第39話:真っ白なパンと、幸せの湯気
数日後。
私たちは泥で作ったアースオーブンの前に集まっていた。
表面はカチカチに乾き、白っぽく変色している。中での焚き火(乾燥運転)も終わり、いつでも使えそうな状態だ。
「じゃーん! 窯ができたから、今日は雑貨屋で奮発して買ってきちゃった!」
私がドン! とテーブルに置いたのは、麻袋に入った粉だ。
「……粉?」
モコが袋を覗き込み、露骨にがっかりした顔をする。
中に入っているのは、茶色っぽくて、殻の欠片が混じった粉――「全粒粉」だ。
「あーあ。またこのジャリジャリパンかぁ。顎が疲れるんだよねぇ」
「……ん。いつもの黒パンと、色が同じ」
二人の反応も無理はない。見た目は普段食べている安い「ライ麦」とそっくりだからだ。
「ふっふっふ、甘いね二人とも。これはライ麦じゃないよ。『小麦』だよ!」
「こむぎ……? 貴族が食べるやつ? でも、茶色いよ?」
「それはね、美味しい中身の周りに、硬い『殻』がついたままだからだよ。栗や胡桃と一緒。硬い殻の中に、美味しい中身が隠れてるの」
「……でもエリス姉。この殻、どうやって分けるの? 手で拾う?」
モコが粉の中に指を突っ込もうとする。
確かに、砂金採りみたいに手で選り分けていたら日が暮れてしまう。
「ううん。道具を使うよ。……トトちゃん、端材で『四角い枠』を作れる?」
「……ん。すぐできる」
トトが作業場から木の端材を持ってきて、カンカン! と釘を打つ。あっという間に木枠ができた。
「あとは、この布を張って……」
私は雑貨屋で粉と一緒に買っておいた、目の粗い薄布を木枠に被せ、ピンと張って紐で固定した。
見た目は、四角い太鼓のような道具だ。
「これで完成! 即席『ふるい』だよ!」
「へぇー! 太鼓みたい!」
「この布の隙間から、細かい粉だけが落ちて、大きい殻は上に残るの。さあ、やってみよう! というわけでモコ、この枠をガタガタ揺らして!」
「任せてー! 」ドドドドド!
モコの怪力振動で、茶色い粉がふるいにかけられる。
ガガガガガッ!
布の上に「茶色い殻」が残り、下に「真っ白い粉」だけが雪のように降り積もる。
「……こんなに、ゴミが出る」
トトが目を丸くする。布の上には、予想以上の量の茶色いカスが残っていた。
「贅沢ねぇ。袋一杯の麦から、取れる白い粉はたったこれだけ? ……貴族が高いお金を払うわけだわ」
ピコが感心したように、しかし勿体なそうに言った。
「でも、今日は特別! この純白の『強力粉』だけで焼くよ!」
私たちは白い粉に水を加え、丁寧に捏ねていく。殻が取り除かれた生地は、赤ちゃんの肌のようにスベスベで、驚くほどよく伸びた。
「よし、捏ね上がり! あとは生地を寝かせて、膨らむのを待とう」
「ええーっ!? すぐ焼けないのぉ!?」
モコがガクッと膝をつく。
「ふふ、パンは生き物だからね。ゆっくりお昼寝させてあげないと、フワフワにならないんだよ」
† † †
すっかり日が落ち、空には星が瞬いていた。
昼間から温め続けていたアースオーブンの火を落とす。
ボウルにかぶせていた濡れ布巾を取ると、昼間は小さかった生地が、ぷっくりと二倍ほどに膨らんでいた。
「わぁ……! お餅みたいに膨らんでる!」
「……不思議。生きてるみたい」
モコとトトが、ランタンの光に照らされた白い生地を覗き込む。
さあ、いよいよ焼きの時間だ。
私は長い棒を使って、オーブンの中の燃え盛る薪と灰を全て外にかき出した。
ザッ、ザッ。
炉の中が空っぽになる。さらに、濡らしたモップで炉床をサッと拭き掃除する。
ジュワァァァ……!
白い蒸気が上がり、炉の中はシーンと静まり返った。
「……? エリス、火を出しちゃったら、焼けない」
トトが不思議そうに首を傾げる。
「ううん、大丈夫。……トトちゃん、ちょっとだけ手を入れてみて」
トトが恐る恐る、暗いドームの中に手を差し入れた。
「…………!」
瞬間、トトの耳がピクリと跳ねる。
「……熱い。火がないのに、すごい熱気」
「これが『蓄熱』なの。分厚い土の壁が、火の熱さを吸い込んで溜め込んでるの」
私はトトの隣で微笑んだ。
「直火じゃなくて、全方向からポカポカ包み込むような熱。だから、中までふっくら焼けるの」
「……包み込む、熱」
トトが納得したように頷く。
私たちは、膨らんだ白い生地を木のヘラに乗せ、炉の奥へと滑り込ませた。
サッ。
木の板で入り口に蓋をして、濡れた布で隙間を塞ぐ。
庭には虫の声と、薪が爆ぜる音だけが響く。
二十分ほど経っただろうか。排気口から、甘くて香ばしい匂いが漂ってきた。
「そろそろかな……オープン!」
私が蓋を外した瞬間。
フワァァァ……!
真っ白な湯気と共に、幸せの香りが夜の庭に爆発した。
「うわぁぁ……! いい匂い!」
モコが鼻をヒクつかせて飛び跳ねる。
取り出したのは、月明かりの下でも分かるほど、こんがりときれいなキツネ色に焼けた丸いパンたち。
いつものズッシリと重い黒パンとは違い、ふっくらと見事に膨らんでいる。
「はい、焼きたてだよ!」
「いっただきまーす!!」
モコが一番大きなパンに飛びついた。
「あっつ! あつっ! ……でも……」
モコがパンを両手で割る。
パリッ。
軽やかな音と共に皮が割れ、中から湯気が立ち上る。
現れたのは――雪のように真っ白な断面。
「すごい……! 本当に真っ白!」
モコが大きな口でかぶりつく。
ハフッ! ハフッ!
「……んん〜っ! 柔らか〜い!!」
モコが目を丸くして、頬に手を当てた。
「なにこれ! 噛まなくても溶けちゃうよ!? 雲みたい!」
「大げさねぇ……。んっ!?」
上品に一口ちぎって食べたピコも、目を見開いて固まった。
「……嘘でしょ。殻がないだけで、こんなに食感が変わるの? 舌の上でフワって消えるわ……」
「……おいしい。甘い」
トトも幸せそうに目を細め、大事そうにパンをモグモグしている。
「いつもの粉でも、手間をかけて、時間をかければ魔法がかかるんだよ」
私も焼きたてを一口頬張った。
外はパリパリ、中はしっとりふわふわ。穀物の優しい甘みが口いっぱいに広がる。
ジャリジャリなんてどこにもない。これは間違いなく、王都のパン屋にも負けないご馳走だ。
「エリス姉、天才! この窯、最高だよぉ!」
「……ん。アースオーブン、すごい」
みんなの笑顔と、夜空に立ち上る白い湯気。
少しの手間と、待つ時間。それさえあれば、日常はこんなにも豊かになる。
最高の夜食に囲まれて、私は満ち足りた気持ちで星空を見上げるのだった……。
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