第30話:甘いポタージュとボタン
翌朝。私はかまどの前で、木べらをゆっくりと回していた。
コトコト、コトコト。
お鍋の中では、昨日の夜から仕込んでおいたカボチャのポタージュが、優しい音を立てている。ミルクとバターの甘い香りがふわっと立ち上って、朝の冷えた空気を満たしていく。
「……おいしくできたかな」
味見をして、小さく頷く。うん、完璧。今日は、新しい家族が増えて初めての朝ごはんだ。
昨日、廃坑から連れ帰った小さな鍛冶屋さん――コボルトの女の子。
あの子、昨日は疲れ切ってすぐに眠っちゃったけど、ちゃんと眠れてるのかな…。そういえば、バタバタしていて名前も聞いていなかったことを思い出す。
(……目が覚めたら、知らない場所だもんね)
私は心配になって、部屋の隅にあるベッドの方を振り返った。そこには、モコとピコが重なるようにして、気持ちよさそうに寝息を立てているだけだった。
「……あれ?」
あの子の姿がない。部屋を見回すけれど、どこにもいない。
「ねぇ、どこにいるのー?」
呼びかけてみるが、返事はない。まさか、怖くなって逃げ出しちゃった…?不安になりかけた、その時だった。
サササッ……!
タンスと壁の、ほんのわずかな隙間から、赤茶色の何かが引っ込むのが見えた。ボサボサの髪と、大きな垂れ耳だ。
「……あ」
私がそっと近づくと、その影はさらに奥へと縮こまってしまった。まるで、人間に見つかった野生のタヌキみたいに、膝を抱えて小さくなっている。
「……こないで。……怖い」
隙間から、震える声が聞こえる。その瞳は昨日助け出した時と同じ、深い緑色。でも今は、不安でいっぱいに揺れていた。
「大丈夫だよ。ここは私の家。……昨日のこと、覚えてる?」
「…………じいちゃんの火」
「ほら。火はちゃんとここにあるよ」
私はテーブルの上に置いたランタンを指差した。朝の光の中でも、種火はしっかりと息づいている。コボルトの少女はチラリとランタンを見て、少しだけほっとしたように息を吐いた。
でも、隙間からは出てこない。耳をふさぐようにして、体を震わせている。
「……音、いっぱい。……怖い」
モコやピコの寝息。そして窓の外、風に乗って聞こえてくる村の人たちの話し声。ずっと一人で静かな場所にいた彼女にとって、ここはちょっと賑やかすぎるのかもしれない。
(まずは、安心させてあげないと)
私はしゃがみ込んで、目線の高さを合わせた。
「ねぇ、私の名前はエリス。……君の名前、教えてくれる?」
私が聞くと、隙間の奥で瞳が揺れた。しばらくして、ポツリと小さな声が返ってきた。
「……トト」
「トトちゃん?」
「……ん。ボク、トト」
トトちゃんか。呼びやすくて可愛い名前だ。
「教えてくれてありがとう、トトちゃん。……ねぇ、お腹空いてない?」
「……」
返事はない。でも、ここで無理に引っ張り出すわけにもいかない。私は少し考えて、作戦を変更することにした。北風と太陽なら、太陽作戦だ。
私はかまどから、熱々のポタージュをお椀によそった。湯気と一緒に、カボチャの甘い香りと、溶けたバターのおいしそうな匂いが、お部屋いっぱいに広がる。
「今日の朝ごはんは、カボチャのミルクポタージュだよ。甘くて、トロトロで、すっごく温まるんだぁ」
聞こえるように言いながら、お椀をトトが隠れている隙間の前に置いた。そして、少し離れた場所に座って様子を見る。
……ヒクッ、ヒクッ。
隙間の奥で、垂れ耳がピクリと動いた。おいしい匂いの暴力は、野生動物(?)には効果てきめんだ。
グゥ~~~~……。
静かなお部屋に、切実すぎるお腹の音が響き渡った。それはもう、元気いっぱいに。
「…………ぅ」
隙間の奥で、トトが顔を真っ赤にしてうずくまるのが見えた。恥ずかしさと、食欲の戦いだ。
やがて。ズルズル……と、隙間から這い出してくる影があった。
ボサボサの髪の隙間から、お椀をじっと見つめている。警戒しながら、恐る恐る手を伸ばし、お椀を両手で包み込んだ。
「……熱くないから、飲んでみて」
私が優しく声をかけると、トトは小さく頷いて、スープに口をつけた。
一口。
「…………!」
トトの目が、カッと見開かれた。こわばっていた肩の力が抜けて頬が緩む。カボチャの優しい甘みが、空っぽの胃袋に染み渡っていくのが分かるような顔だ。
「……あまい。……おいしい」
トトは涙目になりながら、夢中でスープを飲み始めた。怖がっていた気持ちなんてどこへやら。一生懸命に口を動かしている。その姿を見ているだけで、私の胸まで温かくなる。
「おかわりもあるからね」
「……ん」
食べ終わると、トトは満足そうに息を吐いて、ようやく私の顔をまともに見てくれた。その瞳には、もうさっきまでの怯えはない。
あるのは、ご飯をくれるいい人という、素直な信頼感だけだった。
(ふふ、よかった。まずは第一関門突破かな)
† † †
「さて、ご飯の後は着替えよっか」
トトの服は、昨日の泥と煤で真っ黒だ。幸い以前村の人からもらった子供服の中に、合いそうなサイズのシャツとズボンがあった。
「これに着替えてみて。サイズ、合うかな?」
私は服を渡して、背を向けた。ガサゴソと衣擦れの音がする。
「……できた」
数分後。トトの小さな声が聞こえた。振り返った私は、言葉を失ってしまった。
「……えっと、トトちゃん?」
そこに立っていたのは、確かに新しい服を着たトトだった。でも。
シャツのボタンはずれているし、お腹が見えてしまっている。襟はぐちゃぐちゃだし、ズボンなんて、前後ろが逆だった。
「……ボク、ボタン……きらい」
トトが半泣きで、シャツの裾を握りしめている。指先は震えていて、どう直せばいいのか分からずに混乱しているようだった。
(……あれ?)
昨日の姿とは大違いだ。あんなに必死に道具を守っていたのに、自分のことは苦手なのかな。
(もしかしてこの子……とっても不器用さん?)
なんだか放っておけない危なっかしさがある。
「……じっとしててね。直してあげる」
私は苦笑しながら、トトの前にしゃがみ込んだ。ボタンを外して、正しい穴に通し直す。襟を整えて、ズボンの向きも直してあげた。
「……ん。ありがとう」
トトが小さく呟いた。前髪の隙間から覗く森緑色の瞳が、少しだけ照れくさそうに私を見上げている。
「どういたしまして。……さあ、トトちゃん。これからが本番だよ」
「……本番?」
トトが首をかしげる。
「そう。トトちゃんには、火と鉄と、ハンマーがある。でも、一番大事なものが足りないでしょ?」
私は、トトが大切に抱えているランタンの火を見つめて言った。
「火を燃やして、鉄を叩くための『場所』が」
「……炉」
トトの表情が曇る。昨日、廃坑で失ってしまったおじいちゃんの炉を思い出したのだろう。
「うん。だからね、今日はみんなで、トトのための『新しい炉』を作るよ!」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「……炉!」
トトがパッと顔を上げた。
ボサボサの前髪の奥にある森緑色の瞳が、朝日のようにキラキラと輝き出す。まるで垂れていた見えない耳が、ピコン! と嬉しそうに跳ね上がったようだ。
(あ、笑った)
不器用で、臆病で、でも鉄のことになると一直線な、小さな職人さん。
私はその頭を優しく撫でて、自然と笑みをこぼした。
甘いスープの香りが残る朝の部屋に、新しい家族の希望の音が響き始めた気がした……。
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