしに向かい、二人は彼女等らしい激励を述べて、今度こそ段から桟橋、そしてその桟橋を越えて、その先にある魔法学校へと帰っていきました。
今日、二人にはとても大きな借りが出来ましたね。
これは魔法使いになった時に利子を付けて倍返してやるつもりでいます。
―――さて、わたしもそろそろ帰りましょうか。
そう言えば師匠の工房を飛び出して、結構な時間が経ちましたね。
「あ………!」
改めて時計を見てみると、雑貨店でのお仕事の時間が近いです。
いや、近いと言うより、幾何と考える余裕すらありません。
「うわあああ! ヤバイヤバイ」
急いで目先にある段を二個飛ばして駆け上がり、秘密基地を後にしました。
泣いても笑っても後二ヶ月。
もうここに来て、甘えるのは止しましょう。
癒しはもう必要ありません、必要なのは合格と言う結果だけです。
わたしの右手小指には今、錆が僅かに付着している不格好な銀色の指輪があります。