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 朝、いつもの様に迎えに来てくれたタリーに連れられて、森ではなくまずは塔の上に上がった。

数日ぶりに見る事ができる望遠鏡へジルは飛びつく。

その間、タリーはジルの作った結界を分析している。


 焦る気持ちのせいで絞りを合わせるジルの指もまごつく。何とか見たい場所を探し当てたジルは絶望した気持ちになった。

「ああ!あんなに領境近くまで進軍しているわ!」


 望遠鏡から見えた景色に、鞭で打たれたかの様にジルの肩が跳ねる。

本陣は何故かそれほど動いていないようだが、兵士たちの駐留地がジルの記憶にあった場所よりも大分前進しているのが分かる。

へっぽこ結界から先日よりも数十キロはチューダー側に迫った場所に国軍の陣が設営されているのが確認出来たのだ。


あんなに迫ってきてるなんて。

本当にもう時間がないわ…


 ほんの数日前からの大きな変化に、ジルは頭の中が真っ白になっていく。

「どうしよう…どうしたら。あんな弱い結界じゃ何の役にも立たないわ」

パニックに陥り、足が震えてもう立っていられなくなったジルはズルズルと座り込んでしまう。

顔を覆って涙を流すジルの肩をタリーが揺すった。


「しっかりするのだ。ジルの作った結界は何にも問題は無い。ただ木々が準備出来ていないせいで、魔力を吸い上げる力が弱いのであろう。吸う力が弱ければパイプ内の循環も起き辛い。起き辛ければパイプの中も満たされない。言うなれば悪循環なわけじゃな。

だからジルの言う、えーあい魔法を流す時にでも一緒に魔力の流れに勢いを付けて、行き先の方向を作ってやると良いのではないか?」

「勢い…ですか?」

顔を上げた涙目のジルがタリーを見つめる。

「え…う…う、うん」

どうしてか目元を赤くしたタリーが目を彷徨わせながら続けて言う。


「今やっている引っ張り出す方法ではなく、いやそれは合っているのだが、勢いっていうか、何と言えばいいのだ!えー、何と説明すればジルに伝わるのかのう。こう、自分がやるにはパパッとこうなれば良いと考えてドーンとやってバーン魔法を起こすのでな…説明するとなると難しいのだ」

頭を抱えてしまったタリーの旋毛を見ながら、ジルも一生懸命考えてみた。


勢い…勢いでしょ。

要はパイプが空っぽ過ぎて、その底をちょろちょろと琥珀が流れている状態で…空の部分が多すぎて木が吸い上げる琥珀が足りなすぎルわけだから…まずはパイプ全部を琥珀で満たしたいわよね。

パイプ?ストロー?ううん違う。ホースって考えたら分かる!

何だっけあれ、一回吸い上げたらずっと水が出てくる法則…サイホンの原理か!高低差とかちょっと違うかもしれないけど、原理の一部使えばどうにかなるのかも!


「タリー様!タリー様お願いです、結界の近くに私を連れて行ってください!」

「急にどうしたのだ!?何か思いついたか?」

「はい!やってみたい事が出来ました。ですのでお願いします。連れて行ってください!」


 タリーがジルを抱えて窓から飛び降りる。

いつもの移動の仕方だが、飛び降りる瞬間は毎回ジルは目をきつく瞑ってしまう。

だが今日は気持ちが急いで全く恐怖を感じない。

これから向かうであろう地点、一点を見つめている。

グングン近づくその場所にジルの作った結界が見える。昨日より多少は魔力が増えた様に見えるが、まだまだ弱すぎて役立たずだ。


 作業地点に着いて、ジルは早速自分のやりたい事を頭に描いてみる。

まずはいつもの通りチューダーに必要のないものの排除を魔力の流れをAIに見立てて願う。

それとパイプの中を風を起こし、真空に近い状態を作り上げて強制的に循環を起こし、地脈から魔力を引っ張り出してみる実験だ。


 手応えは無かったわけではない。

ただ塔の上から行った琥珀を押すという作業ですら、両手両足で力一杯行ったのだ。

タリーのお膳立てのない中、粘度のある液体のような魔力を押すより風魔法で吸い出すように引く方が大変な事をジルは身を持って知った。


「はあぁ…はあはあ…」

「ジルや、本当に大丈夫なのかね?」


 肩で息をして疲れ切っているジルの背後でオロオロとタリーが右往左往する。

まだ魔力はジルの中に十分残っている。ただ使い方が下手すぎて四苦八苦した挙句、無駄に疲れているだけだ。


「だい…じょうぶです。ちょっと疲れちゃっただけで。

でももう少しでコツを掴めそうな。そんな感じがするんです!もう少しだけやらせて下さい!」

そんなジルの勢いに押されてタリーは頷いてしまった。

ただジルの口にチョコレートのお菓子を放り込むのは忘れなかった。


 薄暗くなる頃、タリーにお願いして一度塔の上に戻ってもらった。俯瞰して結界の様子を見てみたかったからだ。

全体を見てみると、方法は間違っていなかった様で、朝見た時よりも大分パイプ内の空の空間が無くなり、横の循環は始まっているがまだまだ物足りない。


何が悪いの?私のやり方が悪すぎる?

どこが?

もう少しなのに!


 親指の爪を噛みながらジルはイライラと考え込んだ。

そんなジルの様子を心配そうに見ていたタリーが不穏な気配に気づいた。


「またか。ちょっと私は出てくるが、その前にジルを屋敷に送って行こう」

「タリー様、もうちょっとだけ、タリー様が戻られるまででいいのでここで考えさせて下さい。絶対にどこかに何かヒントがあるはずなのです」

タリーは何かを言いかけたが、溜息を一つついただけで結局何も言わなかった。

「…屋敷の者には少し遅くなると伝令は飛ばしておこう。私もなるべく早く戻る。無茶はせぬ様にな」

そう言い残してタリーが消えた後もジルは結界を見つめ続けた。


 すると不意にその遠くにチラチラと光る動くものが見えた気がして、ジルは咄嗟に望遠鏡の位置を合わせた。

「国軍が進軍している!夜襲だわ!!」

国内最強と言われる領軍に対して、少しでも優位に立とうと無茶な夜間戦闘を仕掛ける事にしたのだろう。


結界が間に合わなかった!

あんなに頑張ったのに駄目だったの?

でもまだ国軍は領境には届いていない…わよね?

今なら。まだ今すぐならあるいは…もしかしたら間に合う?

結界の悪い所はどこ?どこなの?どうすればいいの!?


 叫び出してすぐさま走り出したくなるような、グルグルとした焦りだけがジルを支配していた。


 その時、不意に浮かんで見えたかと思うと途端に消えた何かに、ジルの目がハッと今日の作業場所から反対側に目が向かった。


そういえばおじいちゃんが言ってた色んなとこから手をつけた方が良いって言ったやつ。

今日手を付けた場所は流れに勢いが付いてるけど、その反対側の手付かずの場所から、空気を抜きながら追いかける様に押し込む様に流れを作ってあげて、更に勢いを付けてみたらどうだろう。

今日一日であれだけ琥珀が満ちたのだもの。やってみる価値はあるわ!


 今すぐ移動したいのに、イライラしながらしばらく待ってもタリーは戻ってこない。

焦れたジルがタリーの琥珀に向かって声掛けをしようとしたが、タリーとて今この瞬間も精霊たちの防衛の一端を担っている。

ジルがそれの邪魔になってしまっては駄目だ。


 散々迷った挙句に、後悔するより思いついた策をとにかくやってみる事にして、走り書きのメモを残しジルはタリーの琥珀をポケットにしまうと、自力で塔にある作業人用の螺旋階段を使って降りていった。

タリーの琥珀はGPSも兼ねている様なので、タリーが本気でジルを探そうと思えば、簡単に見つけるだろう。

後で相当怒られるだろうが、タリーの結界からは絶対に出ないという約束だけは守ろうと思った。


 目星を付けていた結界の一つの箇所へは幸い塔からはそんなに離れてはいなかった。

小走りで森の中を分け入って、息を弾ませながら塔から見えたその場所に着いた。


 タリーの結界から出ずにジルの結界をいじれる場所は実は少ない。


本当ならば私の結界に360度縦横無尽に巡ってサイホンの魔法が使えたら話は絶対早いのよ。

タリー様の結界から出ちゃ駄目って縛りが結構キツいんだよねぇ…


内心でぶつぶつ言いながらジルは草をかき分け、地中のパイプを探り出す。


「やっぱりあっち側より魔力の流れが遅いから、ここら辺で淀んでる!」

自分の推察が合っていた事で光明が見えた気がした。

昼間やった様にAI琥珀への命令と風魔法を混ぜてパイプに流れを起こす。

流れの行く方向は昼間に流れを良くしてあったからか、かなり抵抗が減っていてするすると琥珀が流れていく感触がする。


「やった!もうちょっとだけやったらかなり完成形に近づきそう!」

ジルがもう一回魔力を流そうとした瞬間。


「お嬢ちゃん、さっきから座り込んで何ぶつぶつ言ってるんだい?」


 ジルは夢中になっていて誰かが近づいてきていた事など気づいていなかった。

聞き覚えのない声を聞いた瞬間、身体中の毛が逆立つような心地がして、何かを考えるより先に立ち上がり踵を返そうとした。

だがその時、ジルの頭に痛みが走り、地面に引き倒されてしまった。


「うぁー!痛ってえ!本当この結界最悪だよなぁ!」

瞬間だけ結界に割り込んだ男にジルの髪の毛が鷲掴みにされてタリーの結界から引き摺り出されていたのだ。


「はっはぁー!捕まえられたかー!お?こりゃあ上玉じゃねえか。痛い思いしただけあったな。さすがお前、そこそこの魔力持ちってだけあってよくあの結界に入れたなぁ」

ジルの髪を鷲掴みしている男とは別の男が下卑た笑い声を上げる。

「まあな、入れるって言っても一瞬だけ体ねじ込めるだけで弾き出されるけどな。しかも相当痛えし」

ジルという獲物を得た上に仲間から褒められて満更でもない様な声で、男がジルを顔の高さまで引きずり上げて、戦利品に様に持ち上げて仲間に見せびらかす。

釣り上げられた魚の様に、ジルもどうにか男の手から逃れようと暴れるが地面から離れた足が宙を蹴るだけだった。

するともう一人いた男が声をかけてきた。

「おい、さっさとズラかるぞ。すぐにアイツが来やがるからな」


「離して!」

ジルがいくら抵抗しても一向に髪から手が外れず、ぶちぶちと髪が抜けていく痛みが走る。

「くっそ暴れんなよ!大人しくしてろ!」

「きゃ!」

 髪が楽になったかと思うと胸ぐらを引き寄せられ、頬に衝撃が走った。

強く殴られたらしく、ジルの口の端から血が一筋流れた。


「きゃ!だってよー!可哀想だからあんま虐めんなよギャハハ」

「騒がせるなよ。そいつの特徴はもしかしたら辺境伯の娘かもしれんぞ。だとしたらそれだけでたっぷり賞金が出るはずだ。逃さず絶対に本陣に連れていくんだ」

「マジかよー!こっち側担当して当たりじゃねえか!」

「俺たち明日には大金持ちだぜ!お嬢ちゃん、大事に大事にちてあげまちゅからねーギャハハ!」


 小走りにその場から離れようとしている男たちの声がジルの耳の中をただ通り過ぎる。

攫われたショックと叩かれた痛みとでジルの頭の中はぐわんぐわんと揺れてどうしようもなく混乱していた。

 男の小脇に抱えられて運ばれているので、空いた震える手でタリーの琥珀を探すがどこかで落とした様で見つからない。


どうしようどうしよう…こんな時どうしたらいいのかなんか分かんないよ!

父様助けて!怖いよ!


 ジルは雑に抱えられて運ばれて、体の中から不快感が込み上げてくる。

 しばらくすると馬を繋いであった野営地に着いたらしく、男たちが急いで荷物を纏め出した。その間ももらった褒賞で何をするかで馬鹿騒ぎをしている。


父様…タリー様…ごめんなさい。


 その間ジルは縛られてそこらに放り出されていた。

頭痛がして気持ちも悪い。


やばい…やばい。

どうしよう。

やばい。


 頭はパニック状態でフル稼働しているのに、現状を打開できる様な良いアイデアは一向に浮かばない。ジルはいろんなショックで抵抗する力も既になく、倒れたまま目の高さにある草花を見るともなく眺めていた。


 するとその奥に薄くぽうっと琥珀色に光る地面が見えた。


あれは!


 まだまだ弱いがジルの作った結界だった。

タリーにもデニスにも連れてきてもらう事もできなかったこの場所の流れはまだ淀んでいる。その上あまりにも弱すぎて、魔力持ちだというあの男にすら結界として認識できなかったのだろう。


 みっともないくらいはしゃぎ、まだ手にもしていない金の使い道についてくだらない妄想を垂れ流し続けている男たちを伺い、見つからない様にちょっとずつジルは結界ににじり寄る。


お願いだからこっち見ないで!

くだらない話に夢中になってて!


 そうしてやっとの思いで結界に十分近づいてから全力で打ち込んだ。

ジルがずっと頑張ってきた、自分の体に十分染み渡ったあの魔法を。


チューダーを壊すものはいらない。

チューダーを害するものはいらない。

それは人でも物でも魔物でもだ。

チューダーを守りたい。人も土地も。

結界の発動条件は戦争はいらない。侵略と奪略は許さない。

それが基本。あとは琥珀が考えて。

どうすれば守れるかを。


そして風よ!琥珀を隈なく流せ!


 ジルは持ち得る全ての魔力を全力で叩き込むと、指先が痺れる様な力が抜け落ちる様なタリーとエラにしこたま怒られたあの感覚を催すが、もはや魔力切れなどジルの念頭になかった。


死ぬなら諸共。


 チューダーに仇なすものはみんな道連れにする気だった。


 ジルは気が遠くなる様な感覚がした気がしたが、その途端に琥珀が怒涛の勢いで流れ始めたのが分かった。

琥珀のパイプ上にある木々が色を変えていき、ミチミチと急激に成長していく音が聞こえる。


やった!結界が完成していく。

男たちが驚いてる姿が見えるわ。ざまあー!


ーーだけれども。

だけれども…これは私だけの力じゃないわ。


 不意にジルの縛られていた手足が自由になる。

そっと抱き上げられたかと思うと、そこにはタリーの顔があった。

タリーはジルの頬の腫れと血を見て、一瞬痛々しい顔をした瞬間、憤怒の表情で男たちを見た。


「精霊だ…精霊が出た!しかも完璧に人型を成してやがる…こりゃ大物じゃねえか…」

男たちが数歩後退る。


「許さぬ」

タリーの銀色の髪が、下からの風に吹き上げられる様に天を向く。

その隙間をパチパチと小さな電気の様な瞬きが駆け巡る。


「私は二度と許さぬと申したはずだ!」

冷たく、地を這う様なタリーの声が森の中に響く。


「で、でもそりゃあ精霊に関してでしょうがぁ!俺らだってそれくらい知ってる。精霊殺しと攫いは御法度だ!

だけど俺らはただの女を攫おうとしただけだ!

精霊は人間の争いには関知しないっても俺ぁ知ってるぞ!何言ってやがんだ!言い掛かりも甚だしいや!」

男たちのリーダー格がタリーの恐ろしい形相に腰を抜かしながらも反論した。


 それにタリーが怒りを抑え込んだ声で答える。

「これはただの女では無い。この者は精霊族の末裔。

それも精霊族王家付きの上位精霊と縁付いておる。

……デニス!おるな?」

「はっ!」

「この場はお前に任せよう」

「ありがたき幸せ」


 いつの間にいたのか、うやうやしく頭を下げるデニスと、嘘だろう…と一人の口が動いた様に見えたが、あまりの衝撃にそれを声に出せなかった男たちがジルの目前から一瞬で消えたかと思うと、ジルはもう塔の上にいた。


「ジル!ジル!どうして言いつけを破った!どうしてここに残らなかった!」

そう言いながらも、痛む頬を出来るだけ触らない様に気をつけて、タリーが治癒魔法を使ってくれているのが分かる。


 転移させられても、ソファに座らされても全く現実味のなかったジルは、タリーから頬に送られてくる温かい魔力でようやく目が覚めた様な心地がした。

パチパチと瞬きを繰り返すと、急に今更震えがやってくる。


 我に返り、未だ怒りに燃えるタリーの目を見た途端に、ジルの目尻に涙が浮かんだかと思うとそれは次から次へと溢れてきて止まらなくなった。


 どうにか許してほしくて震える手を伸ばすと、タリーがその手を強く取ってくれる。


「ご…ごめんなさい!本当にごめんなさい…タリー様の結界の中ならば、結界から出なければ大丈夫だと思ったの。こんな事になるなんて思わなかったの!ごめんなさい!」


 タリーの手を手繰り寄せる様にして、そのままタリーにしがみつきジルは心から謝った。

「ジルが無事で良かった。本当に良かった」

タリーもジルをかき抱き首元に顔を埋めた。

しばらく二人は抱き合い、何も喋らなかった。


 やがてタリーは身を離すとジルの眦を優しく拭いた。

「いなくなったジルを探しておった時に、突然大きなジルの魔力を感じて辿れたのじゃ…本当に無事で良かった」


 せっかく拭いてもらったというのに、未だジルの目元には涙の跡が消えていない。それを見たタリーはまた怒りが再燃した様に、ドスの効いた底冷えのする様な声で言った。

「今頃あやつらを盟約反故の証拠として、デニスが宣戦布告しておるはずだ…私ももはや許さぬ」

メラメラとタリーの後ろから黒い炎が立ち昇っているかの様だ。


「ジル。明日は共にチューダーへ向かうぞ」

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