詰めの甘い誓約書〜アリウムside〜
もう一枚誓約書を書き写し、それに血判は押さず、俺の保管用とすることにした。
ミルベラをラットゥース公爵家まで送り、自室に戻ってから、その誓約書に再び目を通す。
「これじゃ、拘束力ないだろ……」
詰めの甘いミルベラに苦笑が漏れる。
誓約書には、条件はしっかりと提示してあるのに、破った時の罰則がない。
守る気はあるし、俺にとっての罰則はミルベラを失うことだけ。
王位剥奪になろうと、ミルベラさえ隣にいてくれれば問題はない。
「いや、問題だらけだって……」
自身の考えに呆れ、ため息を吐く。こんなことを思うなんて、どうかしている。
誰も……ミルベラだって、望まないであろう未来。口にしてしまえば、困らせるだけだ。
やはり、罰則に触れなくて正解だったな。
ミルベラを罰則で縛るようなことをしたくはなかったから、何も言わなかったに過ぎない。
それでも誓約書を見ながら、ふっと笑いがこぼれる。
「これではただの約束事だ」
頭は良いのに、詰めが甘い。
王妃としてのマイナス要素にしか見えなかったのに、そんなところも今は可愛いと思ってしまう。
誰かを好きになることを馬鹿馬鹿しいと冷めた目で見ていたのに、まさか俺がこんな風に思うなんてな……。
自分自身の変化に、無意識に苦笑が漏れる。
四年という婚約期間は長いけれど、婚姻の準備を万全にするなら二、三年はほしい。
そこに、王妃としての教育を受けるとなると、ミルベラにとって四年はあっという間だろう。
何も問題はない。
そう思うはずなのに、どうしても引っかかるのは、やはりミルベラが未来を知っているかのように見えること。
俺の考え過ぎであればいい。だが……。
このことを聞いて、不安がっていたミルベラを思い出す。
先見の力はないと言っていた。
果たしてそれは本当だろうか……。
いや、信じると言ったんだ。ミルベラには、誠実でありたい。
それがきっと関係を深める唯一の手段で、俺自身が彼女のためにできる最たるもの。
分かっていても迷うのは、ミルベラが何かを隠していると感じるから。
「らしくないな……」
他の者と同じように問い詰めてしまうのは簡単だ。逃げ道をふさいで、言う以外の選択肢を潰してしまえばいい。
だが、無理に話させた瞬間、少しずつ積み上げはじめた関係があっさりと崩れ去るだろう。
そして二度と踏み入れられないほど、心の距離ができてしまう。
「待ったところで、話してくれるのか?」
自嘲が漏れる。
俺もずいぶんと臆病になったものだ。
問い詰められないのならば、監視をつけ、証拠を握ればいいだけの話。それが分かっていて、こんなにもぐだぐだと悩んでいる。
「監視か……」
ミルベラが他者に見張られているのを想像した。
その瞬間、自分が命じるであろう人物に殺意が湧く。
「……監視はなしだな。ラットゥース公爵に気付かれるリスクがある。公爵の目をかいくぐるのはリスクが高過ぎる」
自身の気持ちを正当化し、別の算段を立て始める。
やはり公爵に事情を説明し、協力を仰ぐのが一番か……。ミルベラのことを大切に思っているようだし、拒否はしないはずだ。
そして、定期的にミルベラ本人から聞き出す。脇が甘い彼女のことだ、聞き出すことも可能だろう。
何より、ミルベラと定期的に会う理由になる。表向きは婚約者同士の交流で問題ないな。
我ながら、正面突破だな……と思う。
ま、たまにはこんなのも悪くはない。
万が一、ミルベラが先見の力を持っていた場合、それを隠していたとなると罪に問われるのは避けられない。
もしものために、出来うる手は打っておく必要がある。
「ミルベラは、何を考えているんだろうか」
こんなにも分からない相手は初めてだ。
そして、こんなにも迷う相手も。
「明日の朝一に公爵を捕まえるか。婚約発表の日程も詰めないとならないしな」
あぁ、楽しみだ。
これでミルベラは俺と共に生きていくことになる。
ミルベラ自身は俺の心変わりを疑っているようだが、あり得ない。
他者に対した興味もなく、カルナたちとだって、俺が王位に継いた時に側近とするために出会った。
俺が自ら手を伸ばしたのは、ミルベラだけ。
ミルベラはもっと自覚するといい。
自身がどれほど望まれているのかを。
この気持ちは執着に近いのだろう。
ミルベラが望んでいないのも、理解している。
それでも、手を伸ばさずにはいられない。
「……ごめんな」
本当は、俺が手を伸ばしてはいけなかったのではないか。
心の何処かに、無理矢理関係を進めながらもずっと引っかかっている。
拒絶しながらも受け入れてくれるから、そんな彼女に甘えている自覚も本当はあるんだ。
…………ミルベラに本当の意味で拒絶されたら、手放さないとな。
その時を考えるだけで、息が苦しい。頭が重い。
もし、そうなったら王として淡々と生きていこう。そして、後継が育ったら姿を消せばいい。
「俺は最低だな……」
そうならないために、どうすれば正解なのか。
今まで王位を継承するために学んできたどんなものも、初めての気持ちの前には、何の役に立たなかった。




