第42話:行商人と冬の足音②
商談という名の休憩タイム。私たちは家の中に入り、テーブルを囲んでいた。
「いてて……腰が……」
椅子に座ろうとしたガラムさんが、顔をしかめて腰をさすった。
ボキボキ、と鈍い音が鳴る。
「大丈夫ですか?」
「ああ、すまん。……長旅の職業病ってやつさ。馬車の御者台ってのは、地面の凸凹が全部、腰に響くんだよ」
ガラムさんは苦笑いをするけれど、その額には脂汗が滲んでいる。
無理もない。この辺りの街道は未舗装で、石ころだらけだ。
(……そうだ。それなら、アレがある)
私はトトと顔を見合わせた。
トトが察して、部屋の隅から一脚の椅子を引きずってきた。
一見すると、ただの木製の椅子だ。でも座面の下に、私たちの秘密が隠されている。
「ガラムさん、こっちの椅子に座ってみてください」
「あん? 椅子なんてどれも同じだろ……」
ガラムさんは疑わしげに、ドスンと腰を下ろした。
その瞬間だった。
ボヨヨン……。
お尻の下から、不思議な音がした。
ガラムさんが身構えていた「ガツン!」という衝撃は来ない。
代わりに、何か柔らかい手が、下から優しく受け止めてくれたような感覚。
「……は?」
ガラムさんが目を丸くする。
彼はわざとお尻を浮かせ、もう一度座り直した。
ボヨン、フワッ。
椅子が沈み込み、そして優しく押し返してくる。まるで宙に浮いているような浮遊感。
「おい、なんだこりゃ!? 尻が……浮いてるぞ!?」
「ふふ、驚きました? 私たちはこれを『雲の上の椅子』って呼んでるんです」
私はしゃがみ込み、座面の裏側を指差した。
「みてください『板バネ』をつかってます!」
そこには、薄い鉄の板が何枚も重ねられ、弓のように湾曲して取り付けられていた。
「鉄……? 馬鹿言え、鉄は硬いもんだろ。こんなにグニャグニャ曲がるわけが……」
ガラムさんが座面の下を覗き込む。
「……曲がる。でも、戻る」
トトが、予備の鉄板を持ってきて、両手でギュッと曲げてみせた。
Uの字に曲がった鉄板は、トトが手を離すと「ビヨンッ!」と元通りの真っ直ぐな形に戻る。
「……トト特製。すごく、粘る鉄」
「ほう……! 焼き入れだけで、こんなにしなやかになるのか」
ガラムさんは、夢心地のような顔で椅子の上で弾んでいる。
ギィ、ボヨン。ギィ、ボヨン。
その顔から、苦痛の色が消えていく。
「……たまらん。これなら、何時間座っていてもケツが痛くならねえ」
彼はほうっと溜息をつき、愛おしそうに座面を撫でた。
しかし次の瞬間、ハッとしたように顔を上げた。
「……待てよ」
その目が、再び鋭い光を帯びる。
商人の目だ。さっきの井戸を見た時よりも、もっと強烈な熱視線。
「おいシスター。この『板バネ』って仕掛け……もっと大きく、丈夫に作ることはできるか?」
「え? ええ、トトちゃんなら作れますけど……」
「……できる」
トトが即答すると、ガラムさんはバン! とテーブルを叩いて立ち上がった。
「売ってくれ! この椅子の設計図と、板バネの現物を!」
「ええっ!? い、椅子を売るんですか?」
「椅子だけじゃねえ!」
ガラムさんは興奮気味にまくし立てた。
「馬車だ! 馬車の車軸と荷台の間に、これを噛ませるんだよ!」
(……あ)
私はハッとした。
そうか、サスペンションだ。
(言われてみれば……確か地球の歴史でも、17世紀頃の馬車から原始的なサスペンションが付き始めたはず……)
それまでの馬車は、車軸の上に直接箱が乗っているだけの「振動地獄」だった。
それがバネで吊られるようになったことで、乗り心地が劇的に改善され、長距離移動が可能になったのだ。
(私は知識として知っていたけど……ガラムさんはこの椅子に座っただけで、その可能性に気づいたんだ)
すごい。これが一流の商人の勘なんだ。
「今の馬車じゃ、卵やガラスみたいな割れ物を運ぶ時は、藁を山ほど詰め込まなきゃならねえ。それでも半分は割れる。……だが!」
ガラムさんが拳を握りしめて熱弁を振るう。
「この『バネ』で衝撃を殺せれば、割れずに運べる! 運べる荷物の量が倍になる! いや、移動速度だって上げられるぞ!」
彼の鼻息が荒い。
ただの快適な椅子じゃない。これは、物流を変える革命なのだ。
ガラムさんは懐から革袋を取り出し、ジャラリと重たい音をさせてテーブルに置いた。
「金貨5枚だ。……とりあえずの手付金として受け取ってくれ」
「ご、5枚!?」
私は目を白黒させた。
金貨5枚と言えば、村での生活費なら半年は遊んで暮らせる大金だ。
「これでも安いくらいだ。この技術があれば、俺の商会は王都一になれるかもしれん……!」
喉から手が出るほど欲しい金額。
でも、ガラムさんはさらに真剣な顔でこう続けた。
「その代わり……この技術は、俺の商会との『独占契約』にしてくれ。他の商人には売らない、製法も教えないと約束できるか?」
「えっ……独占、ですか?」
私は言葉に詰まった。
金貨の山を見ても、素直に喜べない自分がいたからだ。
「あの、ガラムさん。私は別に、この技術で大儲けしたいわけじゃなくて……。良いものなら、みんなが自由に使えた方が、世の中便利になるんじゃないですか?」
前世の知識は、私のものじゃない。
それを独り占めして囲い込むのは、なんだか卑怯な気がしてしまうのだ。
しかし、ガラムさんは真剣な顔で首を横に振った。
「お嬢ちゃん、それは違う。甘い考えだ」
「甘い、ですか?」
「ああ。もしこの技術を誰にでも教えたらどうなる? 金に目がくらんだ悪い商人が、粗悪な鉄で真似をするだろうさ」
ガラムさんの声が低くなる。
「すぐに折れるバネ、曲がったら戻らない鉄……そんな偽物が『雲の上の椅子』として出回ってみろ。怪我人が出るぞ? そうなったら、本物を作ったこの子の評判まで地に落ちる」
「あっ……」
私はハッとしてトトを見た。
トトは不安そうに耳を垂れている。
「『技術』を守るってことは『職人の誇り』を守るってことだ。俺と契約すれば、品質は俺が保証する。変な横槍からも俺が守ってやる。……それが、商人の仁義ってもんだ」
ガラムさんの言葉は、重く、そして温かかった。
ただの利益のためじゃない。
彼なりの「プロとしての責任」を背負ってくれようとしているのだ。
(そっか……。広めることだけが正義じゃないんだ)
大切なトトを守るためには、信頼できるパートナーが必要だ。
「……分かりました。ガラムさんを信じます」
「……ん。ボクも、このおじちゃんなら、いい」
トトもこくりと頷いた。
「へっ、交渉成立だな!」
ガラムさんがニカッと笑い、大きな手で私たちの手を包み込んだ。
窓の外では、冷たい風が吹いている。
でも、家の中は熱気に満ちていた。
私の知識と、トトの技術。そしてガラムさんの覚悟。
三つの歯車がガチリと噛み合って、新しい何かが動き出そうとしていた。
私はテーブルの上の金貨と、頼もしい大人の顔を見比べて、つられて温かい笑顔になるのだった……。
馬車ミニ知識:
① 【古代〜中世前期(エリスたちの世界の標準)】
技術: なし(直付け)
構造: 車輪の軸の上に、箱を乗せただけ。
乗り心地: 地獄。 路面の衝撃がダイレクトに来るので、貴族でも長距離移動は拷問でした。
② 【中世後期(14〜15世紀頃)】
技術: 「吊り下げ式(ブランコ型)」
構造: 4本の柱を立てて、そこから革ベルトや鎖で荷台をハンモックのように吊るす。
乗り心地: 衝撃は減りますが、前後左右にグラグラ揺れるので、めちゃくちゃ酔います(船酔い状態)。
③ 【近世(17世紀後半〜)】 ★エリスが持ち込んだのはコレ!
技術: 「鋼鉄製スプリング(板バネ)」
構造: 鉄の弾力を利用して、衝撃を吸収して、すぐに静止させる。
乗り心地: 天国。 酔わないし、痛くない。19世紀の西部劇に出てくる馬車はこれです。
※予約投稿日時を間違えてました!ごめんなさい!




