第46話:燻製器と香ばしい午後
冬が来る。
ガラムさんの言っていた通り、北の空は日に日に重くなっていた。朝起きると息が白く、指先がかじかむ。このままでは、せっかく貯めた食材も傷んでしまう。
「というわけで、今日は保存食を作るよ」
私は鍛冶場の横に集まったみんなに宣言した。
「保存食?」
モコが首を傾げる。
「うん。お肉を燻して、長持ちさせるの。燻製って言うんだよ」
「クンセー?」
「煙でいぶすの。そうすると、何ヶ月も腐らないんだよ」
「おおー! すごい!」
モコの目がキラキラ輝いた。尻尾がブンブン揺れている。
「……どうやって」
トトが静かに問いかけた。鉄板を抱えている。さっきから何やら考え込んでいるようだった。
「箱を作って、中で煙を出すの。トトちゃん、鉄の箱って作れる?」
「……ん」
短く頷くと、トトはすぐに作業に取りかかった。カン、カン、カン。規則正しい音が響き始める。
† † †
トトの仕事は早かった。
昼過ぎには、四角い鉄の箱が完成していた。蓋がぴったり閉まる密閉構造。底には空気穴があり、横には食材を吊るすための棒を通す穴が開いている。
「すごい、完璧だよトトちゃん」
「……ん」
耳がピョコピョコ動いた。照れているらしい。
「あとは、この中に網を……」
私は針金を手に取った。鉄を溶かして繋ぐ作業。かつて勇者パーティで「火力不足」と馬鹿にされた魔法だけど、こういう精密作業には向いている。
「点火……イグニス」
指先に青白い炎が灯る。針金の交点に集中させると、ジュッ、と小さな音を立てて鉄同士が溶け合った。
「わぁ、くっついた!」
「ふふ、こうやって一個ずつ繋げていくの」
ジュッ。ジュッ。ジュッ。
地道な作業だけど、嫌いじゃない。むしろ好きかもしれない。
「……きれい」
トトが溶接跡を見つめていた。
「本当? ありがとう」
† † †
網が完成し、いよいよ燻製の準備に入った。
塩漬けにしておいた豚肉を取り出す。ガラムさんから買った岩塩で三日間漬け込んだものだ。赤い肉が、塩で締まってしっとりとした質感になっている。
「これを吊るして、クルミの木のチップで燻すんだよ」
「なんでクルミなの?」
ピコが訊いた。私の作業を「興味なさそう」に眺めながら、でも一歩も離れない。
「クルミの木は香りがまろやかで、食材の味を邪魔しないの。煙と一緒に、ふわっていい香りがお肉に移るんだよ」
「ふーん」
尻尾がゆらゆら揺れている。興味津々じゃないか。
豚肉を網に吊るし、箱の中に入れる。底にクルミのチップを敷き詰めて、火をつけた。
シュー……。
白い煙が立ち上り始める。
「よし、蓋を閉めて……あ、待って」
私は手を止めた。
「どうしたの、エリス姉?」
「冬だから、鉄の箱が冷えるんだよね。そうすると、中で結露して……」
「ケツロ?」
「水滴がついちゃうの。煙の中の悪いものが水に溶けて、お肉に落ちたらまずくなっちゃう」
「やだー!」
モコが悲鳴を上げた。
「大丈夫、対策するから。ピコちゃん、この前作ったフェルトの端切れ、まだある?」
「……あるわよ。何に使うの?」
「蓋の裏に挟むの。水滴を吸ってくれるから」
ピコが持ってきたフェルトを、蓋の裏側に張り付けた。これで結露対策は完璧。
カチャン。
蓋を閉めると、煙が箱の中に閉じ込められた。
「あとは、待つだけだよ」
「待つ? どれくらい?」
「数時間かな」
「ええー、長いー!」
モコが不満そうに頬を膨らませた。
「ふふ、大丈夫。その分、美味しくなるんだよ」
モコの頭を撫でてあげると、尻尾が一瞬で機嫌を直した。現金な子だ。
† † †
燻製が出来上がるまで、私たちは焚き火を囲んでいた。
することがない。本当に、何もすることがない。
でも、それがいい。
「……」
パチ、パチ。
薪が爆ぜる音だけが響く。
燻製器から漂うクルミのチップの香りが、服に、髪に、染み込んでいく。甘くて、香ばしくて、あたたかい匂い。
「……いい匂い」
トトがぽつりと言った。
「うん」
モコが隣でうとうとしている。尻尾がだらんと垂れて、完全にリラックスしていた。
ピコは眠そうな目で炎を見つめていた。猫獣人は暖かい場所が好きなのだ。
(ああ、なんかいいな、こういうの)
焦らなくても、急がなくてもいい時間。
煙の香りを嗅ぎながら、ただぼんやりする。
「……ねえ」
トトが、ふと呟いた。
「もう、できた?」
「うーん、もうちょっとかな」
私は笑った。
「待つのも、調味料のうちだよ」
「……?」
「急がないで、じっくり時間をかけると、美味しくなるってこと」
「……ふうん」
トトは納得したような、してないような顔で頭を傾げた。
ピコの尻尾が、ゆらり、と揺れた。
† † †
日が傾き始めた頃、燻製器を開けた。
カチャン。
蓋を開けた瞬間、煙と一緒に濃厚な香りが溢れ出した。
「わぁぁっ!」
モコが目を覚ました。
中を覗き込むと、豚肉が飴色に輝いていた。表面がテカテカと艶めき、まるで宝石のようだ。
「……すごい」
トトが息を呑んだ。
私はナイフを取り出し、ベーコンに刃を入れた。
ザクッ。
切り口から、脂の甘い香りが立ち上る。ピンク色の断面が、うっすらと透き通っていた。
「じゃあ、味見しよっか」
一切れずつ、みんなに配った。
モコが真っ先に頬張った。
「んー!!」
もぐもぐと咀嚼しながら、尻尾がプロペラのように回転している。
「おいひー! なんかね、お肉の味がギュッてなってる! 煙の味がする!」
「燻製だからね。嬉しいな」
トトは黙って食べていた。でも、耳がピョコピョコ動いているから、気に入ったんだろう。
ピコは……。
「……悪くないわね」
そう言いながら、二切れ目に手を伸ばしていた。
「あっ、ピコ、二枚目!」
モコが声を上げた。
「な、なによ! テストよ、テスト! 一枚じゃ味が分からないじゃない!」
尻尾がブンブン揺れている。正直すぎる。
「ふふ」
私も一切れ口に入れた。
噛むと、凝縮された肉の旨味と、クルミの芳醇な香りが口いっぱいに広がった。塩気が脂の甘さを引き立てて、奥深い味わいになっている。
(……美味しい)
勇者パーティにいた頃は、こんな贅沢はできなかった。移動と戦闘の連続で、食事は栄養を摂るだけのものだった。
でも今は、こうして時間をかけて、丁寧に、美味しいものを作れる。
待つ時間さえ、贅沢だと思える。
「ねえ、エリス」
ピコが言った。
「これ、もっとたくさん作れないの?」
「えっ、気に入ってくれた?」
「べ、別に! ただ、保存食はたくさんあった方がいいじゃない! 冬のために言ってんのよ!」
尻尾がふわふわ揺れている。本当に正直な尻尾だ。
「ふふっ、うん、たくさん作ろうね。チーズも、魚も燻せるんだよ」
「……そう」
ピコはそっぽを向いた。耳だけが、ご機嫌にピコピコ動いている。
トトはまだ黙々と食べていた。三枚目。
「トトちゃん、美味しい?」
「……ん。……いい仕事、した」
それは、自分が作った燻製器への評価だろうか。ちょっと違う気もするけど、まあいいか。
夕焼けが空を染めていく。
クルミのチップの香りが染み込んだ服を着て、私たちは燻製ベーコンを頬張った。
冬が来る。寒くて厳しい季節だ。
でも、こうして保存食を作れば、きっと乗り越えられる。
それに、待つ時間でさえ楽しいのだから。
穏やかな達成感が、秋の終わりの風と一緒に吹き抜けていったのだった……。




