第19話:静寂の破綻と鉄鎧ゴブリン
翌日。私たちは最終点検を終え、早めの夕食を摂っていた。
ピコの予測では、敵の到着は「明日の夜」。だから今夜は、鋭気を養うためにしっかり寝ておく予定だった。
「……ねぇ、エリス姉。なんか森が静かすぎない?」
モコがスープを飲みながら、不安そうに耳をピコピコさせている。
窓の外は漆黒の闇。いつもなら聞こえる虫の声も、風の音すらもしない。まるで世界が息を止めているような、不自然な静寂だ。
「嵐の前の静けさ、ってやつかもね。今日は交代で見張りを立てて、早めに休もう」
私が食器を片付けようと立ち上がった、その時だった。
カチッ……。
風に乗って、微かな音が鼓膜を揺らした。家の裏手、森の入り口付近に仕掛けた「鳴子」の音だ。木の板と板がぶつかる、乾いた音。
「……!」
三人の動きが同時に止まる。風? いや、風はない。小動物? それにしては——。
カチ、カチチッ! カカカッ!!
一つじゃない。二つ、三つ。連続して音が鳴り響く。
それは、何者かが「集団」で、森の境界線を越えてきた合図だった。
「……来たわね」
ピコが音もなく立ち上がり、窓から外を睨んだ。その金色の瞳孔が、針のように細く収縮している。
「嘘……予定より一日早いよ!?」
「奴ら、空腹で目が血走ってたわ。食料を求めて、夜通し強行軍で来たんでしょうね」
ピコは舌打ちをして、短剣を抜いた。
「数は多いわよ。……エリス、覚悟はいい?」
心臓が早鐘を打つ。まだ心の準備は完璧じゃなかった。でも、敵は待ってくれない。
この家も、村の畑も、私たちが守らなきゃ誰が守るんだ。
「……うん。やるしかない!」
私は愛用のハンマーを腰に差し、深呼吸をした。
震える手をグッと握りしめる。ここは私が作り上げた、大切な居場所だ。指一本、触れさせはしない。
「総員、戦闘配置! 作戦開始!」
† † †
私は裏庭に飛び出し、あらかじめ用意しておいた「合図の鐘(実はただのフライパン)」をハンマーで思い切り叩いた。
カーン! カーン! カーン!!
澄んだ金属音が、夜の静寂を引き裂いて村中に響き渡る。
数秒後。村の方角から、呼応するように「カンカンカン!」と半鐘の音が返ってきた。
さらに、ドンドンと太鼓を叩く音や、松明の明かりが次々と灯るのが見える。
『うぉぉぉーっ!』
『魔物が出たぞー!』
『あっちだ、追い込めー!』
村の若い衆だ。打ち合わせ通り、派手な音と光でゴブリンたちを威嚇し、私たちの家の方へ誘導してくれている。
「ギャギャッ!?」
「ギィィィ!」
森の闇の中から、動揺したゴブリンたちの叫び声が聞こえてきた。
光と音に驚いた彼らは、本能的に「静かで暗い」場所——つまり、私の家の裏手にある獣道へと殺到する。
そう。そこが、私たちが丹精込めて作り上げた「特等席」だ。
私はハンマーを構え、闇の中から飛び出してくる影に向かって静かに告げた。
「いらっしゃいませ……ここから先は、『工事中』だよ」
ドサッ! ギャッ!
私の警告も虚しく、先頭を走っていた数匹がいきなり視界から消えた。
昨日、モコが掘ってくれた「落とし穴(剣山付き)」だ。枯れ葉のカモフラージュを踏み抜き、自重で串刺しになる。
「ギィッ!?」
後続が慌てて足を止める。しかし、後ろからはまだ仲間が押し寄せてくる。団子状態になった彼らの頭上に——。
「そこよ!」
屋根の上に陣取ったピコが、合図と共にロープを切った。
バラバラバラッ!
木の上に吊るしておいた籠がひっくり返り、中から大量の「石礫」が降り注ぐ。
ただの石じゃない。川原で拾った、拳大の硬い石だ。
「グギャッ!」「ブギッ!」
石頭のゴブリンとはいえ、高所からの直撃には耐えられない。
脳震盪を起こして次々と倒れる。
「すごい……本当に計算通りだ」
罠が面白いように作動していく。私の「構造把握」で見ると、敵の陣形が崩壊し、パニック状態に陥っているのが分かった。しかし——。
「ギガァァァァッ!!」
混乱する雑魚たちを踏み潰し、森の奥から巨大な影が現れた。他のゴブリンより頭一つ大きく、錆びついた鉄の鎧を全身にまとった異形。
——鉄鎧のゴブリン・リーダー。
「フンッ!」
リーダーが持っていた棍棒を一振りすると、私が苦労して作った木の柵が、マッチ棒のように粉砕された。
「嘘っ……あんなの、罠が効かない!」
落とし穴も、奴の足が大きすぎて引っかからない。石礫も、鉄の鎧に弾かれてカンカンと乾いた音を立てるだけ。
リーダーは一直線に、私を狙って突進してくる。
「エリス姉、危ない!」
横から小さな影が飛び出した。
「モコが止める! させないもん!」
モコだ。彼女は自分の身長ほどもある丸太を抱え、リーダーの横腹に向かってタックルを仕掛けた。
ドォォォン!!
重い衝突音。リーダーの突進が止まる。でも、倒れない。奴は踏ん張ると、煩わしそうにモコを睨みつけ、棍棒を振り上げた。
「くっ……重い……!」
力比べならモコも負けていないけど、相手は武装している上に体格差がある。リーダーが棍棒を振り上げ、モコを押し潰そうとしたその時。
「ピコ! お願い!」
「分かってるわよ!」
屋根の上で、ピコが革紐を大きく振り回した。
ブォンッ!
風を切る音と共に放たれたのは、投げナイフではない。
川原で拾った硬い石——それを投石紐の遠心力で加速させた、即席の弾丸だ。
狙うは鎧の隙間——兜の奥にある、目だ。
カィィィン!!
石礫が兜の縁に直撃した。鋼鉄を叩く甲高い音と共に、リーダーの頭が大きくのけぞる。
「グゥッ!?」
視界を揺さぶられ、棍棒を振り下ろす手が止まった。
——今だ。
私はハンマーを握り直し、リーダーの「構造」を見極めるために目を見開いた。
「構造把握」
私の瞳が金色に輝き、世界が「設計図」へと変わる。
「……悪いけど、解体させてもらうよ」




