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第2話:広い空と、手作りの葉っぱの壁

 翌朝、私は誰にも見送られることなく、勇者パーティの宿舎を後にした。


 王都セレストの朝は早い。大通りにはすでに商人の馬車が行き交い、市場からは威勢のいい声が聞こえてくる。


 高い尖塔がそびえ立ち、空を見上げるようなこの都。エーテル正教の総本山であり、精神至上主義の中心地。


 ここでは、物質は「仮の器」に過ぎない。 魔法で何でも解決できるから、物を大切にする必要はない。


 そんな空気が、肌に刺さるように満ちている。


(ここは……私の居場所じゃなかった)


 シスター服の裾を翻して、私は城門へと向かった。門番の兵士が不思議そうな顔で私を見ていたけれど、呼び止められることはなかった。


 重厚な石造りの門をくぐる。


 その瞬間——。


 世界が、変わった。


   城門の外には、どこまでも続く広大な平原が広がっていた。


 風が草を撫でる音。土の匂い。 遮るもののない、広い空。


(そうだ……世界は、こんなにも広かったんだ)


 王都の狭い部屋で、息苦しくポーションを煮詰めていた日々。「遅い」「無能」という冷たい視線に耐えながら、必死で笑顔を作っていた日々。


 それが、嘘のように遠く感じられた。


 私はリュックのベルトを握りしめ、一歩を踏み出した。


  † † †


 しばらく歩いて、街道沿いの木陰で休憩することにした。


 リュックから地図を取り出し、草の上に広げる。これは昨日、古本屋で安く手に入れた古い地図だ。


「えっと……現在地がここだから……」


 指でルートをなぞる。


 王都セレストから北へ向かう街道。その先には、いくつかの町や村が点在している。


(どこに行こう)


 当てなんてない。 財布の中には、全財産の銀貨15枚(約15万円相当)。しばらくは食い繋げるけれど、一生遊んで暮らせる額じゃない。


 どこかに定住して、生活の基盤を作らないと。


「……ここ、かな」


 私の指が止まったのは、街道から少し外れた場所にある小さな点だった。


 ——ココン村。


 以前、ポーションの材料を納品に来た行商人から聞いたことがある。「ココン」のように静かな村だと。そして何より、地図を見るとすぐ近くに大きな森——「フィーロの森」がある。


(森が近ければ、木材には困らないはず)


 家を建てるにも、道具を作るにも、木が必要だ。それに、辺境なら物価も安いはずだし、魔法至上主義の目も届きにくいだろう。


「よし。目的地はココン村」


 そうと決まれば、腹ごしらえだ。


 私はリュックから、昨日市場で買っておいた黒パンを取り出した。一番安い、石のように固いパンだ。


(このままだと歯が折れそう……)


点火イグニス


 指先に小さな火を灯す。戦闘では役に立たない、ライター程度の火力。でも、パンを軽く炙るにはちょうどいい。


 香ばしい匂いが漂ってくる。 温まって少し柔らかくなったパンを齧る。


「……うん、悪くない」


 素朴な麦の味。一人で食べる食事は味気ないけれど、誰にも「早く食べろ」と急かされないのは悪くない。


  † † †


 昼過ぎ。 太陽が高く昇り、汗ばむような陽気になってきた。


(うぅ……足が痛い……)


 慣れない革ブーツでの長距離移動。整備された王都の石畳とは違い、街道は凸凹していて歩きにくい。


 シスター服の裾が泥で汚れるのを気にしながら歩いていると、後ろからガラガラと車輪の音が聞こえてきた。


 振り返ると、荷物を満載した一台の馬車がやってくる。


(あ、商人の馬車だ)


 乗せてもらえれば、だいぶ楽になるはずだ。でも——。


(……声、かけられるかな)


 私は小心者だ。初対面の人に「乗せてください」なんて頼むのは、モンスターと戦うより勇気がいる。


 通り過ぎるのを待つか、それとも勇気を出すか。迷っている間に、馬車が近づいてくる。


「おーい! そこのシスターさん!」


 声をかけてくれたのは、御者台に座っていた初老の男性だった。


「こんな何もないところで、どうしたんだい? 行き倒れかと思ったよ」


「あ……い、いえ! 旅をしていて……その……」


 私は慌てて手を振った。


「北の方へ行くなら、乗ってくかい? 荷台で良ければ空いてるよ」


「えっ、い、いいんですか?」


「ああ。話し相手もいなくて退屈してたんだ。銅貨数枚でどうだい?」


 渡りに船とはこのことだ。 私はほっとして、財布から小銭を取り出した。


 荷台の木箱の隙間に座らせてもらう。ガタゴトと揺れる振動すら、今は心地よかった。


「しかし、シスターさんが一人旅とは珍しいねぇ。巡礼かい?」


「えっと……まぁ、そんなところです」


 「追放されました」とは言えなくて、曖昧に笑って誤魔化す。商人の男性は深く詮索せず、王都の景気の話や、街道の天気の話をしてくれた。


 他愛ない会話。 それが、孤独だった私の心を少しだけ軽くしてくれた。


  † † †


 夕方、私は森の近くで馬車を降りた。商人の目的地とは道が分かれるからだ。


「ありがとう、おじさん」


「気をつけてな。この辺は夜になると冷えるぞ」


 遠ざかる馬車を見送ると、辺りは急に静まり返った。 聞こえるのは、風の音と虫の声だけ。


(さて……今日はここで野宿だね)


 私は街道から少し外れた、森の入り口にある開けた場所を選んだ。 テントなんて持っていない。 あるのは、シスター服と毛布一枚。


(風よけを作らないと、夜風が冷たいから凍えちゃう)


 私は工具箱を開けた。中から取り出したのは、愛用の「万能ナイフ」。グリップが手に馴染む、頼れる相棒だ。


 辺りを見回して、手頃な太さの枯れ枝を集める。


(動画で見た知識、試してみよう)


 私はナイフの刃を枝に当てた。そして、別の硬い木片で、ナイフの背をガン、ガン! と叩く。


 ——バトニング。


 ナイフ一本で薪を割ったり、木を切ったりする技術。前世で見たサバイバル動画の知識だ。


 パキンッ!


 乾いた音と共に、枝が綺麗に割れた。


「よし、いける」


 私は次々と枝を適当な長さに切り揃えていく。切った枝を地面に突き刺し、骨組みを作る。そこに、持っていた予備の布や、集めた大きな葉っぱを被せていく。


 地味な作業だ。勇者パーティにいた頃なら、魔法使いのルーカスが『ウィンド・シェルター(風の防壁)』を一瞬で張っていただろう。雨風を完全に防ぎ、温度調節までしてくれる便利な魔法。


 それに比べたら、私が作っているのはただの「葉っぱの壁」だ。隙間だらけだし、見栄えも悪い。


 でも——。


「できた……」


 完成した小さなシェルターを見て、私は息を吐いた。 中に入ってみる。背中側の風が遮られるだけで、驚くほど暖かく感じる。


(自分で作った場所だ)


 魔法に頼らず、知識と手作業で作った、私だけの寝床。その事実は、魔法の結界よりも、私の心を温めてくれる気がした。


  † † †


 日は完全に落ち、空には満点の星が輝いていた。


 焚き火の前で、私は水筒を取り出した。近くの小川で汲んできた水だ。


「『浄化ミニ・クリーン』」


 水魔法Lv.1の応用技。 本来は洗浄に使う魔法だけど、魔力を薄く広げれば、水の中の不純物を取り除くことができる。


 魔力がじんわりと水に浸透していく感覚。これで、お腹を壊す心配はない。


 一口飲むと、冷たくて美味しかった。


(静かだなぁ……)


 パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く。


 一人は寂しい。暗闇は怖い。 明日のことも、これからの生活も、不安だらけだ。


 でも、ここには私を否定する人はいない。「効率が悪い」と切り捨てる人もいない。


 私は毛布にくるまり、今日作ったばかりのシェルターに身を寄せた。


「おやすみ」


 誰に言うでもなく呟いて、目を閉じる。工具箱を抱きしめると、木の感触が安心感をくれた。


 ココン村まで、あと二日。私のスローライフへの旅は、まだ始まったばかりだ。

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