飢饉の対策をしよう①
ルミアスが領地へと向かってから、一年が経った。
聖女ラディアとアリウムが出会うまであと一年ちょっとだ。
「ミルベラ様。ルミアス様からのお手紙でございます」
「ありがとう」
侍女から手紙を受け取り、書かれた内容を確認していく。
この一年で手紙一つとっても、ルミアスは大きく成長をした。
文字が美しくなり、選ぶ言葉は貴族的なものへと変わったのはもちろんのこと。何より報告書がわかりやすく、懸念点や改善が必要な内容を過不足なく伝えられるようになったのだ。
「頑張ってるのね……」
もうすぐ他国から取り寄せた麦が実る。
日の光を浴びて黄金色に輝く景色は、とても美しいだろう。
「見に行けたらいいのに……」
ラットゥース領までは馬車でおよそ一週間。行けない距離ではないけれど、王妃教育が詰まっていて身動きが取れない。
アリウムに相談しようかな。
なんて思いつつ時計を確認すれば、そろそろ王城へ向かう時間だ。
自室を出て玄関ホールへと向かっていれば、お姉様とすれ違う。
「あ、あの!」
視線すら合わなかった去っていく背中に、勇気を振り絞って声をかける。
そうすれば、お姉様は足を止めて振り返ってくれた。
「その……これから、王城に行ってきます」
「…………そう」
興味なさそうにお姉様は頷くと、また背を向けて歩き出す。
どうにかして、呼び止めたい。
けれど、続く言葉が出てこない。
お姉様が高笑いをして、部屋に乗り込み、おほほ笑いをやめるように言っていた日々を思い出す。
「あの頃は、良かったな。楽しかったもの……」
ルミアスが来た日から、お姉様の高笑いは聞こえない。
そのことで、あれは私とお姉様のコミュニケーションだったのだと気がついた。
本当は、とっくにお姉様は高笑いをしていなかったのだ。
屋根裏部屋に閉じ込められたりと理不尽なことも多かったし、不安だらけだった。それでも幸せだった。
「世界で二番目に幸せになるのよ」と言ってくれたお姉様の姿が頭をよぎり、ぐっとこぶしを握りしめる。
もうすぐお姉様は帝国へ行く。
帝国の第三皇子であるオーガスタ皇子の妃として立つお姉様に、私から話しかけることはできなくなるだろう。
もう姉と気軽には呼べない。
遠ざかっていくお姉様との距離が、開いてしまった心の距離のようで苦しい。
私は間違えたのだろうか。
ルミアスを受け入れては、いけなかったの?
「お姉様っ!」
ぐちゃぐちゃな気持ちのまま叫べば、お姉様が再び足を止めた。
そのことに、小さく安堵の息を吐く。
きっと、まだ大丈夫。完全に拒絶されたわけじゃないもの。
「お姉様がオーガスタ皇子と婚姻されても、お姉様って呼んでもいいですか?」
公的でなくてもいい。
お姉様と呼びたい。
想いが強すぎたのか、声が震えた。
「駄目よ」
私の方を振り向くことなく、お姉様は言う。
「──っ。どう……して……」
「私は帝国の妃。ミルベラは王国の公爵令嬢。身分を弁えなさい」
境界線を引かれたようで、ヒュッと喉がなる。
空気が薄くなったみたいに息が苦しい。
縋りたい気持ちでお姉様を見るけれど、もう振り向いてはもらえなかった。
あぁ、やっぱりルミアスを受け入れてはいけなかったんだ……。
ルミアスとの信頼関係を築くことは、ラットゥース家のためになる。ルミアスを裏切らせないために、必要なこと。
そう自分に言い聞かせるけれど、本当はお姉様の隣で笑っている選択をしたかった。
「……わかりました。申し訳ありませんでした」
ラットゥース家が力を失えば、帝国でお姉様は肩身の狭い思いをするだろう。
たとえ、姉と呼ばせてもらえなくなっても、お姉様を守ることに繋がるのなら、私の行動に意味はあるはず……。
そこまで考えて、自嘲が漏れた。
私の守りたいものの中に、ルミアスがいない。
信頼関係を築くと言いながら、私の方がルミアスを疑っている。
あぁ、もうぐちゃぐちゃだ。
そこから、どうやって馬車に乗ったのかも覚えていない。
気がつけば王城でその日の王妃教育を終えていた。
「……帰りたくないな」
一人になりたかった。
けれど、御者は迎えに来ている。
重たい足を引きずるように、馬車乗り場へと向かう。
「ミルベラっ!」
息を切らした声の方に、のろのろと視線を向ければ、アリウムがいる。
「ひどい顔色じゃないか……」
そう言って、私の頬に触れたアリウムの手があたたかい。
そのあたたかさに、縋ってしまいたくなる。
「何があった?」
私を心配だと語る瞳も声も、あまりにも優しくて、アリウムの視線から逃れるように下を向けば、頭がアリウムの胸にぶつかった。
「──っ」
離れなきゃいけない。
そう思うのに、体が動かない。
このまま、アリウムに寄りかかったら、楽になれる?
助けてって言ったら、元通りになる?
「ミルベラ……」
そっと肩に置かれた手のあたたかさに、ハッとした。
アリウムの体を押せば、その腕は抵抗なく私から落ちていく。
「……どうしてここに?」
「ミルベラの様子がおかしいと聞いてきたんだ。歩けるか?」
だらりと地面に向かっていた手が、私の方へ差し出される。
けれど──。
「大丈夫です」
「…………ミルベラ?」
「私のことは、放っておいてください」
縋りたくない。
もう、誰も利用したくないの。
だって、アリウムの優しさに手を伸ばしたら、私が私を許せない。
アリウムのこと、好きになりたくないの。
ルミアスを利用してしまった今、私に残っているのは家族を……お姉様を守ることだけ。
それしか、ないのよ。
「少し疲れがたまっているだけです。大丈夫ですから」
そう言って笑いかけるけれど、アリウムの瞳から心配の色は消えない。
「大丈夫そうには見えない」
「よく寝れば、治ります」
「……俺には言えないのか?」
あぁ、もうやめて……。
私には優しくされる資格なんてないの。
人の弱さを利用しちゃうような人間なの!
「…………お節介です」
「──っ! 好きなんだ。心配くらいさせろよっ!!」
突然の大声に肩が揺れる。
アリウムは苦しげに眉を寄せていて、胸の中に苦いものが広がっていく。
「悪い、大きな声を出して。だが──」
「そんなに心配してくれるなら、私が領地に帰る許可をください」
アリウムからの視線に耐えられなくて、視線を外す。
「……それが、ミルベラが心から望むのなら、帰ってもいい。でも、それで後悔するのであれば、許可できない」
感情を押し殺したような声に、息が詰まる。
もう後悔してるのに、私はまた間違う?
……どこまで間違い続けるの?
何もしないで、断罪されるのもいいかもしれない。
そう考えて、口元がゆるむ。
「お気遣い、ありがとうございます。後悔なんて、怖くありませんから大丈夫ですよ」
アリウムの瞳に映った私が歪んだ笑みを浮かべ、こっちを見ていた。




