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 早いもので娘のジルヴィアが隣国に嫁いだ姉上の元に身を寄せるようになって、すでに2週間以上が経った。

いや、早いと言い切るのは少し違うな。

体感での時間の経過は異様に遅いと言うのに、ふと気付けば一日が終わるという毎日だ。


 屋敷にも火が消えたかの様な雰囲気が漂っている。

戦の前のひりつく様な緊張感のせいもあるが、何よりジルが居ない事が大きな要因だと思われる。

彼らの行儀に関しては、執事長、侍女長と乳母のエリーザが目を光らせてはいるが、ざっくばらんな付き合いを好むジルに、使用人たちも比較的元気の良い者たちが多いのだが、その者たちも今はとても静かだ。


 私もとにかく寂しい…身近に娘の気配を感じられない毎日とはこんなに侘しく寂しいものだったのか。

例えば、お互い忙しく数日会えない日々の中でも同じ屋敷に暮らしていれば、ふと読みかけの本が少し移動しているのに気づいた時、執事長のゲイリーが『お嬢様が興味深げにご覧になっておりましたよ』と言うだけでそこで夢中になって本を読み耽るジルを感じて、自然と口の端が持ち上がるような気持ちになる事も出来た。


 だが今は一切彼女の気配は消え去った。

いない日々を一日一日と過ごすうちに、どんどん屋敷から気配も薄くなっていった。


それもこれも全ては…


 沸々と沸くような怒りを抑え込むように、私室の壁を見上げる。

今は亡き、我が妻のアンナが夏の庭の東屋でジルを抱きしめ笑っている肖像画がそこにあった。


 肖像画を描かせるのは久しぶりで、緊張気味だったアンナの気持ちを解す為に、私がからかった時に大きく笑った瞬間が切り取られていて、親指をしゃぶった小さなジルはキョトンとした顔でそんなアンナを見上げている構図だ。

 とても貴族の肖像画として珍しい構図だが、この絵の下書きを見た私が、ジルは正面を向いていた方が良いし、アンナももっとお淑やかな笑顔の方が良いのではないかと言った。


 ところがアンナがこれが良いと、私たちらしい姿を家族だけで見る絵として残すのも一興だと言ったのだった。


 他でもないアンナの言う事なので、それ以上は特に反対はせず描かせたのだったが、今となってはこの絵があって良かったと心から思っている。

アンナが旅立って十年以上経ったというのに、この夏の一時は昨日の事のように鮮やかに思い出せる。


 ずっと覚えていたいアンナの声すら段々思い出せなくなってきてしまっているのに、この時の笑い声だけは思い出せるのだ。この絵のおかげで。

私の大切な美しい宝石たちの絵だ。ジルがそばに居ない今ではこの絵だけが私の胸に光を与えてくれる。


 切なく振り絞られる様な胸を、この絵の中に一旦置いて私は部屋から出た。

扉の外で家令のセバスチャンが待っていた。


「おはようございます。旦那様」

「何かあったのか」

「は、第二王子がようやく軍に合流する様です。とは言ってもまだ王都からは出発していない様で、まだ暫くはグダグダしてそれからの出発となるでしょうが、王都の影から第二王子の近衛の派遣選抜に潜り込んだとの報告がありました」

「やっとバカが動いたか。無駄に長々あんな所で駐留していたチューダーへの討伐軍も、アレが到着すれば流石に動くであろうから、続き動向は注視させておけ」


 二人は執務室へ移動しながら話を続ける。

「お嬢様に付いている者からも、色々はある様ですが昨日も恙無くお過ごしの様です」

「はぁ…色々…なぁ」


 思わずため息が出てしまった。

姉上の屋敷に着いた直後は大分消耗していたし混乱も見られた様だったが、愛情深い姉上のお陰でジルもいつもの愛らしい笑顔を取り戻す事が出来るようになったらしい。

だが、責任感の強い子だ。一人だけチューダーから逃げたとでも自分を責めている事であろう。

ただ幸せに笑っていてくれるだけで良いというのに。

先程も自室で感じた強い憤りが腹の底をチリチリと焼く。


「旦那様」

執務室の席に着いても黙り込む私の思考を読む様に、セバスチャンが声を掛けてくる。

「ああ、大丈夫だ」

「左様でございますか…して旦那様、新型の投石器は量産に入る目算が出来たとの報告が上がっております。ただ材料の確保に関して少し懸念があるそうなので、作成班との打ち合わせを本日午後に行うとして宜しいでしょうか?」

「それで構わない」


 気を取り直す様にして、目の前に山積みにされた書類の山から一枚取る。

中身を読み込み、承認のサインを入れながら私は話を続けた。

「それにしても思ったより早く出来上がったのだな」

「はい。作業に携わった者たちのモチベーションが異様に高いというか、未だ上がり続けていると申しますか。

この戦が終わらねばお嬢様がこの地に戻られぬと分かっております故、とにかく国軍の者たちをぶっこ、いえ…壊滅…いや我が軍の勝利のためにと励んでおる様です」

「そうか。なら良い」


 一頻り今日の業務内容について話した後、セバスチャンは執務室の隅にある自身の机に着いた。

入れ替わる様にゲイリーが入室し、私の前に立った。


「何事だ」

「お仕事中に申し訳ございません。こちらのお品がお嬢様より届きました故、急ぎ持参いたしました」

ゲイリーは銀の盆を持ち、その上には小ぶりのギフトボックスが置かれていた。

どんな状況であれ、私が何よりもジルの事を優先するのは、この屋敷の使用人であれば周知の事実だ。

朝一番に届いた荷物をすぐ様持ってきてくれたのだろう。


 乱雑に広がっていた書類を退けると、ジルから届いた小箱をそっとデスクに置いた。

手紙も添えられていたので、箱か手紙か先をどちらにするかを暫し迷ってから、箱を開けてみる。

中には楕円形の輪状であるが一部の欠けた銀細工が入っていた。

それを手に取る前に、ジルからの手紙を読む。


『親愛なるお父様』

そんな書き出しで始まる内容は、どれだけ姉上に大切にしていただいているか、我が領から随行した者たちがどれほどジルに心を砕いてくれているか、姉上の使用人たちがどれほどジルに丁寧に対応してくれているか、それぞれ書き連ねられており、その全てに感謝を述べている。

読みながら私もそれ相応の礼を返さねばならないなと思った。


 その先を続けて読むと、ある日姉上に私も顔見知りの工房へ連れていってもらったとあった。

あの頑固者だったハゲ親父も息災にしている様で、ジルのティアラ作りに奔走した日々もついこの間の事の様に思う。

無理だ、どうにかしろの応酬で何度あの親父と怒鳴りあった事か。

結局あの親父が納得するだけの金属を私が探し、作り出し、渡したそれを試行錯誤の上、加工する術を編み出すような大きな態度に見合うだけの技量ある親父だった。


 その親父の工房に依頼して作ってもらったバングルというモノらしい。

一度手紙を置いてバングルを手に取る。

留め金がないので手首にカポリと嵌って、腕輪の様に余裕がない分どこかに引っ掛けて壊す心配が無いのが良い。

私とジルとで同じ意匠のバングルを作ってもらったそうだ。


 腕に嵌めたままくるりとバングルを眺めると銀色の中に見覚えのある色合いの三つの宝石が嵌め込まれているのに気づく。


 もう一度手紙の文面に戻ると、私とジル、そしてアンナの瞳の色の宝石を嵌め込んで貰ったと書いてあった。

ジルは絵の中のアンナしか覚えていなかったので、姉上がアンナ色の宝石を選んでくださったらしい。


そうだ。

アンナの瞳はこんな風にいつも輝いていた。

そして私を見つめて、私の名を呼んでその瞳が隠れてしまうぐらい目を細めて笑うんだ…


アンナの声が聞こえた気がした。


 私はアンナの声を思い出せない事に気づいた時、頭がおかしくなるかと思った。

あんなに愛していたのに、未だに愛しているのに何故忘れてしまえるんだ!

それが今、アンナが私の名前を呼ぶ声がする。


ああ、ああ…守るよ。

君が残してくれた愛しい私たちの娘だ。

何があってもあの子を守る為に私は最後まで抗い尽くそう。


 手紙を読みながら静かに涙を流す私を残して、執務室には誰もいなくなっていた。

少しだけ。もう少しだけアンナの声を聞いていたい。


 ジルの手紙は『どこにいても離れていても、いつも心はお側におります。愛するお父様へ』と締めくくられていた。

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