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突然王城に巨大な虫籠がぶら下がり、大騒動が起っていた同じ頃、南の邸宅でそれが起きたのは、朝食を終えた夫妻が執務室で大喧嘩をしていた時だったそうだ。
「あなた!メロディの事はどうされますの?可哀想にあの子は第二王子殿下の妃となる気でおりましたのよ!?それを急に破談とは!」
「だから何度も言っておろう。破談も何も婚約すらしてなかったのだ。口約束すらも交わしておらん。そんな状態で我が家が騒いだとて王家には相手にもされん」
「ですがメロディとグイード様は、あの様に親密なお付き合いしてたではございませんか!ゆくゆくは婚姻まで進むと思っておりましたから見守っておりましたのに…それなのに急にアシュリー家の娘を正妃にするとか!そんな手のひら返しを受け入れられるわけございませんわ!」
妻であるシシリーの喚き声にいい加減ウンザリしてきた当主のレッド・ジョルダンは、面倒くさそうな顔を隠そうともせず、顎の下のだぶついた肉を震わせながら首を振った。
「だから!何一つも正式に交わしたものは無いのだと何度言わせれば良いのだ?…ああ、ただ、メロディを第二妃として受け入れても良いとの提案は王子殿下より受け取ってはいる。儂もとりあえずはそれで良いかとは思っておる」
これで少しは黙るかと思ったレッドの思惑は外れて、その言葉に更にシシリーは更に目を釣り上げた。
「あなた!我が娘を第二妃にですって!?そんな屈辱許せるわけないでしょう!我が家は南部の大貴族、由緒あるジョルダン侯爵家ですのよ?
でしたらあの北部の田舎者のアシュリーの小娘こそ第二妃にでも加えればよろしいのよ!」
逆に顔を真っ赤にして怒り、ヒートアップしてしまったシシリーのキンキン声がレッドの鼓膜に不快感を与える。
どうにか妻を執務室から追い出せないかと、ちらりと壁際に置物の様に突っ立っている家令を見るが一向に目も合わない。思い切り舌打ちしたい気持ちになりながらレッドは言った。
「だから…だから!とりあえずと言っておろう!
とりあえずあの娘を正妃にはするが、王都というのは何かと危険が多いものなのだ。これまでだって何人も色々な事件に巻き込まれ儚くなった妃様もおられたし、今年は悪い風邪も流行っておる。
まあ…そうなれば第二妃が繰り上げで正妃となろう。
とにかくまずはあの目障りな第一王子を蹴落とさねばならん。そのためには南と北の辺境伯の後ろ盾が必要なのだ。グイード様が立太子され、いずれ王となられればそんな瑣末な事はどうとでもなるものなのだ。お前も貴族の娘で妻でもあるのだ。分かるであろう?
ゆくゆくは私が責任を持ってあの小娘の始末は付けるから安心しておくがよ…ぐぅ!?」
言い終わる前に異変が起こった。
レッドの何処にあるか分からなくなっていた首が現れたかと思うと急に苦しみ出したレッドを、その場にいた妻と家令は初めは病かと思った。
ところが苦しみながら段々その重い体が宙に浮き始めたのだ。
首を押さえながら、レッドは足をバタつかせる。
どこまで浮かぶのかと唖然と見つめる二人の前で地面から50センチほど浮かんでその高さでピタリと止まった。
まるで見えない誰かが首を絞めながら宙に持ち上げたかの様だ。
まず最初にシシリーが悲鳴を上げた。
そしてそのまま夫を助ける事なく転がる様に廊下へと逃げ、自室に鍵をかけ閉じこもった。
その場に残った家令も後退るばかりでどうする事も出来ない。
シシリーの叫び声に使用人や兵士が駆け込んできたが、皆呆然と主人の異変を見つめるばかりだった。
動きが鈍くなり始めたレッドの顔は浮腫み、どす黒く変わっていったが、これ以上続けば死ぬのでは?と思う頃に不意に姿を消した。
急な変化にようやく動ける様になった者たちが辺りを見渡すが、主がいた辺りに垂れ流したであろう液体が残るだけで誰もいない。
一体何だったんだ…夢でも見たのか?
誰もが現実とは思えず、お互いの顔を見合わすばかりだったが、そこに男の声が響く。
「奴らは精霊との盟約を破った。よって精霊の沈黙も破られる」
ーーーーー
メロディの周りにはいつもたくさんの人が溢れていたというのに、その時から日に日に減っていった。
メロディの母親は部屋に閉じ籠ったまま出てこないし、侍女も護衛も消えた。
僅かに残ったうちの若い下級使用人が言うには、街からも逃げ出す者が増えているそうだ。
その者は、私はどこにも行くところがないからと笑っていたが、そんな女の話などどうでも良かった。
「何なのよ!私はこの国の王妃となる貴婦人なのよ?
それなのに身なりを整える侍女もいない、いてもハウスメイド。出掛けようにも護衛もいない、いても下男。
これでは恥ずかしくて王都のグイード様にも会いにすら行けないわ!私を放っておいて皆何処に行ったと言うの!?
大体お父様はどこ行ったの?いたらこんな状況お許しになるはずがないわ!戻られたらすぐに、みんな職場放棄したとして厳罰に処していただかなければ」
自室で癇癪を爆発させて怒鳴るメロディに、本来ならどこの担当だったかもわからぬ様な、見窄らしい身なりの腰の曲がった女が、メロディのベッドのシーツを乱暴に変えながら言った。
「お嬢様、アンタまだそんなこと言ってなさるのかい。
旦那様は急に消えたまんま、まだ帰ってきちゃいないよ。侍女どもみたいな金のある奴と身寄りのあるものは、精霊の祟りを恐れて東と西の領地に殺到しているってさぁ。
王都も危ないって言われてるし、北が一番安全そうだっていう噂だが、こっからは遠いからねぇ。
私だってどうにかなるもんなら、とっくにここにいないってのにさ」
メロディの剣幕になど一切歯牙にも掛けずに、女はぶつぶつ言っている。
「何ですって!?あなた私に対して失礼な物言いばっかりね!絶対に許さないわ。
お父様が戻られたら一番に鞭打ちさせてから首を刎ねてやるんだから!」
「ハイハイ。お早く旦那様が戻られると良いですね」
シーツの交換を終えた女は、棒読みの様なセリフを吐き、ドアを乱暴に閉めて出て行った。
「何なのよ!何なのよ!」
メロディは悔し紛れに、雑に整えられたベッドの枕を何度も叩く。
こんな扱いをされた事など恐らく生まれて初めてだ。
優しい父母と妹には甘い兄に囲まれて、不満など口に出す前には全て排除される様な生活を送ってきていた。
そんな毎日が狂い出したのは、どこが分岐点だったかと問われれば、あの女と会った時からだとすぐに答えれられる。一目見た時からイライラさせられる女だった。
「全部アイツのせいよ…」
デビュタントとして王城に上がった日。
贅の限りを尽くした衣装一式を父は用意してくれて、一生に一度の晴れの日へ送り出してくれた。
「お父様!私綺麗かしら?グイード様に褒めていただけるかしら?」
あの日、会場に向かう母と別れ、父の腕を借り、王への謁見のためデビュタントだけ集められる部屋に向かっていた。
「もちろんだとも。こんなに美しいデビュタントなど他におらぬであろう。
何ならグイード様も今宵結婚を申し込んでくるやも知れぬな。はっはっは!」
「やだそんな!お父様…まだ…早いですわ」
やがて長い廊下の先に人溜りが出来ているのが分かった。何か揉め事かと思えば、皆の目線の先に一組の親子が立っている。すうっと自然に目を攫われてしまう様な、そんな雰囲気を持った親子だった。
特に娘の方は、メロディと同じくデビュタントの様で真っ白なドレスを纏っているが、見た事のない意匠をしており、どこぞの民族衣装かとも思ったがどの国の衣装にも思い当たらない。
周囲の者たちは、小声ではあるが口々に娘を褒め称える言葉を述べている。
気に入らない!
今夜は私が一番の注目を浴び、今も耳に入ってくる耳障りなあの女に向けた称賛も、本来ならばメロディのものだったのだ。
それなのにメロディが近寄ってきていることすら誰も気付かない。
舞踏会が始まっても、どこに行ってもあの女の噂話ばかりだった。メロディはあれほど楽しみにしていたデビューを汚された様な気がした。
聞けば、あの女は北部の田舎者で、頭も悪すぎて学院にすら通っていないそうだ。
単なる目立ちたがりのバカ女ではないの!
おまけに一番最悪だったのがグイード王子さえあの女に興味を示した事だ。
メロディの兄である武のクリストフと、宰相のご子息であられる知のヒューイ様、そして第二王子の美のグイード様。
よくご一緒にいるこの三人はメロディたち世代の憧れの的で、どうやったらお近づきになれるものか、常に多くの関心を集め、その言動全てに皆が一喜一憂したものだ。
キャンドル輝く王城の広間でその三人の前に傅き、そして何かを話すあの女は、悔しいがまるで小説にある挿絵の様だった。
それを見たメロディの取り巻きたちも流石に騒ぎ出す。
「あの女!殿下にまで取り入るつもりなのかしら?」
「キャー!ヒューイ様まで何かお話になっているわ!」
「クリストフ様!あの様に身を寄せられようとするなんて!」
なんて女なの!
グイード様は私のものなのに!
メロディは段々周囲の声も音も聞こえなくなってきた。聞こえるのはただ自らの歯軋りの音だけだった。




