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第7話:温かいスープと、名前

 翌朝。私は小鳥のさえずりよりも早く、目を覚ました。


 すぐに隣を見る。わらの寝床には、銀色の髪の子供が眠っている。


「……よかった、熱は下がってる」


 おでこに手を当てると、昨日のような焼けるような熱さは引いていた。獣人の回復力のおかげか、それとも私のつたい手当てが少しは役に立ったのか。規則正しい寝息を聞いて、私はほうっと安堵の息を吐いた。


(お腹、空いてるよね)


 あんなに痩せ細っているんだ。目が覚めたら、すぐに食べられるものを用意しておかないと。


 私は音を立てないように立ち上がり、部屋の隅にあるかまどへ向かった。


 今日の朝食は、村長さんがくれた「ハネ出し野菜」の残りを全部使ったスープだ。


 二股のニンジン、小さなジャガイモ、少ししなびたタマネギ。形は悪いけど、どれも愛おしい食材たち。


 トントントン……。


 万能ナイフで野菜を刻む音が、静かな朝に響く。消化が良いように、いつもより細かく、サイコロ状に切っていく。


「『清水プチ・アクア』」


 鍋に水を張り、野菜を入れて火にかける。調味料は塩だけ。肉はないから、野菜の甘みだけが頼りだ。


 コトコト、コトコト。


 湯気と共に、優しい匂いが部屋に満ちていく。


 その時だった。


「……ん……」


 背後で、衣擦れの音がした。振り返ると、子供がゆっくりと体を起こしているところだった。


 大きな狼の耳がピクリと動き、琥珀こはく色の瞳が、警戒するように部屋を見渡している。


「あ……」


 私と目が合う。その瞬間、子供の体がビクリと震え、鋭い牙が少しだけ覗いた。


 野生動物のような反応。「敵か?」と問いかけるような、怯えを含んだ視線。


「大丈夫だよ」


 私は鍋のお玉を持ったまま、なるべく優しい声で言った。しゃがみ込んで、目線の高さを合わせる。


「ここは私の家。森であなたが倒れてたから、連れてきたの。……足、痛くない?」


 子供は自分の足を見た。綺麗な布と、添え木で固定された足首。それを確認すると、少しだけ警戒を解いたように、耳がぺたりと垂れた。


「……たすけて、くれたの?」


 ハスキーで、少しかすれた声。女の子の声だ。


「うん。勝手にごめんね。放っておけなくて」


「……ううん」


 彼女は首を横に振った。そして、鼻をヒクヒクと動かして、かまどの方を見た。


 グゥゥゥ……。


 可愛らしい音が、部屋に響いた。彼女は真っ赤になって、自分のお腹を押さえた。


「ふふっ。ちょうど出来たところだよ」


 私は木のお椀にスープをたっぷりと注ぎ、彼女の元へ運んだ。


「熱いから気をつけてね」


 差し出されたお椀を、彼女は両手で受け取る。その手はまだ少し震えていて、骨が浮き出るほど痩せていた。


 彼女は一度私を見て、それから恐る恐るスープに口をつけた。


 一口。そして、もう一口。


「…………」


 動きが止まる。俯いたまま、ポタポタと、お椀の中に雫が落ちた。


「おいしい……」


 震える声だった。


「あったかい……すごく……おいしい……」


 彼女は泣いていた。大きな瞳からボロボロと涙をこぼしながら、夢中でスープを口に運ぶ。まるで、何年も食事をしていなかったかのように。


 ただの、クズ野菜のスープだ。出汁だしも入っていないし、塩味だけの質素なもの。王都の料理人が見たら「餌だ」と笑うかもしれない。


 でも、彼女にとっては、これがご馳走なんだ。


「おかわり、あるからね」


 私がそう言うと、彼女は涙で濡れた顔を上げ、大きく頷いた。その頭にある狼耳が、嬉しそうにピコピコと動いている。


 ああ、生きてる。昨日まで消えそうだった命が、今ここで温かいスープを飲んでいる。


 その事実が、私の胸をどうしようもなく満たした。効率も、利益も関係ない。ただ、彼女が温まってくれたなら、それだけでいい。


  † † †


 鍋が空になる頃には、彼女の顔にも少し血の気が戻っていた。


「ごちそうさまでした」


 彼女は丁寧にお椀を置いて、私に向き直った。その琥珀色の瞳は、もう怯えてはいなかった。あるのは、真っ直ぐな信頼と、親愛の情。


「モコだよ。……狼族の、モコ」


「モコちゃんか。可愛い名前だね」


 私が微笑むと、彼女——モコちゃんの尻尾が、パタパタと床を叩いた。


「私はエリス。エリス・アテリア。この家のあるじだよ」


「エリス……」


 モコちゃんは私の名前を噛み締めるように呟いて、それから、おずおずと私の手に触れた。小さな、温かい手。


「エリスねえ


「えっ?」


「エリス姉、ありがとう。……助けてくれて、ごはんくれて、ありがとう」


 彼女は私の手に頬を擦り付けた。犬が主人に甘えるような、無防備な仕草。そこには、言葉以上の感謝が込められていた。


 エリス姉。そう呼ばれた瞬間、胸の奥がくすぐったくなった。


 王都では「役立たず」と呼ばれた私。誰からも必要とされなかった私。


 でも今、この子は私を必要としてくれている。


「……うん。どういたしまして、モコ」


 私は彼女のふわふわの頭を、優しく撫でた。柔らかい銀色の髪が、指の間をすり抜ける。


 一人ぼっちだった廃屋に、新しい家族が増えた朝。


 窓の外では、フィーロの森が優しく風に揺れていた……。

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