第37話:鉄の先生と初めての友達
水車が完成した翌日の朝。
私たちの家には、穏やかな朝の時間が流れていた。
カチャ、カチャ。
スプーンがお皿に当たる音が心地よく響く。
今日の朝食は、少し奮発して焼いたベーコンと、野菜たっぷりの温かいスープだ。
「ん~っ! おいしい! 働いた後のご飯は最高だよ~!」
モコが口の周りにスープをつけながら、満面の笑みで頬張っている。水車のおかげで重労働から解放され、心なしかいつもより元気だ。
「ちょっとモコ、口の周りが汚れてるわよ」
ピコが呆れながらも、ハンカチで拭いてあげている。
私もパンをスープに浸しながら、平和な朝を噛み締めていた。
その時だった。
ピタリ。
向かいに座っていたトトが、急に食べる手を止めた。
スプーンを持ったまま、じっと私の方を見つめている。
「ん? どうしたのトトちゃん? スープ、冷めちゃった?」
私が首を傾げると、トトは少し躊躇うように視線を泳がせ、それから意を決したように小さな口を開いた。
「……師匠」
「えっ?」
今、なんて?
聞き間違いかと思って瞬きをする私に、トトは真っ直ぐな瞳で繰り返した。
「……エリスを、師匠って呼んでいい?」
「ええっ!? し、師匠!?」
私が素っ頓狂な声を上げると、ピコとモコも驚いて顔を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! 私なんかよりも、トトちゃんの方がずっと鉄のこと詳しいじゃない! 私、鍛冶なんて全然できないよ?」
むしろ、私がトトちゃんに「師匠!」って呼びたいくらいだ。
私が慌てて手を振って否定すると、トトはふるふると首を横に振った。
「……ううん。鉄のことは、ボクが詳しい。……でも」
トトが少し恥ずかしそうに、自分の服のボタンを指差した。
「……ボク、他のことわかんない。……この前も、ボタン留められなかった」
そういえば、トトが着替える時、ボタンを掛け違えて困っていたのを手伝ったことがあった。
「……ご飯も。一人でいた時は、木の実だけだった。……スープの作り方も、お布団の敷き方も、わかんない」
トトの言葉に、ハッとした。
この子は天才的な鍛冶の腕を持っているけれど、まだ幼い女の子だ。
ずっと廃坑で一人きり、鉄と向き合うだけの生活をしてきた。だから「生活」の仕方を何も知らないんだ。
「……エリスは、いろんなことを知ってる。……ボクに「暮らし」を教えてくれる」
トトが琥珀色の瞳を潤ませて、上目遣いに私を見る。
「……だから、師匠。……ダメ?」
(うぅ……そんな目で見られたら……)
破壊力抜群だ。断れるわけがない。
私は席を立ち、トトの隣に行って、そのボサボサの頭を優しく撫でた。
「……いいよ! もちろん!」
「……!」
「私がトトちゃんの『暮らしの師匠』になる。その代わり、トトちゃんは私の『鉄の先生』になってね?」
「……ん! わかった!」
トトがパァァッと顔を輝かせた。尻尾の揺れに合わせて、垂れた犬耳もピョコピョコと動いている。
トトは嬉しそうにスプーンを握り直すと、隣にいるモコとピコを交互に見た。
「……それに。ピコもモコも……」
トトが少し照れくさそうに頬を赤らめる。
「……ボクの、はじめての友達」
「「えっ」」
トトが、ポツリポツリと語り始めた。
「……ボク、あんまり他のコボルト達と馴染めなかった」
コボルト族は、本来とてもお喋りで、コミュニケーションを大事にする種族らしい。みんなでワイワイ騒ぐのが普通だ。
「……でもボク、お喋りヘタだから。……みんなの輪に入れなかった」
(ああ……なんとなく想像できるかも……)
トトは口数よりも手を動かす職人気質だ。「コミュ力至上主義」の群れの中では、浮いてしまっていたんだろう。
「……じいちゃんだけは、味方だったんだけど」
トトの目が少し遠くを見る。
「……じいちゃんも、偏屈で無口だったから。……似たもの同士で、離れの廃坑でずっと二人で鉄を叩いてた」
「……だから。こんなに賑やかなご飯、はじめて」
トトが噛み締めるように言った。
一瞬、しんみりとした空気が流れる。でも、それを吹き飛ばすように、元気な声が響いた。
「なに言ってるの! トトはもうモコの家族だよ!」
モコが身を乗り出して、トトの手をギュッと握る。
「モコもね、エリス姉に拾ってもらうまで一人だったの。だから一緒! これからはずーっと一緒だよ!」
「……うん!」
トトが嬉しそうに頷く。そして、チラリとピコの方を見ると、ピコは紅茶カップを置いて、フンと鼻を鳴らした。
「ま、仕方ないわね。この家は世話の焼ける子供ばっかりなんだから」
ツンとした口調だけど、その黄金色の瞳はとても優しい。
「あんたの面倒くらい、ついでに見てあげるわよ。……友達、なんでしょ?」
「……! ……うんっ!」
トトが今日一番の笑顔を見せた。
泥と煤にまみれて生きてきた小さな手が、今は温かいスープと、仲間の手に包まれている。
(よかったね、トトちゃん)
私は愛おしさが込み上げてきて、もう一度トトの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「さあ、師匠命令だよ! 冷めないうちにご飯を食べなさい!」
「……ん! いただきます!」
トトが大きな口でパンにかぶりつく。モコも負けじとスープをおかわりし、ピコがそれを呆れながら世話を焼く。
賑やかで、温かくて、愛おしい朝。
窓から差し込む朝日が、私たちの新しい関係を祝福するように、食卓をキラキラと照らしているのだった……。
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