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第8話:磨かれた工具と、家族

 翌朝。私が目を覚ますと、隣で寝ていたはずのモコがいなかった。


「……えっ!?」


 私は飛び起きた。まさか、出ていった?足も治っていないのに?


「モコ!?」


 慌てて庭に出ようとした、その時だった。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 入り口の方から、何かを引きずるような音が聞こえる。見ると、モコが壁に手をつきながら、昨日私が作った「草箒くさぼうき」を動かしていた。


「モコ! 何してるの!」


 私は駆け寄って、彼女の体を支えた。足の包帯には血が滲んでいる。まだ立っていい状態じゃない。


「……そうじ」


 モコは、額に脂汗を浮かべながら言った。その琥珀色の瞳は、痛みに耐えながらも、真剣そのものだった。


「働かないと……群れには、置いておけないでしょ?」


「え……」


「モコ、戦えるよ。掃除もできる。だから……捨てないで」


 その言葉に、胸が痛んだ。獣人の掟なのか、それとも過酷な環境で生きてきたからなのか。彼女は「役に立たない自分」が捨てられることを、何よりも恐れているようだった。


 それは——王都での私と、同じだ。


「……バカ」


 私は箒を取り上げて、モコを抱きしめた。


「捨てないよ。何もしなくても、絶対に捨てない」


「でも……」


「今は、治すことが仕事。いいから座ってて」


 私は彼女を強引に座らせた。でも、モコは落ち着かない様子で、指をモジモジさせている。じっとしていることが、不安で仕方ないのだ。


(何か……座ったままでできること……)


 私は少し考えて、部屋の隅から工具箱を持ってきた。


「じゃあ、これ手伝ってくれる?」


 箱を開けると、モコが興味深そうに中を覗き込んだ。ハンマー、ヤスリ、ペンチ。私の大切な相棒たち。


「道具の、お手入れ?」


「うん。私が拭くから、モコは仕上げにこの布で磨いてほしいの。ピカピカになるまでね」


「……わかった。やる!」


 モコの耳がピコンと立った。役割を与えられたことが、嬉しいみたいだ。


  † † †


 私たちは並んで座り、道具の手入れを始めた。


 私が油を塗って汚れを落とし、モコが乾いた布で磨き上げる。単純な作業だけど、二人でやると早かった。


「エリス姉の道具、いい匂いする」


 モコが、ハンマーの匂いを嗅ぎながら言った。


「そう? 油と鉄の匂いだよ」


「ううん。なんか、落ち着く匂い。……エリス姉の匂い」


 彼女はそう言って、ハンマーの柄に頬ずりをした。大切そうに、愛おしそうに。


 物質教団では、「使い込まれた道具には魂が宿る」と言われている。私の道具たちも、モコに優しく触れられて、なんだか嬉しそうだ。


「あのね、エリス姉」


 手を動かしながら、モコがぽつりと話し始めた。


「モコの村、悪い魔物に襲われて……みんな、いなくなっちゃったの」


「……うん」


「私だけ、逃げて……でも罠にかかって……もう、死ぬんだって思ってた」


 重い言葉だった。でも、彼女の声は淡々としていた。悲しみを通り越して、事実を受け入れてしまっているような強さ。


「一人は、寒かった。……怖かった」


「私もだよ」


 私は、磨き終わったヤスリを箱に戻しながら言った。


「私も、居場所がなくなって、一人でここまで来たの。一人は、寂しいよね」


 私たちは、似たもの同士だ。群れからはぐれた狼と、パーティを追い出されたシスター。傷ついた者同士が、このボロ家で寄り添っている。


「……ここが、モコの家だよ」


 私は彼女の手を握った。


「もう一人じゃない。ずっとここにいていいんだよ」


 モコは何も言わずに、強く握り返してくれた。その手の温かさが、私の心の隙間も埋めていくようだった。


  † † †


 その日の夜。簡単な夕食。今日は干し肉と香草のスープを終えて、私たちは布団に入った。


 窓の外からは、虫の声が聞こえてくる。昨日までは孤独を感じさせたその音が、今日は心地よいBGMに聞こえた。


「ねぇ、エリス姉」


 隣で寝ているモコが、小声で囁いた。


「なぁに?」


「モコとエリス姉は、今日から『群れ』だね」


「群れ?」


「うん。私が牙で、エリス姉が頭。二人で一つの、強い群れ」


 獣人らしい表現に、私は思わずふふっと笑ってしまった。でも、なんかちょっと違う気がする。


 上下関係とか、役割とか。そういうのじゃなくて、もっと温かいもの。


「うーん……群れじゃなくて、『家族』かな」


「カゾク?」


 モコが首を傾げた。


「そう。強さとか、役に立つとか関係なく、ただ一緒にいて、ご飯を食べて、笑い合うの。それが家族だよ」


「……カゾク」


 モコは新しい言葉を覚えるように、何度か口の中で繰り返した。そして、満足そうに目を細めた。


「うん。じゃあ、私たちはカゾクだね」


 彼女はゴロゴロと転がって、私にくっついてきた。湯たんぽみたいに温かい。


「おやすみ、エリス姉」


「おやすみ、モコ」


 すぐに、すーすーという寝息が聞こえてきた。私は彼女の頭を撫でながら、天井を見上げた。


 ボロボロの天井。隙間だらけの壁。お金もないし、明日の生活も不安定だ。


 でも、ここには「家族」がいる。


 それだけで、どんな強力な結界魔法よりも、安心できる気がした。


 明日からは、モコのためにも頑張らないと。この家を、もっともっと住みやすくして、二人で笑って暮らせるように。


 幸せな重みを隣に感じながら、私は深い眠りへと落ちていったのだった……。

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