乙女は侯爵様に恋してる~異世界転生しました・・・って男の子!?しかも女装してお嫁に行けってマ!?~
地下アイドルグループ『にゃんにゃん倶楽部』のセンターとして活動していた諸星詩織は、ステージの上ではいつだって笑顔を崩さない少女だった。
小さなライブハウスに集まる数十人のファンの歓声を聞きながら、いつか大舞台へ立つことを夢見ていた彼女は、決して順風満帆とは言えない環境の中でも懸命に努力を積み重ねていたのだが、その夢はあまりにも突然終わりを迎えることになる。
ライブ終了後の帰り道、人気の少ない路地を歩いていた詩織に一人の男が近付いた。何度も握手会へ現れ、異常なほど執着を見せていたファンだった。男は震える声で何かを叫び、詩織が後退った瞬間、銀色の刃が街灯の光を反射し、そのまま彼女の胸へと突き立てられた。
冷たい。
それが最後の感覚だった。
そして次に目を覚ました時、彼女は巨大な天蓋付きベッドの上にいた。
見知らぬ天井。
見知らぬ部屋。
見知らぬ声。
「ジェニス様!」
慌ただしく駆け寄ってくる使用人たち。
混乱する彼女の前へ鏡が運ばれると、その中には銀髪碧眼の美少女が映っていた。
ジェニス・アスラード。
それが今の自分の名前であり、この国でも有数の名門侯爵家の令嬢なのだと知るまでに数日とかからなかった。
転生。
それ以外に説明がつかなかった。
しかも前世の自分が憧れていたような乙女ゲームの世界そのままの貴族社会であり、驚くほど整った容姿と莫大な財産まで手に入れている。
最初こそ戸惑ったものの、詩織改めジェニスは少しずつ新しい人生を受け入れていった。
しかしそんな彼女を待っていたのは幸運ではなく、とんでもない災難だった。
「ジェニス、お願いがあるの」
ある日、母親が青白い顔で切り出した。
「実はあなたのお姉様がいなくなったの」
「え?」
ジェニスには双子の姉がいた。
ルシア・アスラード。
家督や政略結婚のために育てられてきた優秀な令嬢であり、ジェニスとは瓜二つの容姿をしている。
その姉が失踪した。
そして問題はその先だった。
「一週間だけでいいの」
母は涙目だった。
「あなたがルシアの代わりをしてちょうだい」
「意味が分からないんだけど!?」
後に判明することになるが、本来のジェニスは男だった。
双子の姉とよく似ていたため、幼い頃から冗談半分で女装させられていた過去があるらしい。
そして今。
失踪した姉の代わりとして。
ガレフ・スターランド侯爵との婚約を維持するため。
再び女性として振る舞うことになったのだった。
しかも一週間後には必ず戻るという書置きだけが残されている。
その一週間を乗り切ればいい。
そう聞かされたジェニスは半ば強引に豪華な馬車へ乗せられた。
そして到着したスターランド侯爵邸はまるで城だった。
広大な庭園。
噴水。
数百人の使用人。
さらに問題なのが。
イケメンだらけだった。
騎士団長の息子。
宰相家の三男。
王家と血縁の伯爵。
留学帰りの秀才貴族。
何故か若い貴族たちが多数招待されており、一週間にわたる交流会が開催されることになっていたのである。
ジェニスは頭を抱えた。
男であることが誰かにばれたら終わりだった。
「頑張ってくださいねぇ坊ちゃん」
後ろから耳元へ息を吹きかけてきたのは専属メイドのアリシアだった。
ジェニスが飛び上がる。
「やめろ!」
「ふふふ、相変わらず可愛い反応ですね」
彼女だけは事情を知っていた。
幼い頃からジェニスに仕えてきたためである。
そして。
困ったことに。
かなりのセクハラ魔だった。
「胸の詰め物ずれてませんかぁ?」
「触るな!」
「確認ですよぉ」
「どこを確認するんだ!」
こうして悪夢のような一週間が始まった。
初日から問題は発生した。
昼食会である。
貴族の令嬢は少食で上品に食べるものらしい。
しかし前世が庶民であり、さらに男として育ったジェニスは豪快に肉を食べる癖があった。
気付いた時にはロースト肉を三枚平らげていた。
周囲の令息たちが唖然として見つめている。
「ジェ、ジェニス様は健康的ですね」
「……ええ」
「実に頼もしいです」
「そうね……」
冷や汗が止まらない。
だがガレフだけは楽しそうだった。
黒髪の美青年でありながら妙に余裕のある笑みを浮かべている。
「無理をしなくていい」
「え?」
「好きに食べればいいだろう」
その視線がどこか意味深で、ジェニスは妙な居心地の悪さを感じた。
二日目。
庭園での散策中。
池へ落ちた猫を助けるため飛び込んだ令息を引っ張り上げた結果、あまりにも力が強過ぎて相手ごと池を飛び越え石像へ激突させてしまった。
三日目。
舞踏会の練習中に男性役のステップを無意識に踏み、相手の令嬢をリードしてしまう。
「何故そんなに上手いのですか?」
「えっと……夢で覚えた」
苦しい言い訳だった。
四日目。
朝風呂から出た直後に貴族たちと鉢合わせしそうになり、アリシアがとっさにシーツへ包んで救出する。
「危なかったですねぇ」
「本当に危なかったよ!」
「ちなみに坊ちゃんの腹筋凄いですよね」
「言うな!」
五日目。
女性向けのお茶会へ参加することになった。
刺繍。
紅茶。
恋愛話。
全てが苦手だった。
話題についていけず黙っていると。
「ジェニス様はどのような男性がお好みですか?」
危険な質問が飛ぶ。
ジェニスは固まった。
前世からアイドルだったため恋愛経験などない。
すると。
「その顔はガレフ様でしょう?」
令嬢たちが一斉に笑った。
ジェニスは盛大にむせた。
「なっ!?」
「図星ですわね」
「ち、違う!」
しかしその直後、窓の外を見るとガレフがこちらを見ていた。
しかも目が合った。
そのまま軽く微笑まれる。
何故か鼓動が速くなった。
六日目。
事件が起きた。
夜中に侵入者が現れたのである。
覆面の男たちが屋敷へ侵入し、貴族の誘拐を企てていた。
ジェニスは前世の知識と今世で鍛えた身体能力を駆使して応戦した。
だが夢中になり過ぎた。
侵入者を片手で投げ飛ばし。
机を持ち上げ。
窓から放り投げる。
「化け物か!」
盗賊たちが叫んだ。
しまったと思った時には遅い。
ガレフがすぐ近くで見ていた。
全て終わった後。
月明かりの庭園で彼は静かに尋ねた。
「君は誰だ」
ジェニスの顔から血の気が引いた。
終わった。
全て終わった。
一週間の努力が無駄になった。
そう思った。
しかし。
ガレフは苦笑した。
「いや、違うな」
「……」
「やはり君だったか」
「え?」
「最初から知っていた」
ジェニスは固まった。
「知ってた?」
「初日に分かった」
あっさりと言われた。
「食べ方も歩き方も全く違ったからな」
「……」
「むしろ何故隠し通せると思ったんだ」
ジェニスは膝から崩れ落ちた。
アリシアに協力してもらい必死に誤魔化してきた六日間が脳裏を駆け巡る。
「じゃあ俺は……」
「安心しろ」
ガレフは隣へ腰を下ろした。
「誰にも言っていない」
夜風が吹いた。
庭園の花々が揺れる。
しばらく沈黙が続いた後。
ガレフが呟く。
「私は最初、君の姉との結婚に興味などなかった」
「……」
「だが」
彼は笑う。
「今は違う」
ジェニスは何も言えなかった。
それは告白ではない。
だがそれに近い何かだった。
七日目。
約束の日。
双子の姉ルシアは本当に戻ってきた。
大騒ぎになったが、幸い家族は再会を喜び、代役作戦も無事終了した。
そしてジェニスは自室へ戻る準備を始める。
これで終わり。
そう思っていた。
ところが馬車へ乗る直前。
ガレフが近付いてきた。
「これを」
手渡されたのは小さな手紙だった。
「後で読んでくれ」
ジェニスは頷く。
そして帰宅後。
一人で封を開けた。
『君が男でも女でも関係ない』
『私はジェニス本人を好きになった』
『もし迷惑でなければ、今度は偽りの立場ではなく会いに来てほしい』
読み終えた時。
詩織だった頃にも感じたことのない温かな感情が胸に広がった。
アイドルとして生きた前世。
転生して始まった新しい人生。
そしてとんでもない一週間。
全てが予想外だった。
だが。
手紙を胸に抱いたジェニスの口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
おそらくこれは終わりではない。
これから始まる物語の、本当の第一歩だったのである。




