だからここで、お別れ、バイバイ。
さようならとユージーンは言った。
さようならと私も言った。
悲しさ。悔しさ。羨ましさ。苦しさ。そして嫉妬心。
この別れに羨ましさがあるのは、生き延びられていーなーっていう単純なもの。
そして、この別れに苦しみや嫉妬心があるのは、恋人を寝取られるという、クソみたいな運命を享受しなければならないから。
それは最悪なシナリオだった。
原因不明の病、未知なる病原菌が蔓延し、この世界は終焉に近づいていた。長い歴史の中で、人類は初めて絶滅の危機を迎えている。
私の恋人ユージーンと、私の親友だったカリン。
二人はアダムとイヴとして選ばれた。
私が勤務する研究所の上の人、政府の要人の決定によると、ユージーンとカリンを同時にコールドスリープして、100年後、目覚めた二人が子孫を残し、人間の歴史を繋ぎ直すという、使命を負わせようとして。
気が狂いそうだった。
ユージーンを愛していたから。
私を、愛していると言って抱きしめてくれたあの人が、他の誰かを抱くのだと知って、私の中に狂気と呼ばれる小さな感情が生まれることとなる。
すでに世界中の人々が死に絶え、人間が生き残っているのは、この研究所の所員のみとなってしまっている。初期の段階での厳重な隔離に効き目があり、研究員の私たちはまだ、生きている。
ただ、それも時間の問題だった。
コールドスリープを決めた政府も今や壊滅し、指揮系統も未知の病原菌の前に崩れ落ちた。
けれど、私たちはそれでも、良かった。このまま、人類の終わりを迎えるにしても、最後までユージーンとともにあり、そしてお互いの腕の中で死を迎えるのだろうと思っていたから。
けれど、研究所の一部が、コールドスリープ計画を遂行すると言い出し、そして私は選ばれなかった。
子宮に問題があり、子が産めないことは、健康診断でわかっていて、研究所でもそれを把握していからだ。
そして、反対にユージーンは健康優良児。誰とでも子を持つことができる。
私とユージーンは付き合い始めて、6年という長い年月を一緒に過ごしていた。事実婚ではあったけれど、気持ちは結婚した夫婦そのものだった。
ただ過去に、子どもが持てないという理由で、私から別れを切り出したこともあった。
「ごめん、ユージーン。私と別れてくれる? 私と結婚しても、家族が増えることはないから」
けれど、ユージーンは明るく言った。
「それでもいい。ミカ、まだ見ぬ子どもよりも、君が大切。愛してるんだ。子どもはいらない。それより二人で生きていきたい」
迂闊にも泣いてしまった。愛される喜びに。そう。私は、ユージーンの愛に寄りかかってしまった。その愛に、依存するようになってしまったのだ。
そこから、私の愛は深くなる一方だった。ユージーンを失って、生きてはゆけないくらいに。
それなのに。
こんな残酷な別れとなるなんて。
「ついに明日だね」
「そうだね。ミカ、今まで幸せだった。ありがとう」
別れの前日。ベッドに横に並んで座り、私たちは窓の外を見ている。偽物の星空のもと、寄り添いながらキスを交わす。
「カリンなら、ユージーンを任せられる。彼女、あなたのこと大好きだから」
口から出た嘘に、ちりと、胸が焼けた。
ああ。
私の胸はもう、焼け野原となってしまった。
どんなにその焔を消そうとしても、全て焼き尽くされていく。
酷く胸が痛むのは、その火傷がいつまで経っても修復などできず、じくじくと膿を持って疼くからだ。
もう涙は出ない。
明日の別れを呪うだけ。
ユージーンの肩に頭をこてんと乗せた。
「ユージーンの子ども、見たかったな」
焼け野原に立つ。大声で叫びたくなる。
ユージーンを愛していて、ユージーンは私のものだと、大声で。
いや、叫ぶだろう。
不条理で憎悪しかない、この世界の終わりに。
「ミカ、ごめんね。私が選ばれてしまって……その、ユージーンのことは私に任せて。きっと幸せにするから。人類のためにも……ううん、ごめん。ミカ、本当にごめん」
そう言って泣いたけれど、内心ほくそ笑んでいるのは知っている。
もちろん生きながらえることができるし、100年後に目覚めたあと、大好きなユージーンを手に入れることができる。
選ばれて、ガッツポーズしてたもんね。
「さあ、もう眠ろう」
その夜は二人、抱きしめ合って眠った。
*
翌朝。コールドスリープのポッドへと入る、ユージーンを愛しさとともに見つめていた。
さようならとユージーンは言った。
さようならと私も言った。
けれど、おやすみとユージーンが言った。
うん、おやすみと、私がキスをした。
おやすみ、ユージーン。
100年後、起きたらきっと抱きしめる。
安心して。隣で、私が眠っているから。
コールドスリープのスイッチを押す。
次第にマイナスの世界へと。そして、ユージーンはいつしか眠りにつく。
「あ、銃、貰うの忘れてた」
ポッドを覗き込むと、ユージーンの手には銃が握られている。
ふは、と笑った。
「私たちの未来に、銃は不必要でしょ」
私は自分が持っていた銃を置いて、隣のポッドで永遠に眠るカリンの身体を、よいしょと外へと出した。
そして、銃を手に取り、血だらけになった、ポッドの中へと滑り込む。
5分後に起動するようセットしたドアを閉めて、銃を抱きながら、眠りを待つ。
私たちはこの日。
研究室の人間はすべて、ユージーンが。
そして、カリンは私がこの手で始末した。
二人で未来に向けて幸せになるために、今は眠るのだ。
私は目を瞑った。少しわくわくしている自分に気づく。もう誰にも邪魔されない。この世には、ユージーンと私の二人だけ。
ただ。
人類はここで、絶滅。
子どもができない私たち二人では、子孫を繋いでいくことが出来ないから。
だからここで、お別れ、バイバイ。
眠りに入る直前に、
神さまが、手を振った、気がした。