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父の娘可愛さから始まったにしては、すっかり壮大で終わりの見えないこのプロジェクト。
言い出しっぺのジルとしては、体を壊す人が出ないことを祈るばかりである。
ブラック領地、ダメ。ゼッタイ。
新事業を軌道に乗せるべく、父は爆進する勢いだったので、そうなると使われる側の人間は上司のペースに合わせなければならなくなり、必然的に無理を重ねる傾向にある。
気づいたら労災案件…なんて事のない様に、定期的に休みを与えて管理するのも出来る上司の嗜みであることをジルは滔々と説いた。
もちろん父もキチンと休んで欲しいことも伝えた。
新しいおもちゃを与えられて、今が一番楽しくて仕方がない様な父は渋面を作った。
精神衛生とか概念がないから仕方ないんだけど、休むのって大事だし、心のゆとりは結局は安定した仕事に繋がるってのに…仕方のない父様よね。
「私は父様に会えないのは寂しいのです。
この一ヶ月、父様は全然帰ってきてくれませんでした…もしかしたらまたそんな風に帰ってきてくれなくなってしまうのかと思うと…」
ついでにジルは寂しそうに俯いてみる。
だんだん父の扱いが分かってきた。
給仕として部屋の隅で置き物の様に控えていた執事長も無言で頷いている気配がする。
効果はバツグンだ!
「いや!いやいやいやいや、もちろん!もちろん父さまもだよジル!
父様だってジルに会えなくてずっと寂しかったけど、出来上がるまでは、ジルにせめて一枚でも完成品を見せる所まではってそれはもうすっごくすっごく頑張ったんだよ!
でもそうだね!うんそうだ。確かにもうほぼほぼ生産システムは出来上がりかけてるんだからね。もっとじっくり取り組んでもいいのかもしれないな。
全くジルの言う通りだ。父様は早く帰ってきて、休みももっと取る様にしよう。ジルともっと一緒にいれる様にしようね。うんうん、そうしよう」
立板に水とはまさしくこういうことだろう。
スラスラと語り終わった父はジルをギュッと抱きしめた。
とりあえず寝食を忘れて、研究開発に勤しむことは無くなりそうだが、元々の領主の仕事だって抱えている父である。
唯一のブレーキ役として、ジルは父の動向を注意深く見守ることにしたのだった。
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無事に春の討伐シーズンを乗り切り、父の新事業もすっかり流れが出来上がって、流通に乗せられるくらいの量産化の目処もつき始めたという初夏のこと。
ジルは家庭教師の先生方に教えを乞いながら、さまざまな勉強に勤しんでいた。
今のジルが生きているここは、前世とは全く異なった世界観であるし、何百年も遅れている生活文化だろうか。
幼女としてのジルが当たり前に生活していた頃は何とも思って無かったが、前世を思い出した今では、気付けばあれこれ無いな、物足りないなと思う事が多々あった。
国が興たり滅びたり。
日本で読んでいた歴史の教科書の中と似た様な出来事がこの世でもこれまで起きているし、これからも起きていくのかと思うと、ジルはロマンを感じるし、何を聞いてもワクワクする。
授業で聞いたことの全て、何でももっと掘り下げたくなる様な好奇心を押さえ込み、前のめりで学び続ければ、幼女の中身は成人女性であるわけだから、それはそれは教師陣も驚く様な成長度合を見せつけることになる。
だって過酷な受験戦争だって乗り越えて、一応大学まで出てるわけだし、日本の詰め込み教育のノウハウは体に染み付いてるわけですし…
神童だ、天才だと騒ぎ出した教師陣と共に、父も天使だ、女神降臨だと一緒に的違いな騒ぎ方を始めてしまった。
流石にこれは…と思いジルが釘を刺そうとした所、既に手遅れであったことを知った。
「父様は私を信じて、大事になさってくださっていることはわかっておりますが、外の方に私の事を大袈裟に言って回る様なことはやめて下さいませね。
身近の人間でしたら、父様の親バカぶりは有名ですし、笑い話で済むかもしれませんが、知らない方でしたら真に受けてしまう方も出てしまうかもしれません」
ある日の夕食の場で父にそう言って、小さくため息を吐くジル。
もし、どこかに大袈裟に広まって、大きな尾鰭背鰭の付いた噂を鵜呑みした人間に、変に目を付けられてしまうのは勘弁だと思ったからだ。
躍進華々しい父への足がかりにと、面倒な輩に絡まれるのも御免だ。
それにジルは、勉強に関して今は年齢の割に理解力があるだろうが、ある程度のところまで行き着けば、きっと同年代の子たちに追いつかれてしまうくらいの脳の内容量だと思う。
十五歳を過ぎれば、二十歳までの間いつでも何年でも通えるという、父も行った王立学院にジルも通うか、このまま家庭教師陣に教鞭を取り続けてもらうか、状況とも相談する事になるだろう。
もし通う事になれば、そこにはきっとジルなど足元にも及ばない様な沢山の本物の天才が居るはず。上には上がいるものだ。
天才も二十歳過ぎればただの人…前世でよく言われていたが、多分それを地で行くだろう。
勝手に期待された挙句にガッカリされるなんて、きっとジルの心が持たない。
キョトンとした父が、あぁ…と何を納得したのか訳知り顔で微笑んだ。
ジルは本能的にその笑顔はダメなやつだと察する。
「急に何を言い出すのかと思えば。ジルほど頭が良くて可愛らしくてしっかりした子供なんて見た事がないよ。もっと自信を持って胸を張って良いんだよ」
いや違います。
自信喪失してるワケじゃなくて、この情報伝達方法が確立してない世界で盛り過ぎた噂の火消しの仕方が分からないからビビってるだけです。
ネットとかあればファクトチェックも容易だろうけど、噂が出回って北の辺境地にスゲーのいる!ってなって、実際見たら大した事ない〜ってなったらマジで落ち込んでヒキコモリになる自信あります…
父に全く通じていない事を感じたジルは、もう少し強く父に言う。
「違うのです、父様!長くお付き合いしてくださる方々が直接私と接して、そうしてから直接評価してくださるなら私も納得できるのです。ただ噂を鵜呑みしただけの方々に適当な評価をされてしまう事は、とても恐ろしい事だと思うのです」
すると父の表情が一変する。
「ジル、誰かから何か言われたのかい?ならばすぐに父様に言いなさい。然るべき対応をしておくから」
ちがーう!
そうじゃない!
「父様、そうではありません…そうですね。例えばもし噂があちこちに出回り、口伝で回るうちに出来上がった噂は大きく現実とかけ離れた偶像となり、見目麗しく教養も何もかも完璧な、素晴らしい女性が北部にいるとなったとします」
「いや、例えばではなくて、実際にジルは完璧で素晴らしい女性なわけなんだけどね」
いいから父様は黙ってて。
「悪党が噂を聞いて、それは良いカモになると攫いにくるとかは…それは…父様とここのみんなが守り切ってくれるでしょうね」
あー、例え話これじゃないな。
父に一番響くやつって何だろう。
「えっと、うーん…では!
それを聞いただけの誰かどこぞの人物が、それほど素晴らしい女性ならば我が嫁にしたいと言い出したらどうしますか?
もしかして隣国の王族とか、政略の為に簡単に断れないほどの身分であったら、私は父様ともこの地とも離れて嫁入りせねばならなくなります」
ガーンと音が聞こえそうなほど衝撃を受けた表情の父。
「それはダメだ。ジルが父様から離れていくのは絶対にダメだ」
首を左右に振りながら胸を抑える。そんなジルを想像しただけで痛手になっている様だ。
「ですよね!だからあれこれ盛って大袈裟に話するのはやめていただきた…」
「マズイ、もうこの間皆にジルの素晴らしさを聴かせてきてしまった」
嘘でしょ!?いつの間に!
「父様!いつどこで誰に話したのですか?」
ワナワナ震えるジルに怯える様に、父は少し小さくなった。
「先日、王都へ討伐関連の報告と素材納入に行った際に、新規事業として羽毛布団についての説明する機会があったのだが、その際に少しだけ…」
チラッとジルの反応を窺いつつ父は白状した。
絶対に少しじゃないですよね、その感じは。
「だって!だって、だよ?こんな小さくて可愛らしい私の天使が、この領地だけじゃなくて、国内の寝具の革新を起こすであろうヒントを思いついたんだよ?
それはそれは素晴らしい事じゃないか。
私の娘がどれほど素晴らしいかなんて、王都の連中は誰も知らないんだ。そんな事許されるワケないじゃないか」
一体何してくれてるの…
「父様は、大事で大切な宝石を泥棒の前で見せびらかしますか?」
「……それは大失敗したと今とっても反省している。でもどうしても言いたくて我慢できなかったんだ」
がっくりと落ち込む父。
もう本当にやめて下さい。
そしてこれが壮大なフラグとなったことを知るのは、これから十数年後のことだった。