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いつかのために、誓約書を交わしましょう⑦


「えっと、アリウム……。どうして、あなたの私室なんですか?」


 未婚の婚約もしていない男女が部屋に二人きりなんて、完全にアウトだ。そのくらい、子どもだって知っている。

 思わずじろりと(にら)めば、にこりと笑いかけられる。


「笑ったって、誤魔化されませんよ」


 少しキツイ言い方になった。

 けれど、アリウムは気にすることなく私をソファへとエスコートする。


「執務室だと、いつ誰が入ってくるか分からないからな。誓約書のこと、誰にも知られたくないだろ?」

「……それはそうですけど」

「もし、このことを誰かに言われたら、すぐに教えてくれ。きちんと口止めしておこう」


 そう言って目を細めたアリウムに、鳥肌が立つ。

 怖すぎるって……。絶対に相手がただじゃ済まないやつだよ。


「……口止めは結構です。自分で説明できますので」

「ミルベラは他人に甘いから、俺がやる」

「アリウムは逆に厳しすぎるので、駄目です!」

「そんなことないぞ」


 不満を隠すことなく言いながら、アリウムは私の隣に腰掛けた。

 その不満にゆるく首を横に振ることで意思を伝えると、これ以上は何を言っても無駄だと感じたのか、アリウムが引いてくれた。


「さ、早く誓約書の内容を決めちゃいましょうか。でも、その前に……」

「うん?」


 小さく首を傾げる姿は、何だかいつもよりも少し幼く見える。


「何でこんなに近いんですか。向こうのソファに座ってくださいよ」

「断る。ここに座りたいんだ」

「なら、私があっちに──」


 そう言って立った瞬間、腕を引っ張られて再びソファに体が沈む。


「別に隣に座ったっていいだろ」

「……そうですね。でも、この距離感は異常ですよ」


 隙間なくピッタリ隣に座ってくるとか、どう考えてもおかしい。


「これでも我慢してる」

「我慢とかの問題じゃありません。アリウムは、こんなにぺったりとカルナ様やキール様、サイナス様の隣に座るんですか?」

「するわけないだろ」


 眉間にシワを寄せ、あり得ないという顔をされる。


「では、私にも皆さんと同じ距離感でお願いします」

「…………なら、他の者にもこのようにする」

「はい?」


 何を言ってるんだ、この人は。


「それなら、いいだろ?」

「いや、それ普通に他の方からしても迷惑ですって!」

「ミルベラだけにするか、他の者にもこのような距離感にするかの二択だ」


 嘘でしょ……。

 これ、実質一択じゃん。


「……私だけにしてください」


 仕方なしに答えれば、アリウムは嬉しそうな顔をする。


「ただし、二人きりの時だけです。これ以上は譲歩しません」


 きっぱりと言い切れば、その顔は渋いものへと変わった。


「絶対?」

「絶対です」

「……分かった。今は二人きりだからいいんだよな?」


 不満だと表情は言っているのに、その瞳には喜色が浮かんでいる。


「今の、誓約書に書くか?」

「いえ。そっちはもっと大事なことを書きたいです」

「うん。どんなの?」


 そう聞かれて、心臓が跳ねた。

 ここで間違えたら、私は悪役令嬢になるかもしれない。誓約書は、最後の砦なのだから。


 深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと口を開く。


「まず、私がもし何かをしてしまったとしても、私個人の責任にしてほしいです」

「…………どういうことだ?」


 たっぷりと間を置いて聞かれる。

 探るような視線が痛い。


「言葉通りの意味ですよ。私が他者に危害を加える等をした場合、家に責任を問わず、私個人の問題として扱ってもらいたいんです」

「ミルベラは、意図的に誰かを傷付けたりしないだろ。どちらかというと、止める側だ」


 そう……かもしれない。

 でも、これからもそうとは限らない。


「それと、アリウムが心惹かれる方が現れた場合、即座に婚約解消をお願いします」

「は?」

「いや、これももしかしたらの話で……」


 そういう未来があるかもしれない。と続けようとした言葉は、明るい色合いの藤色の瞳が、あまりにも暗く見えてのみ込んだ。


「で、最後にもう一つ」


 視線を逸らし、そのことに気が付かないふりをして、どうにか声を絞り出す。


「何だ?」

「婚約期間を最低五年は持つことです」


 チラリとアリウムを見て、すぐに後悔した。


 うぅ、すごい不機嫌。

 アリウムって、こんなに感情を出す人じゃなかったよね?

 小説で読んだアリウムは、ヒロイン仕様だってもう分かってたけど、たまに王城で見かける時も穏やかそうな雰囲気だったじゃん!


「理由は?」

ラットゥース家(我が家)の後継問題です。私が継ぐ予定でしたので」

「……なるほど」


 真剣な顔で考え込んでいるアリウムから、不機嫌がなくなっている。


 後継問題は表向きの理由だけど、納得してくれたらしい。良かった……。


 本当の理由は、アリウムがヒロインである聖女ラディアと出会うのは三年後だから。

 そこから一年あれば、私との婚約を考え直しているはず。

 最低四年、できるなら五年は婚約期間としてもぎ取りたい。


「だが、五年は長すぎる。せめて、三年だな」

「いえ、我が家のためにも五年で」


 無言で互いを見る。

 しばらくその状態が続き、アリウムは大きなため息をついた。


「……四年だ。それ以上は待たない。他には何かあるか?」

「いえ、私の方はもうありません。アリウムの条件は何ですか?」


 そう聞くと、アリウムはにこりと笑う。


「まず、この誓約が守られた場合、四年後に必ず俺と婚姻すること。それと──」

「それと?」

「俺以外の男に心惹かれないこと」


 口元は笑みを浮かべたままなのに、目が全く笑っていない。

 どろりと重たいものを感じ、心臓が嫌な音を立てている。


「……もし、守れなかったら?」

「さぁ? 少なくともミルベラには何もしないさ。愛する者を傷つけるわけないだろ」


 それってつまり、相手には何かするってこと……だよね。


「万が一、私が誰かに心惹かれたと思ったら教えてください。確実に勘違いなので」

「へぇ。断言するんだ」

「えぇ。恋する心の余裕は微塵もありませんから」


 視線を逸らすことなく言えば、アリウムは瞳に重たい何かを宿したまま、心から楽しいという顔をする。


「それは、楽しみだな。では、これで誓約書を作ろう」


 アリウムは流れるような美しい字で羊皮紙に五つの項目を書くと、自身の名前を署名した。

 そして、ペーパーナイフを指先に走らせると血判を押す。


「……え?」

「ほら、ミルベラも」


 促されるままに署名をした。

 けれど、ナイフに戸惑ったまま先に進めない。


「血判は俺の決意みたいなものだ。無理するな」

「でも……」

「大丈夫だから」


 ここでもしアリウムが血判を強要してきたら、嫌だと言えた。

 だけど、これじゃフェアじゃない。

 ギュッと目を閉じ、ペーパーナイフを親指に滑らせる。


「バカっ!」


 アリウムの慌てた声と共に、親指に布を巻かれた感触がした。


「強くやり過ぎだ」


 圧迫止血をしながら、どこか痛みを耐えるように唸る声が耳元で聞こえる。


「俺に合わせる必要はない」

「……合わせたんじゃなくて、アリウムの誠意に私も答えたかったんです。これで、私も血判できますよね?」


 血が出過ぎてしまったから直ぐには無理でも、少し経てば大丈夫なはずだ。


「あぁ、ありがとな……」 


 声が泣いているようで、アリウムの方を向こうとした。けれど、視界をアリウムの大きな手に塞がれる。


「アリウム?」

「悪い。情けない顔をしているから見ないでくれ」

「え? あ、はい……」


 どうしていいか分からなくて、ぎしりと顔の向きを前へと戻す。

 血が止まりはじめて血判を押すまで、室内は静寂に包まれていた。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

やっと契約書まで来ました!

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