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記憶の濁流はあっという間に全てが流れ去ってしまったが、いくつかはジルの中に残ってくれたらしい。
それらは折々の場面でひょっこりを現れる様になった。
その後、血相を変えて探しにきた乳母と護衛の捜索隊に無事発見され、回収され、無断外出した事をしこたま怒られたあの衝撃の日から数日後、忙しい父とジルは久し振りに会うことができた。
春が近くなり、冬眠明けの魔物がワサワサ出てくる時期の前のちょっとした休日の様だ。
ジルがあの日脱走した裏庭から、湖の方へ散歩に行くらしい。
脱走の件は報告が上がっているらしく、ジルに甘い父は苦笑しながら、それでもジルに責任について語って聞かせた。
ジルが護衛を撒いてどこかに行ってしまうと、護衛対象を見失った咎で誰かが処罰を受ける事。
数年前の大きな魔獣の襲来によって、家族全員を失っている乳母が、ジルのことを自分の命よりも大切に思っている事。
それが乳母の最後のこの世のよすがである事。
もちろん父にとってもそうである事。
みんなが守りたいと思っている事。
ジルが守られる事によって結果、皆が守られる事。
ですよねー!
「まだ難しくて分からないよなぁ」
と言いつつも話してくれる父の片腕に抱っこされながら、ジルは内心思っていた。
全くもって仰る通りです。
中身はもうただの5歳児じゃ無いのでマルっと理解できてます。本当にごめんなさい。
そんなに乳母に重い設定があることは知らなかったが、魔物ではなく、もっと強い魔獣狩りで領主軍の先陣を切る程の腕前を持つ父よりも、次期領主になる予定であるが弱いジルは、誰よりも守られていなければならない存在だ。
ごめんなさい、あの時は5歳児マインドだったんです…
あのウズウズに逆らうことができない5歳児だったんです…
とは言い訳できるわけもなく、神妙な顔で父にジルは頷き返した。
父はそんなジルの頭をくしゃくしゃに撫でまわし、この話はもうおしまいと言う様に話を変えた。
「ほらご覧、ジル。渡り鳥たちがまだ湖にいるよ」
あの日の様に穏やかに陽光を照り返す湖の中程には、様々な水鳥たちが羽を休めていた。
黒っぽい見覚えあるのはカモ?なんだろ?
そんなのもいっぱいいるし白鳥みたいなのもいるなぁ。
あ、あれはアヒル?ガチョウかな?
「もう少ししたら渡り鳥は南の方へ行ってしまうよ。そっちで産卵して、また冬にこっちへ戻ってくるんだ」
へー、こんな寒いところで冬越しするって、鳥って本当に不思議だよぁ。
…渡り鳥か…鳥…鳥?おおお?
科学とテクノロジーがないこっちの世界でも、代わりに魔法があるならばもしかしてアレできるかも?
前世を思い出した時から、現世でチートを発動できないか隙を見つけては色々と思い出してみたのだよ。
ジルはまず父に問いかけてみる。
「ねえ父様。鳥さんってなんであんなに寒い湖でも凍えないのですか?」
私なりに5歳児頑張ってます!
女はみんな女優だもの!
そんな質問に父が固まった。
ギギギと音がするほどの首の動かし方で、湖からジルへと目線を動かしてくる。
あれ、これはよく分かんないっていう反応なのかな。
それか5歳児にどうやって説明すればいいのかが分からないかかな?
ごめんよ父様、でも聞いて欲しいの。
「父様、鳥さんが寒くない秘密ってあのふわふわな羽なのですか?だとしたらあの羽があればみんな寒く無くなりますよね?」
「ん?どういう事だい?」
シルフォレストの辺境の地には寒さと雪と氷と魔物は売るほどあるけれども、この冬の長さでは作物も二毛作できず、寒さに強い果物も少なく、大量に育てて他の地方で売れる様な農産物はこれと言ってないはずだ。
家庭教師から自領の産業と経済をお子様バージョンで説明してもらった時にも、そんな説明はなかったはず。
むしろ輸入の方が多くて、冬の時期は物価が高くなって大変だとぼやいているのを聞いたことがある。
農家が家畜を育てていたりもするけれど、乗り物も物流も前世の様に発達しておらず、肉や乳製品などは領地内での消費が主だった。
だからもちろん魔物の肉だって無駄にせず、美味しくいただいている。
そんな領の大きな収入になっているのは、いくらでも湧いて出てくる魔物の部位や素材で、魔道具の部品などに加工されるので、比較的高額で取引されている様だ。
あとは防衛拠点としての立地と、役立たずのポンコツ結界問題がある。
ジル相手にはこんな風でも、実は抜け目なくやり手な父のことだ。王国からの防衛費か何かの名目でそれなりのお金はぶんどっているはずなので、領地は貧乏だとは思わないがこれと言った産業はない。
比較的いい仕事と言えば、城勤めか領軍兵になるかという土地柄だろう。
ただ冬の時間が長い地域だからこそ、冬籠り中に家でできる手仕事は盛んな様で、チューダー地方特有の刺繍や編み物、機織りなどで作り上げられる布製品や、豊富な木材を利用した木工製品などもは作り続けられている。
そこにババーンと新たな産業ですよ!
「父様、あの鳥さんたちの羽を集めて袋に詰めたら、とってもとってもあたたかいお布団になるかしら?」
ハッと父が雷に打たれたかの様な顔をした。
鳥は鳥として肉を取ることが主で、羽を使うにしても、特別色の綺麗な鳥から服飾小物などの飾り用に抜いて使うくらいしか用途にしてないはずだ。
「そんなお布団はきっとふわふわなんでしょうね。
私はそんなふわふわお布団で寝てみたいです。
鳥さんはお肉も美味しいからいっぱい育てたらいっぱいお布団とお肉が取れますね」
そして父の目を見つめ、無邪気な笑顔を心がけてニッコリしてみる。
どうする?
激甘な父は私のお願いをどうする?
父様は頭のいい人だから、きっとこんな拙い幼女との会話からのヒントだけで、どうやって商品化して商売に繋げられるか脳内でそろばんを弾き出しているはずよね。
前世で羽毛布団って言ったら、長年高額な商品として売り続けられてきてるっていう実績があるわけだし、絶対こっちでもいい商売になるに決まってる。
チューダー織のシーツと組み合わせて、そこにチューダー文様の刺繍なんかも施してしまったら、それこそ高級感溢れた商品の出来上がり!
そして軽いし腐るものでもないから、どこまででも販路を拡げられて、うまくいけば国内外にシルクロードならぬ、羽毛ロードが出来上がるかもしれないよねー
ジリジリソワソワと父が急に落ち着きをなくした。
そして後ろについてきていた護衛に私を任せると、挨拶もそこそこに猛ダッシュで城へと戻っていく。
は、早い!
走り去る父の背中を追って、ジルが振り返った時には、もうそこに誰もいなかった。