いつかのために、誓約書を交わしましょう②
帰りの馬車に向かっているのだが、殿下は一言も話さない。
そのことを不思議に思いつつ、私の手を握る殿下の手をただただ眺める。
どうして、よりにもよって私だったんだろう……。
殿下もそろそろ婚約者を決めなくてはならないし、その相手に私を選んだということはわかる。
だけど、この執着心のようなものの正体がわからない。
「ミルベラ……」
ピタリと足を止め、殿下は振り返る。
さっきまでの堂々とした雰囲気はなく、私を見つめる表情からは戸惑いと不安がのぞいている。
「俺の何がそんなに嫌なんだ?」
「……え?」
「……努力する。ミルベラが嫌だと思うところは直す努力をするから…………婚約に前向きになってもらえないだろうか?」
どこか懇願するような声に、殿下という人が見えた気がした。
横暴で、自信満々で、自分勝手だと思っていた。
けれど、それは殿下の一面に過ぎなかったのだ。
その証拠に、私の意思なんて無視できるはずなのに、それでも私の気持ちも考えようとしてくれている。
優しい人ではないし、一緒にいて心許せる相手でもない。
けれど、信頼はできるのかもしれない。
「私は、やはり殿下と婚約をしたいとは思えません」
「────っ」
「殿下が、私を選んだ意味もよくわかっていませんし、何よりいつかの未来が怖い……」
そう言った私に、殿下が困惑しているのが伝わってくる。
そりゃそうだ。いつかの未来なんて言われて納得できるわけがない。
けれど、殿下は私に誠実でいようとしてくれている。
なら、その気持ちに私もできる限り言葉を尽くすべきだ。
「いつか、殿下が他の人を好きになるかもしれない。私が邪魔になるかもしれない。私はその時、殿下を好きになっていて、嫉妬によって許されない罪を犯すかもしれない。そんな未来が怖いんです……」
「だが、そんなことを言っては──」
「わかっています。先のことは誰にもわからない。だからこそ、起こるかもしれない未来が恐ろしい……。私、私は……」
その未来の可能性を、小説で読んでいるから。
それは、お姉様が悪役令嬢として殿下と婚約していたけれど、今はその悪役令嬢の立ち位置に私がなろうとしている。
いつかの未来は、もう私のものになっているのかもしれない。
けれど、それを口にすることはできなくて、殿下の視線から逃れるためにうつむくことしかできない。
「ミルベラ、顔を上げてくれないか」
そう言われるけれど、私はゆるく首を横に振る。
きっと、私の言っていることは理解されない。
何も知らなければ、未来を勝手に不安がっているだけなのだから。いや、実際にその通りか……。
だって、既に小説から少し外れたのだ。お姉様はきっと悪役令嬢にはならない。未来は変えられた。
でも、それでも、私は起こるかもしれない未来を軽く見ることなんてできない。
「ミルベラ……」
私が顔を上げられないでいれば、殿下は私の前にしゃがんだ。
手はずっと繋がれたままで、その手はあたたかい。
「だから、誓約書と言ったんだな」
今までにないほどに優しい声に、心が揺さぶられる。
どうして、寄り添おうとしてくれるの?
横暴で、自分勝手でいてほしかった。そうすれば、起こるかもしれない未来を、心の中で否定できたのに……。
「私は、殿下を好きになりたくないんです。ごめんなさい……」
あなたの気持ちには、絶対に答えられない。
それは、悪役令嬢になる可能性への第一歩だから。
けれど、殿下はそんな私に嬉しそうに笑う。
「好きになれない……ではなく、なりたくないか。ならば、俺を好きになる可能性があるということだな」
「……へ?」
どういうこと?
私は殿下を拒絶したはずなのに、どうしてそんなにも前向きに捉えられるの?
「ミルベラ、誓約書を作ろうか」
「で、ですが、それは私のわがままで……」
「うん。でも、それがあれば安心できるんだろ?」
それは、そうだ。
というか、何が何でも誓約書を作ると決めていたのに、どうしてさっきは「お願いします」って言えなかったんだろう。
あれか? 殿下が急にいい人になったから、私もどうしたらいいのかわからなくなったとか?
「俺がいくら言葉を尽くしたところで、未来の確約にはならない。紙切れ一枚でミルベラとの関係が結べるのであれば、安いものだ」
「私、すごい無茶を言うかもしれませんよ」
「いいよ。俺にできることなら」
「その誓約書で殿下が困ることになるかもしれません」
「心配するな。俺は自分で決めたことに後悔はしない」
どうして、そんなに強くいられるのだろう。
うらやましい。
私も、殿下のように強くなれたら……。
「なぁ、ミルベラ。その誓約書に俺の願いを入れることはできるか?」
「それは、もちろん。私だけ条件をつけるなんて不平等ですから。……あの、殿下は何をお望みなんですか?」
そう聞いて、すぐに後悔した。
殿下があまりにも甘やかに笑ったのだ。
まるで私だけを好きで、その気持ちはずっと続いていくと思い違いをしてしまいそうなほどに……。
「俺の名前……アリウムと呼んでほしいんだ」
「アリウム殿下?」
「違う、アリウムだ」
ん? 殿下呼びが嫌だってことかな。
「……アリウム様」
「殿下も様もいらない。アリウムと呼んでくれ」
真っ直ぐに私を藤色の瞳が見つめている。
「アリ……ウム…………」
そう呼んだ瞬間、パッと子どものような無邪気な笑みを殿下は浮かべた。
ただ名前を呼んだだけなのに。
「ミルベラ、ありがとう。こんなにも名を呼ばれて嬉しいと思ったことはないよ」
「いえ、そんな……」
大げさだと思うのに、さっきの殿下の……アリウムの笑みが頭から離れない。
そのことを危険だと思うのに、心臓は私の気持ちを無視してドキドキと忙しなく動いていた。
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