第23話:戦いの傷跡と、癒やしのポトフ
小鳥のさえずりが、鼓膜を優しくノックする。 眩しい朝の光。爽やかな風。最高の目覚め、のはずだった。
「……いったぁ」
体を起こそうとした瞬間、全身の筋肉が悲鳴を上げた。 首、肩、腰、そしてハンマーを振り回した腕。まるで油の切れた歯車のように、関節がギチギチと音を立てる。
「……うぅ……重い……」
隣を見ると、モコが泥のように眠っている。 いつもなら「おはよー!」と飛び乗ってくるのに、今日はピクリとも動かない。唯一、尻尾の先だけが生存確認をするように、ピョコ、ピョコと揺れている。 部屋の隅では、ピコが黒い毛玉となって丸まっていた。
(……昨日は、張り切りすぎたなぁ)
私は軋む体に鞭を打って、ベッドから這い出した。 水を一杯飲み、重い扉を開けて外へ出る。
「……うわぁ」
目の前に広がっていたのは、廃墟だった。 無惨にへし折られた木の柵。あちこちに開いた落とし穴。ゴブリン・リーダーが投げた石が穿った、地面のクレーター。 昨日、私たちが必死に守り抜いた「要塞」の成れの果てだ。
(これを……直すの?)
気が遠くなる。 材料の調達から、穴埋め、柵の組み直し。考えただけで、頭の中で鉛の鐘が鳴った。
「……やるしか、ないか」
愛用のハンマーを取り出す。 柄を握る。手に力を込める。
……上がらない。
愛用のハンマーを持とうとした瞬間、腕に力が入らず、カラン……と床に落としてしまった。
「……あうぅ、エリス姉ぇ……」
背後から、へろへろになったモコが這い出してきた。 顔はやつれ、自慢の耳もぺたりと垂れている。
「お腹すいた……でも、指一本動かせないもん……」
「……アタシもよ」
ピコが亡霊のように現れ、柱に寄りかかった。
「昨日の戦闘で、筋肉繊維がズタボロだわ。これじゃあ狩りどころか、ネズミ一匹捕まえられない」
三人揃って、完全なガス欠だ。 私は地面に落ちたハンマーを見つめ、大きく息を吐いた。
「……よし。今日は、お休みにしよう」
「お休み?」
「そう。お仕事禁止!修理も後回し。今日は体を治す日!」
「それじゃ、ご飯作ろうか」
私は土器の大鍋にたっぷりの水を張った。まな板に向かうのも辛いから、野菜は手でちぎって放り込む。ゴロゴロとした人参、キャベツの芯。そしてメインは、先日安く買った「ツノウサギのスジ肉」だ。
「ねぇエリス姉、またその硬いお肉?」
「そうだよ。でも、今日のはステーキじゃないからね」
「ふん、ただの水煮?」
ピコが横目で鍋を見る。
「昨日のステーキは美味しかったけど……流石にただ煮るだけじゃ、あのゴムみたいなスジ肉は美味しくならないでしょ?」
「甘いね、ピコちゃん。料理は化学なんだよ」
「だからちゃん付けするな! ……で、今度は何を企んでるのよ」
「『点火』」
私はかまどに火を入れ、ニヤリと笑った。
「お鍋の中で魔法をかけるの。この硬いスジ肉には『コラーゲン』がいっぱい含まれてるんだけどね」
「コラーゲン?」
「そう。これを弱火で長時間コトコト煮込むと、組織が解けてやわらかくなるんだよ」
——コラーゲンのゼラチン化。ステーキの時は酵素で分解したけれど、今回は熱変性だ。消化にエネルギーを使わず、傷ついた筋肉の修復材になってくれる。
コト、コト、コト……。
静かな部屋に、煮込む音だけが優しく響く。
「……なんか、いい匂いがしてきた」
モコが鼻をひくひくさせている。
「セロリみたいな匂いがするわね」
「臭み消しのハーブだよ。もうちょっと我慢してね」
† † †
一時間後。
「よし、完成!」
蓋を開けると、真っ白な湯気がボワッと立ち上った。私はスープを器によそい、二人の枕元へ運んだ。
「はい、召し上がれ」
「いただきまーす!」
モコがスプーンで肉をすくい、口に運ぶ。
「……はふっ」
その瞬間、モコの目がとろ~んと細められた。
「んん~っ! とろけるぅぅ……!」
「またまた、大袈裟なんだから……」
ピコも疑り深そうに一口食べる。そして、ピタリと動きを止めた。
「……っ!?」
「どう? ピコちゃん」
「……悔しいけど、美味しいわ」
ピコはスプーンを動かす手が止まらない。
「昨日のステーキも柔らかかったけど、あれとは全然違うわね。昨日は『ふわっと』切れる感じだったけど……これは口の中で『崩れる』感じ。噛まなくても消えていくわ」
「ふふん。煮込みのマジックだよ」
「それに、体があったまる……。なんか、痛いのが飛んでいきそう」
「消化が良いから、すぐに体の力になるよ」
野菜の甘みが溶け出したスープが、乾いた体にじわりと染み渡っていく。派手な味付けはない。けれど、今の私たちにはどんなご馳走よりも美味しかった。
「おかわりある?」
「あるよ。たくさん食べて、早く治そうね」
† † †
鍋が空っぽになる頃には、満腹感と温かさで、強烈な睡魔が戻ってきた。
「ごちそうさまでした……むにゃ」
モコがそのまま横になる。ピコも、丸くなって満足そうに喉を鳴らしている。
「……ふん、悪くない休日ね」
「でしょ?」
私も二人の間に潜り込んだ。壊れた庭は、明日直せばいい。筋肉が切れて太くなるように、私たちの拠点も、直すたびにきっと強くなる。
「おやすみ、二人とも」
「おやすみぃ……」
三人の穏やかな寝息が重なり、私たちは泥のように深い、二度目の眠りへと落ちていった。
※獣人には、タマネギが持つアリルプロピルジスルフィドを無害化する、抗酸化機能が備わっているためたべてもへーきとなっています!ᐢ. ̫.ᐢvあんしん!
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