第9話:雨漏り騒動と、屋根の上の景色
その夜、私たちは猛烈な雨の音で目を覚ました。
ザーーーッ!
屋根を叩く激しい音。遠くで雷も鳴っている。
「うぅ……すごい音……」
私は布団を被ってやり過ごそうとした。ボロ家とはいえ、屋根はある。雨くらい凌げるはずだ。
そう思っていた、その時だった。
ピチャッ。
冷たい雫が、私の鼻の頭を直撃した。
「……へ?」
目を開ける。暗闇の中、天井のシミから、水滴がポタリと垂れてくるのが見えた。
ピチャッ、ピチャッ。
「つめたっ!?」
私は飛び起きた。見ると、部屋のあちこちから「ポタポタ」という音が聞こえてくる。
「あ、雨漏りだー!!」
「エリス姉、敵襲!?」
モコもガバッと起きた。寝ぼけているのか、壁に向かって爪を構えている。
「違うよモコ、雨! 家の中に雨が降ってるの!」
「雨!?」
私たちは慌てて立ち上がった。さっきまで寝ていた場所のすぐ横に、水たまりができ始めている。
「た、大変! バケツ……バケツはないから、鍋! お皿!」
「わかった!」
私たちは大パニックで台所へ走り、手当たり次第に容器を持ってきた。鍋、お椀、スープ皿、それから村長さんがくれた水桶。
ポチャン、カン、ポトッ。
容器に水が落ちる音が、不協和音のように部屋に響く。
「こっちも漏れてる!」 「ああっ、そこは私の布団!」
まるでコントだ。私たちは深夜のボロ家で、雨粒との追いかけっこを繰り広げた。
結局、雨が小降りになるまでの一時間、私たちは一睡もできなかった。
† † †
翌朝。すっかり晴れ渡った空とは対照的に、私の顔はどんよりと曇っていた。
「……はぁ」
目の前には、昨夜の戦いの痕跡——水が溜まった鍋やお皿が並んでいる。床は湿っているし、寝不足で頭が重い。
「エリス姉、大丈夫?」
モコが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「うん、大丈夫……じゃないかも。屋根、直さないと」
これじゃあ、安心して眠ることもできない。私は重い体を起こして、庭に出た。
外から屋根を見上げる。所々、木の皮や板が剥がれて、無惨な姿になっている。
「構造把握」
スキルを発動させる。屋根の構造が透けて見える。
(あー……やっぱり。瓦代わりの木の板が、風でズレてる。それに、防水用の樹皮も腐って穴が開いてるわ)
原因は分かった。直す方法も分かる。ズレた板を戻して、新しい樹皮を挟んで、釘——はないから、木の杭で固定すればいい。
問題は、そこに行く方法だ。
(……高いなぁ)
私はゴクリと喉を鳴らした。実は私、高いところが苦手なのだ。
前世でも、脚立の三段目が限界だった。王都の高い塔を見上げるだけで、お尻がムズムズするくらいだ。
でも、やるしかない。納屋にあったボロボロの梯子を壁にかけ、恐る恐る足をかける。
ギシッ。
「ひっ……」
一段登るだけで、足がすくむ。屋根の上なんて、とてもじゃないけど立てそうにない。
「エリス姉?」
下からモコが不思議そうに見ている。
「も、モコ……私、ちょっと無理かも」
「無理?」
「高いところが……怖いの」
情けない。年上の威厳も何もない。でも、怖いものは怖いのだ。
すると、モコは「なんだ」と笑った。
「じゃあ、モコがやるよ!」
「えっ?」
言うが早いか、モコは梯子をするすると登ってきた。私を追い越し、軽々と屋根の上に飛び乗る。
四つん這いになった彼女の姿は、まさに獣そのものだ。高いところなんて、へっちゃららしい。
「うわー! 高い! 遠くまで見えるよ!」
尻尾をブンブン振っている。
「モコ、気をつけてね! 滑るから!」
「平気だよ。で、どうすればいいの?」
——そうか。私一人じゃ無理でも、二人ならできる。
私は梯子の途中(安全圏)にしがみついたまま、指示を出すことにした。
「そこ! 右の板が浮いてるから、押し込んで!」
「これ?」
バチンッ!モコが手のひらで叩くと、板が綺麗にハマった。怪力万歳。
「次は左! その腐った皮を剥がして、新しいのを詰めて!」
「りょーかい!」
モコは屋根の上を飛ぶように移動し、私の指示通りに修繕していく。私は下から「構造把握」でチェックして、的確な場所を教える。
私の「目」と、モコの「体」。二人の力が合わさって、ボロボロだった屋根が少しずつ直っていく。
(すごい……)
一人だったら、きっと途方暮れて泣いていた。でも、今は頼もしい相棒がいる。
「エリス姉、これで終わり?」
「うん、完璧! ありがとうモコ!」
「えへへ」
モコは屋根のてっぺんで、誇らしげに胸を張った。
「ねぇ、エリス姉も上がっておいでよ! 景色、すごいよ!」
「ええっ!? む、無理無理!」
「大丈夫! モコが持ってるから!」
モコが屋根の上から手を差し伸べてくる。その笑顔を見たら、断れなくなってしまった。
(……信じよう)
私は意を決して、震える足で梯子を登りきった。屋根の上に這い上がる。すぐにモコが、私の体をガシッと支えてくれた。
「ほら、見て!」
恐る恐る、顔を上げる。
「……わぁ」
声が漏れた。
雨上がりの空。澄み渡った青の中に、大きな虹がかかっていた。
眼下にはココン村の小さな家々と、パッチワークのような畑。そして、遠くにはキラキラと輝くフィーロの森。
なんて綺麗な世界なんだろう。
「綺麗だね、エリス姉」
「うん……すごく、綺麗」
足はまだ少し震えている。でも、モコの体温が伝わってきて、不思議と怖くはなかった。
王都の高い塔から見下ろす景色よりも、このボロ家の屋根から見る景色の方が、ずっと素敵だ。
「モコたち、ここを直したんだね」
モコが、継ぎ接ぎだらけの屋根を撫でた。
「うん。私たちの家だよ」
雨漏りはもうしない。これからは、どんな嵐が来ても、二人で守っていける気がする。
私たちはしばらくの間、肩を寄せ合って、雨上がりの空を見上げていた。
虹の橋が、これからの私たちの生活を祝福してくれているようだった……。




