わずらう手
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ、3月に卒業式を行うっていうのは日本ならではだったのか。
アメリカやヨーロッパが5月から7月、オーストラリアは11月や12月。これらの国へ住んでいる人たちにとっても、日本の卒業式のタイミングて、妙なものに思えるだろうなあ。
同じ地球に住んでいるのに、こまごまとした違いはそこかしこにある。それらを全部受け入れられればいいけれど、自分と違うものは不可解で怖いという印象はなかなか拭えない。
はたからはささいな違いに思えても、それを受け入れられないばかりに大きな争いに発展してしまった例は、歴史上、枚挙にいとまがない。
共存共栄の道。こいつはまだまだ遠くけわしいのかもしれないね。理屈ではみんな仲良くしたほうがいいだろうに、感情その他をコントロールしておさえこむのは難しい。
理解しがたいものに対する伝説。単なる警鐘ばかりでなく、理解を深めたうえで、あわよくばうまいこと歩み寄れるきっかけにできたら素敵なのだけどね。
最近、この卒業に関しても、友達から聞いた話がある。耳に入れてみないかい?
突然だが、つぶらやくんは耳あかがボロッと大きくとれた経験はないかい?
鼻くそやへそのごまでもいい。身体がからめとり、排出しているものたちだよ。性質上、いずれもきれいとは言い難いが、身体を守る機能がしっかり働いているともいえる。
自分から掘り起こしにかかることもなくもないけれど、これらが意図せず、でっかい塊となって身体から離れる瞬間だ。
別に不潔さを叱責したいとかの、意図はない。仮にケアを欠かさない人だったとしても、これらはいきなり発生することがある。それが友達の「身体卒業式」と称する現象なのだとか。
身体卒業式は、汗とかほこりとか衣類の繊維とか、科学的にごもっともな物体によって起こるものにあらず。特殊な状態によって起こるものだという。
小さいころの友達は、夏にこの身体卒業式が頻繁に行われていたと話してたよ。
友達の悩みは頭のフケだった。彼の場合は頭を入念に洗ったつもりでも、風呂から出て数分後にはもう、頭をこすればぱらつきかねない体質だったという。
お医者様に診てもらう限りでは、特に異常らしい異常は見当たらず。個人の体質として我慢しなくちゃいけないのだろうか……となかばあきらめ気味でもあった。
それでも、自分なりになんとかできないかと思い、特徴をつかもうとした観察の結果、確信に至ったらしいんだ。
夏場は、ほかの季節に比べて数倍近い量のフケが発生する。
こいつらは頭をがしがしともみくちゃにする、などの意図的な髪の毛いじりをしない限りはめったに散りはしない。
でも取れるときは、ひとつひとつがはっきり「それ」と分かる大きさでもって降り落ちる。当然、目にする側からしたら気持ちいいものじゃなく、嫌な顔をされるのも仕方ない。
好きでやっているわけでもないから、心が疲れていく。だから、友達個人としては時の流れとともに、怨敵ともいうべき存在と化しつつあったとか。
そして、その夏は一念発起。
友達は生まれて初めて、自分の髪を丸坊主にした。似合う、似合わないは問題じゃない。
フケのよりどころとなる髪の毛。こいつをほぼなくした状態でこいつらがどのような動きを見せるか、探ってやろうと思ったんだ。これだけで防げる代物ならば、はなはだ不本意だけれども坊主頭をこの先続けることも辞さない。
頭を洗い、様子を見る友達。普段であれば、もう姿を見せてもいいフケたちだったけれども、様子見なのかちっとも気配がない。
――臆したか、情けないやつ!
フケが出てこないほうが良い評価をもらいやすいだろうに、友達は内心、さげすんでいたようだ。
環境によって出たり、引っ込んだりするなど、強者になびいて弱者をいたぶる、虎の威を借りた狐のごときもの。臆病者のそしりは免れない。
こちらはケリをつけるために恥も外聞も捨てたんだ。こそこそ逃げ回るなど言語道断。引き出して、叩きのめして、「まいりました、勘弁してくだせえ」と土下座させなきゃ気が済まない。
これまでは「出るな、出るな」と願掛けさえしたことがあるというのに、今は何もかも捨てた無敵の人だ。頭丸めて、手ぐすね引いて待ち受け続けていたという。
その挑発に、ようやく乗ってきたのは丸坊主5日目のこと。
この日の昼寝中、外から風が入ってきたのだとか。網戸にしているし、それだけなら珍しくないのだけど、最初は冷え込んだかと思うと、あっという間に温くなってしまうものだったそうな。
しかも、通り過ぎない。半身では感じるものの、その流れが坊主となった頭の上でよどんでいく。ちょうど、髪の毛が伸びていたときに覚えるような、かすかな違和感。
――ついに出たな!
目を閉じたまま、さっと頭へ手をやる。
このまま頭をこすれば、きっと今までのようなフケが出てくるだろう。
ここであったが100年目、たまった年貢のおさめどき、いざ神妙にお命頂戴……などと、都合よくリベンジを果たせると思い込んでいた友達は、右手首より先に激痛を覚えることになる。
骨ごとかじられたような、音が伝う。
反射的に引き戻した右手を見れば、一瞬だけ手首より先が、黄色く大きいフケまみれになった姿が。けれども、まばたきした時にはもう手は元に戻っていたとか。
寝転がっていた枕もとを見れば、確かにこれまで見てきたフケたちの姿があったんだ。ただし、散らばったものではなく、じゅうたんのように敷き詰められた大量のものだったらしい。
しかも、そのじゅうたんのそこかしこには、大きな犬らしきものがつけたような足跡が無数に残っていたそうな。
その後も、友達の丸坊主計画は続行したものの、フケもまた落ち続けた。
大人になるにつれて少しずつ散発的にはなったものの、そのフケが出る時。決まって、自分の右手もまた一瞬、あのフケの集合によって形を成したかのような姿が映るようになったのだそうだ。
これもまた、病院では何も異常はないとのこと。けれどもあの時、友達の右手は人間のそれを卒業してしまったんじゃないかと、今でも不安なのだとか。




