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ジルたち一行が王都に到着して二日、その日は早朝から使用人たちがバタバタと慌ただしく動き出していた。
とうとう社交シーズンが開幕するのだ。
農閑期に入る秋口に一年分の収穫物を持ち、より良き商売の口を探す為に王城へ領主が集まったことがこの国の社交シーズンの起源とされる為に、毎年この時期に王城で貴族たちが集合する慣わしとなっている。
始まりが自然発生的な集まりだったことに倣い、招待状は各家に送られず、開催日時が王家から発表されるのみだ。
各々の貴族がデビューの際に渡される、貴族であることを証明する承認魔導を封じた紋章を持参していれば誰でも入る事はできるし、来ない事もできる。ただ来ない家は何かが起こったか、来ることも出来ないくらいの甲斐性だと貴族雀に散々噂されてしまう事になる。
そしてこの舞踏会はデビュタントボールも兼ねていた。
男性は学業や仕事、跡継ぎのタイミングの関係でバラバラの時期に社交界デビューを果たすそうだが、普段奥向きに置かれ、自由に外に出る事すらままならない女性は大体、十五〜十六歳くらいのその頃合いか、家長のこれと思うタイミングで他家と一緒に纏めてここでデビューさせられる。
過去には事情で十三歳くらいでデビューを果たした子や、逆に学院の卒業を待ち、二十歳を超えてからデビューした女性もいたそうだ。
王城での舞踏会は元来の起源からして見本市と同様だった事もあり、令嬢すら皆から値踏みされる恐ろしいエキシビジョン会場でもある。
慣れぬ場で人目に晒され、ただでさえ緊張してしまうだろうに、更にジルは自ら領地の産業のサンプル品になるのだ。それを良く分かっているであろう使用人たちの気合いもこれまでないものだ。
「お嬢様をお綺麗に飾りつけて、それを皆様に見せつける機会が漸くきましたわー!」
慌ただしく動く使用人たちの前面に立ち、満面の笑みを浮かべるのは侍女のリーンだ。
彼女は子沢山の男爵の長女であったが、多くの妹たちの持参金や、幼い弟が跡を継ぐための教育費を捻出する為に働きに出た苦労者だった。
それでも前向きにアシュリー家に仕えつつ、チューダーでのファッションリーダーを目指している。
ジルが服飾製作に目覚めた際に一番喜んでくれたのは実はリーンであった。
ジルの側仕えに選ばれた時、リーンは本当に喜んだ。
ドレスにリボンに宝石の数々、どんな風にお嬢様をお綺麗に飾りつけようか。
そんな夢を抱き楽しみにしていた胸の内は、他でもないジルによって打ち崩された。
ジルはドレスと言っても簡易な物ばかりを好み、やれ乗馬だ地方視察だと、華美な物を着せる機会など一向に訪れない。
挙句ズボンを履きたいと言ったり、反対されればスカートを改造して馬に跨がれる服を作ってしまった。
またある日は、令嬢にあるまじき日焼けも怪我も厭わず、剣術まで習い出した時には卒倒するかと思った。
そんなジルに何度キレたかは数え切れない。
だが、それでもこの素直で愛すべきお嬢様は、恐れ多い事で本人にはとても言えないが、リーンにとっても可愛い妹の一人の様であり、ジルに上目遣いで『リーンごめんね』などと言われてしまえばそれ以上は怒れなくなってしまうのだった。
来たるべき日のために、ひたすらジルの日焼けしてしまった肌や、うっかりこしらえてきた小さな傷跡などのケアに勤しむしか無かった。
そんなリーンが待ちに待ったこの日が、漸く、漸くやってきたのだ。
いつかは陽の目を見るはずと溜めるだけ溜めてあった、リーンのスキルが遺憾無く発揮される日である。
何の遠慮も躊躇も無く、リーンはジルと使用人を動かしてあれよあれよと仕上げていく。
ジルにとっては、とうとう来てしまった本番の日である。
試着の時も大変窮屈な思いをしたが、比にならないくらい、早朝から叩き起こされ、風呂で頭から足の先までピカピカに磨き上げられた上にあちこちぎゅうぎゅう揉まれ、固められ、昼を過ぎる頃には口を開く気力も無くなっていた。
これでまだ準備行程の半分とか…
飲み物や軽食を差し出されても、ジルは口にできる気がしない。だが、体調を崩さないためにコルセットを填める前にと乳母に強く言われて渋々口に入れる。
モソモソと食べるジルの頭は、未だリーンの独壇場だ。
ジルがサンドイッチをもぐもぐ咀嚼していても、髪を鷲掴みされているので頭がグラグラ揺れる。
ティアラが映える様に、美しく結い上げるための下準備をしているのだとリーンは言う。
オシャレってする方もさせる方も大変なんだなぁ。
リーンもみんなも腕まくりしてるのに汗かいてる…
思えばリーンはまだ一回も休憩を取っていない。
おそらくジルよりも早起きしたであろうに。
ふと自分だけが疲れているわけではない事に気付いたジルは、鏡越しにリーンを見つめて言う。
「リーンも大変だよね。ありがとうね。
リーンも皆も忙しいだろうけどもちゃんと休憩をとって」
リーンは忙しなく動かしていた手を止めて、まんまるに目を見開いた。そして音が聞こえるくらいニッコリと笑う。
「なんと勿体無いお言葉ですわ!ですがお嬢様を思う存分着飾らせることが出来ると思うだけで、恐ろしいほどの気力がどこからか湧いてくるのです。お嬢様も大変でしょうが暫く我慢していてくださいね。このリーンが国一番の美人さんにして差し上げますからね」
と髪の束を握っていない方の腕に力瘤を作った。
やがてそれから数時間後、日が傾き始めた頃にリーンの言葉通りの美人さんが鏡越しに現れた。
全身が見える大きな鏡の前に立ち、ジルはこりゃ一体誰だと唖然とした。
元々整った容姿だとは自認していたが、全くの別物である。
前髪を作っていないジルの髪は左右に分けられ、ビシっとうず高く纏められている。
その中に、蔦の意匠を取り込んだ流線型も美しい銀細工と、朝露や花々を模したダイヤモンドと真珠が所々に嵌め込まれたティアラが輝いている。
この銀細工の加工と、それに宝石を嵌め込む技術が現在では確立されておらず、父が新しい素材探しに奔走する原因となった。
このティアラは父は技術者を引き連れあちこちの山を巡り、他国へ訪れ、試行錯誤を積み重ね、漸く形となった細工工房の親方渾身の逸品である。
ジルはクラシックなお姫様ティアラと散々悩んだ挙句に、北の領地の象徴でもある魔の森にインスピレーションをもらい、この意匠をデザインした。
魔の森は恐ろしくもあるが、反面大きな恵みもたくさんもたらしてくれる。
北の大地は時に厳しくもあるが、住む人たちの心の温かさも、互いを助け合う団結力も、その厳しさによって育まれてきたものだ。
これから一生、節目の度に使う、ジルを表すティアラであると言うならば、これしか無いと強く思ったのだった。
ジルの淡い髪色にあっても力強く光を反射して輝いているティアラはまるで、故郷の森そのものの様に感じた。
ドレスはジルが当初出した案から大きく変わった点はないが、オフショルダーの上身頃はカットレースでふんだんに飾られ、二の腕には小さめのパフスリーブが付けられている。
ウエストの切り替え部分のスカラップレースの上には、細めの白いリボンが回り、背後でお尻の下まで垂れるくらい長い蝶結びがされていて、ジルが動く度にヒラヒラたなびくらしい。
スカート部分は、チューダー織の中でも粗目の織りをなされたチュールの様な薄布が、幾重にも重なってふわりと柔らかい曲線を作り出していた。
一番上の布にはチューダー地方の森や動物たちを模した、古い文様の細かい刺繍が銀糸で施されており、それが細かい宝石を散りばめたかの様に瞬いている。
めーっちゃカワイイ!
ちょっとだけバレエのジゼルの衣装みたい!
父が張り切って、ティアラと揃いのパリュールを作ってくれたので、お互いを消し合わない様になるべくシンプルに仕上げる事になったのだ。
フレッシュな新人のデビューなんだから清楚な感じ出したかったしね。
ほぼ真っ白な色合いの中にあるのは、薄紅色の頬と唇、あとは輝く新緑の色をしたジルの瞳だけが差し色だ。
リーンはあえてその様に化粧を施した様で、我ながら透明感が半端ない。これは儚い詐欺と言われてしまうのも仕方がないなと納得してしまう。
「こんなに…こんなに美しい貴婦人を見た事はないよ。ジル…私の妖精姫」
準備が出来たことを聞いて入室してきた父は、ドアから一歩入った所で立ち止まり、ジルの姿を一目見た途端また泣いている。
つい先週も調整で試着した姿を見て泣いていたのに。
ジルは苦笑した後、これまで家庭教師から叩き込まれた高位貴族子女教育の極意を総動員して、父らに向かい完璧な最上位のカーテシーをして見せる。
デビューがこちらの成人式なのだとして、これまで愛情深く育ててくれた父と乳母をはじめとする使用人の全員に、きちんとした形で礼を述べたいとずっと思ってきていたのだ。
「お父様。これまで育てて下さり、本当にありがとうございました。
お父様のお陰により、かの様に私は本日デビューを迎えることとなりました。
そして私を父と共に育て、支えてくださった多くの皆様、皆様のおかげで私は優しさの多くを知りました。
どうぞこれからもずっとよろしくお願い申し上げます」
口上を述べ照れ笑いしながら顔を上げると、乳母も侍女たちもうっすら涙を浮かべて微笑んでいるのが見えた。
すると感極まった様子で立ちすくんでいた父が、ふらりと動きジルの名前を鋭く呼んだと思うと、泣き濡れてグチョグチョの酷い顔でジルを抱きしめようと駆け込んでくる。
「父様の可愛い天使!」
そこからは慌てた周囲の男たちが一斉に父を引き止め、隣室へと引きずる様にして隔離し、渾身の出来上がりを一瞬で崩されるかと思ったリーンと侍女たちは、父の姿が見えなくなるまで身を挺してジルを庇う。
そんな阿鼻叫喚の引き金を引いたジルは大いに反省をする事になった。
父様の深すぎる愛をまだ分かっていないのね、私ってば。
慣れないことを迂闊にやるものではない事をジルはまた学んだのであった。




