第5話:灯りと、小さな贅沢
午後。一通り掃除を終えた私は、腕組みをして唸っていた。
「暗い……」
この家には、深刻な欠陥がある。窓ガラスがないのだ。
あるのは、ボロボロの木の雨戸だけ。開ければ明るいけど、北風がビュービュー吹き込んでくる。閉めれば暖かいけど、今度は真っ暗で何も見えない。
(これじゃあ、DIYもできないよ……)
私は床に座り込んで、財布の中身を確認した。中には、なけなしの銀貨が15枚。王都ならガラス一枚くらい買えるかもしれない。でも、この村には雑貨屋が一軒あるだけだ。こんな辺境まで、割れやすいガラスを運んでくる商人なんていないだろう。
暗い部屋で、じっと考える。
ガラスがなければ、どうすればいい?ガラスがない時代、人はどうやって明かりを取り込んでいたんだっけ?
ふと、前世の記憶が蘇った。会社員時代、深夜にぼんやり眺めていた動画サイト。『昔の暮らしを再現してみた』とかいう、マニアックなチャンネル。
そこで見た、障子のような、薄い紙の窓。
(……あ、そうだ。あれなら作れるかも?)
思い立ったら、じっとしていられない。私は財布を握りしめて、村の雑貨屋へと走った。
† † †
村に一軒だけの小さな雑貨屋は、薄暗くて埃っぽい匂いがした。
「いらっしゃい……おや、シスター様?」
店番をしていたおじいさんが、眠そうな目をこすった。
「あの、油と……書き損じの羊皮紙はありますか?」
「羊皮紙? 新品なら高いよ?」
「いえ、一番安いもので構いません。ボロボロでもいいので」
「まぁ、紙屑みたいなやつなら奥にあるが……焚き付けにでもすんのか?」
「えっと、そんなところです」
私は曖昧に笑って、銅貨数枚を支払った。本当はもっと値切れるのかもしれない。でも、小心者の私には、初対面の人に「まけて」なんて言う勇気はなかった。
家に帰ると、さっそく作業に取り掛かった。
(えっと、動画では確か……油を染み込ませてたよね?)
買ってきた羊皮紙を床に広げる。文字が透けていたり、端が破れているような安い紙だ。でも、今の私にはそれが好都合だった。
布に油を染み込ませ、紙に塗り込んでいく。
じゅわっ。
紙が油を吸って、色が濃くなる。同時に、向こう側がぼんやりと透けて見えるようになった。
——油紙。
ガラスが普及する前、ヨーロッパや日本で使われていたという「明かり取り」の知恵だ。現代ならプラスチックの板とかで代用するんだろうけど、ここにはそんな便利なものはない。あるもので工夫するしかないんだ。
「枠を作って……ここに貼り付けて……」
ナイフで廃材を削り、簡単な木の枠を作る。採寸も目分量だから、少し歪んでしまったかもしれない。
(できるかな……すぐ破けちゃわないかな……)
不安な気持ちを抑えながら、私は雨戸の一部をナイフで切り抜いた。ぽっかりと空いた穴に、油紙を張った枠をはめ込む。
トン、トン、と木枠を叩いて固定する。
そして——。
「あ……!」
部屋の中に、柔らかな光が満ちた。
ガラスのように透明じゃない。外の景色も見えない。でも、油紙を通した乳白色の光が、埃っぽい部屋を優しく照らしている。
「明るい……」
寒くない。風も入ってこない。でも、太陽の明るさだけが、ここにある。
それだけのことが、涙が出るほど嬉しかった。
(できた……。私、本当に作れた)
不格好な窓だ。隙間もあるし、油の匂いも少しする。でも、これは私が知識と手作業で作った、世界に一つの窓だ。
私はしばらくの間、その柔らかな光に見とれていた。
† † †
夕方、部屋が明るいおかげで、夕食の準備もスムーズに進んだ。
今日のメニューは、今朝村長さんがくれた「ハネ出しジャガイモ」。
村の人たちは、これを丸ごと茹でて食べるらしい。でも、この家の設備じゃ大量のお湯を沸かすのも一苦労だ。薪も節約しないといけない。
(よし、あれを作ろう)
私は愛用の小刀を取り出した。泥を落としたジャガイモをまな板に置く。
トントントントン!
静かな部屋に、軽快な音が響く。小刀の切れ味は抜群だ。ジャガイモが、糸のように細い千切りになっていく。
普通は水にさらすけど、今回はそのまま。デンプンをつなぎにするためだ。
庭で見つけて洗っておいた、平らな鉄板(たぶん元は鍬の刃だ)をかまどに乗せる。
「『点火』」
指先に灯した小さな火を、薪に移す。パチパチと火が育つのを待って、鉄板にほんの少しの油を垂らす。
そこに千切りポテトを広げ、木片で作ったヘラで、ギュッ、ギュッ、と押し付ける。
ジューーーッ……。
香ばしい音と共に、焦げた匂いが立ち昇る。ただ茹でただけの芋とは違う、食欲を刺激する暴力的な香りだ。
「ひっくり返して……よし!」
表面は綺麗なきつね色。カリカリに焼けている。仕上げに、貴重な塩をパラリと振った。
「完成! 『ジャガイモのカリカリガレット』!」
熱々のひとかけらを、手で摘んで口に放り込む。
カリッ、サクッ。
小気味よい音の後に、ホクホクとした芋の甘みが口いっぱいに広がった。焦げ目の香ばしさと、塩気のバランスが絶妙だ。
「……んん〜っ! おいしい!」
思わず声が出た。ただのくず野菜だ。調味料も塩だけ。王都で食べていた豪華な食事とは比べるべくもない。
なのに、どうしてこんなに美味しいんだろう。
窓枠にはめた油紙が、夕日でオレンジ色に染まっている。静かで、温かい時間。誰にも急かされない、私だけの食事。
(一人だけど……幸せかも)
私はガレットを噛み締めながら、窓の外を見た。明日は、いよいよあの森へ行ってみようかな。
本格的な修理をするなら、木材が必要だ。フィーロの森。そこにはきっと、私の新しい生活を支えてくれる何かが待っているはずだ。
(……待っててね、森の木たち)
私は最後の一口を飲み込み、明日への期待に胸を膨らませた。




