思い馳せる、約束の歌
風に乗り、高く低く響く伸びやかな歌声が聴こえる。伴奏は竪琴だろう。危うげないその弾き手は異国情緒あふれる旋律を奏で、アルダッシムの足を止めさせた。
(珍しいな。遠い、西方のバラッドだ。たしか聖女の……)
「おい行くぞ。疲れたか?」
「いや、平気だ」
後続の仲間に促され、アルダッシムは無意識に空へと向けていた視線を地上に戻す。途切れた列を足早に繋ぎ、古めかしい石畳の通りを進むと、楽の音は徐々にちいさくなった。
それでもつかの間、心は潤った。こんな辺鄙なところにも吟遊詩人は来るんだな……などと感心しつつ。
いっぽう、通りの脇に佇む住民たちからは遠慮のないひそひそ声が届いた。
――見てごらん。傭兵だよ。
――おお怖い。
――血まみれじゃないか。いくら領主様のお達しでもねぇ。
さもありなん。
蟻のごとく列なす自分たちは、たった今、峠向こうの荒野で隣国からの奇襲を迎え討ったばかりなのだ。
アルダッシムが所属する『赫の旅団』は、名うての傭兵団だ。名目だけは中立地帯のアラッガに拠点を置く。
今回は、西の大国グランデルが東のベレスを急襲する――という、事前情報を得たベレス側の依頼だった。
中央の正規軍が到着する前の露払いは、結果、ぎりぎり間に合った。ここが脅かされずに済んだのは、あんたたちの領主の采配と赫の旅団の働きのおかげなんだが……? という呟きを、ぐっと飲み込む。
が、井戸端会議の女性たちのスカートの後ろから幼子が現れ、「おうたー、ききたい!」と懇願する姿に思わず眉を下げてしまった。
さっきの歌を奏でていた吟遊詩人を見たいなら、あの子は自分たちの列を横切らなければならない。それにはちょっと勇気がいるだろう。
案の定、母親は「もうちょっと待ちなさい」と、困ったように窘めていた。
「……」
アルダッシムは無言でフードを被り、マントを胸の前で合わせた。
なんとなく、あの歌と、あの幼児を隔てる障りでしかない自分を縮めたくて。
(団長もたいがい大雑把なんだよな。どうせ、敵の返り血で真っ赤になるから『赫の旅団』だなんて)
旅団に入り、生きて初陣を終えた者にはもれなく深紅の団服が支給される。たとえうまく血飛沫を避けたとしても、派手な色のむさくるしい一団がおっかないのは間違いないのだが。
久々に耳にした娯楽――歌への関心はいったん消し去り、アルダッシムは、脇目も振らずに領主が用意した宿営地をめざした。
「乾杯! 勝利に!」
「乾杯!! 気前のいい領主さんと人使いの荒い団長どのに!!」
詰め襟に膝下まである緋色の団服の胸元をくつろげ、雷みたいなガラガラ声で音頭をとるのは赫の旅団長ハラン。それに参謀ライナス。
ハランは上機嫌で「違いねえ」と笑い、勢いよくジョッキをあおった。そこかしこで木製の器を合わせる音が鳴る。
軍事大国グランデルの出鼻をみごとに挫いた旅団への労いは厚く、ベレスの西端を治める領主はわざわざ国境沿いの町に駐屯地を設けてくれた。金で雇われるだけの存在である傭兵に対し、破格の待遇だ。
よって、普段ならテントで野宿になるところが、今夜は隊商用に整備された国営宿舎。おまけに長テーブルがいくつも並んだ中庭では食事や酒が供され、まさに辺境領主様々だった。
(それにしても、さすがは幹部。強行軍のあとでも元気だよなぁ)
アルダッシムは、まわりの年長者からは「年寄りくさい」と揶揄されがちな渋い笑みを浮かべ、くちのなかでシュワシュワと弾ける麦酒の苦味を持て余した。
――まだ二十歳前。酒の味はよくわからない。
アルダッシムは、入団そのものは早かった。たしか、十二かそこら。
十五の初陣までを見習いとして過ごし、戦場では物怖じしない性格を重宝がられた。
最近はめきめきと上達した剣の腕を見込まれ、小隊長を務めている。そのため、乾杯は末席ではあるが幹部のテーブルに引っ張り込まれた。
酒とお喋りはほどほどに、串焼き肉と揚げ芋のどちらにしよう――そんなことを悩んでいると、ふと後ろから肩を叩かれる。
先ほど、堂々と団長を皮肉っていた。参謀のライナスだ。
「よ、相変わらずしけた顔してんなぁ。若いの」
「アルダッシムです。参謀」
「それだよ、それ! 名前で呼べよ。さもなきゃアルディって呼ぶぞ」
「なぜ愛称」
憮然と抗議すると、にやりと笑われる。
「決まってる。いやがらせさ」
(……あ、これ、酔いが早いわりには顔に出ないやつだ)
そう考えたのも束の間、あっという間に首に片腕を回された。ぐいぐいと締められ、地味にきつい。
「参謀? 何を」
「うっせえ。おーい、ハラン! 俺さ、ちょっとこいつに人生の愉しみってやつを教えてくるぜ」
「わかった、ライナス。行って来い!」
「団長まで!?」
引き立てられ、たたらを踏むアルダッシムに、団長を含む周囲の視線は見守りの一色だった。
愉しみ――――皆、なにかしら思い当たるのだろう。「ははぁ」と察し顔だ。
ライナスは上機嫌でアルダッシムから手を放し、ぐんぐんと来た道を戻る。
西に傾いた日は辺りの石壁をオレンジに染めている。周囲の家々からは煮炊きの煙がたつ。街灯にも火が入り始めている。
坂道を下りながら、アルダッシムは怪訝顔で問いかけた。
「参謀。どこへ」
「無粋だねえ、アルディは。まぁ、ついて来いって」
「はあ」
嬉々と答える大男の足取りは軽く、向かう先は繁華街。比較的大きな建物や飲食店の看板、何より賑わいが感じられる。
ライナスは立ち止まり、右手側にあった、まだ閉店前の服飾店と自分たちを交互に眺めた。再びアルダッシムの腕を掴む。
「ちょっ?」
「任せろ。オレは参謀だ……。なーに、お貴族様の意向ぐらい華麗に欺いてやるさ」
❇
(あーあ、ついてない。興行先で、目当ての傭兵団が隔離されてるなんて)
サフィークは溜め息をついた。
女だてらに吟遊詩人として渡り歩くうち、いつの間にか付けられた『歌姫』なんて大層な二つ名も稼げなくては意味がない。
サフィークはどこへ行っても容姿を褒められるが、自分の売りは歌と竪琴の腕前、それにバラッドの知識だと思っている。
現に、いまも酒場でいくつか流行歌をうたい、宿代程度は稼いだところだ。歌さえあれば、どこででもやっていける。
けれど。
「……軽い恋歌より、歌い手殺しの超高難易度バラッドを奏でたいときもあるのよね……」
ぽつり、とこぼし、吟遊詩人の証として髪に挿した羽飾りに触れる。ついでに右肩に垂らした銀の一房を指でひと巻き。するりと離す。波打つ髪はそれだけで甘やかな光を弾き、胸元へと戻っていった。
すると――
目の前に、大柄な眼帯男とすらりと均整のとれた体躯の若い男が現れた。
カウンターとは真逆の位置。店の端にわざわざやって来たということは、サフィーク目当てだろう。
身なりは中の下。場所柄、さほどの客ではない。ひとを食ったにやにや笑いを浮かべる眼帯男の表情から察するに、歌以外を要求されかねない。
サフィークは舌打ちしたい気持ちをぐっと堪え、男たちを見上げた。
「あたしは歌うたいよ。歌しか売らないわ。何か用?」
「へえ、こいつぁ気が強い別嬪さんだ! なぁ、良かったらこれで」
「待ってください、参謀……ライナスさん」
「何だよアルディ。黙ってろって」
「いいから」
「! うぉっ?」
予想通りぎらぎらとした金貨を差し出す男を押しのけ、それまで眉間に皺を寄せていた青年がサフィークの前に立つ。
青年は黒っぽい瞳を申し訳なさそうに伏せ、懐から大陸銀貨を取り出した。難曲を望むにはふさわしい代価だ。
それから、ふとはにかむ。
「女性だったんだな――いや、すまない。昼間の声が中性的だったから」
「昼間?」
「今日、西の古謡を歌っていただろう? あれを聴かせてほしい。できればアラッガ語で」
「いいけど。アラッガは故郷?」
「そうだ」
「ふーん……」
驚いた。相場にのっとった支払いもさることながら、歌の指定も手慣れている。つい挑戦的なまなざしになった。
アルディと呼ばれた青年は、それを真摯に受け止める。
サフィークは、ふむ、とひとつ頷いた。
『――いただくわ』
アラッガ語で銀貨を受け取り、閃かせるように指で挟む。すとん、と腰のポーチに落とすと、硬貨が重なりチャリンと鳴った。
椅子に座り直し、脚を組む。
膝の上に竪琴を固定し、爪弾くは神秘的な音階。こうなれば店内の喧騒はいっさい耳に入らない。
サフィークは目を閉じ、呼吸とともにバラッドを胸に描いた。
背筋をすっと伸ばし――
『山並みに抱かれし豊かなる都 祝福の地 名をロータス
神々の御代 ひと柱の女神 蓮より生まれ給う 御名をローレティシナ
女神はひとりの男に守護と幸運を授け つまとなる 男は美し国を建てん
それこそがロータス 紅き蓮の女神の国
やがて女神還りしのち 幾人もの聖女生まれん
聖女の髪はみな 流れる暁の滝 女神とおなじ 陽と花の色 奇跡の御業さえおこなう 女神の愛し子ゆえに』
朗々と歌い、サフィークは弦をかき鳴らした。
間奏は、それすら聴き手の情緒を揺さぶるためだと心得ている。そうして最後の一節を。
『見よ うつくしき紅を
栄えあれ 花々と清水の国を
ロータスに 恵みの聖女あり』
――――ピィンンン……
爪弾く、いちばん繊細な一の弦。
和音をなした声と弦の共鳴は余韻をともない、しずかに染み渡っていった。
酒場は静寂に呑まれ、次の瞬間、怒涛の拍手と口笛で満たされた。
サフィークは、意外にも次々と訪れる客たちにうず高くコインを積み上げられ、呆気にとられた。
「え、あの」
「良かったぜ吟遊詩人の姉ちゃん! あんた上手いなあ」
「懐かしかったよ」
「いやあ、凄かった」
「は、はぁ」
どうやら店内の客の半数近くがアラッガから流れてきた労働者だったらしい。
銅貨の小山が鈍い赤金色に輝くのをぼんやり眺めていると、ふと、棒立ちだった青年が動いた。しゅるりと首に巻いていたスカーフを解く。
「これ。よかったら、コインを包むのに使ってくれ。見たところ、手荷物には収まらないだろう?」
「え……ああ、そうね。ありがとう」
久しぶりに奏でた異国の古謡は通しの緊張感が心地よく、にわかに忘我の境地でもあった。現実的な指摘を受け、サフィークは頭を振る。
青年はうれしそうに目を細めた。
「いい声だった。できれば一晩中聴きたいくらい」
「あら」
「アルダッシム、お前、それ……素で言ってんだな? 何てこった」
傍らで腕を組み、複雑な顔をした大男が呻く。
サフィークは体を二つ折りにし、きゃらきゃらと笑った。
「あははっ! いいわよ。お店の迷惑にならなきゃね。もう一曲いく?」
「もちろんだとも」
青年は頷き、まっとうな朴念仁よろしく、真っ直ぐなまなざしで笑う。
それがさらに可笑しくて、サフィークは乞われるままに難曲をふたつみっつ、上機嫌で歌った。
❇
「そう。あなた、『赫の旅団』の傭兵さんだったの」
「ああ。ここの領主から、くれぐれも宿舎から出るなとお達しがあって。すまない。……その、上司が自由すぎて」
「ふふっ。ぱっとしない変装までして遊びに出たってこと?」
「できれば内密に頼む」
「いいわよ」
とっぷり日の暮れた街は、すっかり夜の顔。
火入れされた街灯の照らす石畳の道を、ちぐはぐな印象の男女が歩く。
辺りはひとも少なく、繁華街の気配が遠のくと茂みから虫の音が聞こえた。
結局、銀髪の美人吟遊詩人は一晩で三日分の収益を得たからと、閉店前に商売を切り上げた。
見るからに女の一人旅。そのうえ両手に唸るほどのコインを抱えているとあれば、夜道で強盗のたぐいに襲われかねない。
心配したアルダッシムに、参謀のライナスは「送ってやれ」と助言をくれた。
朝には帰れよ、という余計なひと言に苦笑いで応えるアルダッシムに、吟遊詩人はこれまた鈴を振るような笑い声を響かせて。
女吟遊詩人――サフィークは宿までの道すがら、気さくにアルダッシムに話しかけた。
「若いよね。いくつ?」
「十七だ」
「戦場は長いの?」
「二年」
「そう。ずいぶん渋い選曲だったわね。どうして?」
はっきりとした物言いに、アルダッシムが困ったように笑う。それから、油断なく周囲に注意を払いつつ答えた。
「学者の家に生まれたんだ。祖父も父もアラッガ王に仕えた。幼いときは、城に連れて行ってくれて……。宮廷には流れの吟遊詩人がいた。祖父は、よく異国のバラッドを頼んでいた。当時はどれも実在する国と知らなくて。とくに、ロータスはどの古謡も綺麗だった」
「! そう、そうなの! ロータスは別格よね! あのね、ロータス語もうつくしいのよ。昼間は原語で歌っていたの。独特の言い回しと韻が難しくて、練習しないとすぐ舌が忘れるから」
「ああ! だから、歌詞がわからなかったのか。なるほど、ためになった。礼を言う、サフィーク」
「うふふ、どういたしまして」
揺れる羽飾り。銀の巻き毛。ほぼ男装に近いすっきりとした出で立ちの女吟遊詩人は、得意そうに頬を上気させた。
気づくと街の宿泊施設が建ち並ぶ界隈に来ていた。
サフィークの足が、そのうちの一軒で止まる。
石組みの塀があり、入り口前には実直そうな用心棒が、ふたり立っている。
治安の良さそうな宿構えに安心し、「じゃあ」と、踵を返そうとしたアルダッシムの服の裾を、サフィークはつまんだ。
「あの」
「ん?」
「……お礼。お茶くらい出すわ。部屋に来ない?」
「…………!? あ、あぁ」
アルダッシムは、思わず声を裏返させた。
サフィークの艶めく流し目と囁きに、不覚にも顔を赤くさせて。
――――大丈夫。上司さんの言いつけ通りの門限に間に合うわ、と。
その声に惹かれた。
翌朝。
『赫の旅団』の傭兵たちは早速本拠地に帰ることになった。点呼の際、問題なく帰ってきていたアルダッシムの微妙に晴れやかな様子に、参謀のライナスがこそこそと馬を横並びに寄せる。
「どうだった? 楽しかっただろ。外遊びは」
「……歌は最高でした。いい出会いもありましたし」
「だろ〜、そうだろう。良かったな!」
バンバンと遠慮なく背を叩かれ、後ろからは早く行けとせっつかれる。
雰囲気はそっけなく、乱暴だがあたたかい。団員たちはほぼ年上ばかり。皆、なんだかんだ言って若年のアルダッシムを気にかけてくれる。
歩きながら、ライナスは、ぽん、と若輩小隊長の肩を叩いた。
「まぁ聞け。オレたちは、戦場が仕事場だ。だから、それ以外はお天道さんに恥じねえ程度に羽を伸ばしたっていいんだよ。……期待してっぞ若造」
「期待を軽く上回ってやります」
「こいつめ」
ニカッと笑ったライナスは、覚えてるからな! と捨て台詞を残して先頭隊へと駆けていった。
ふたたび平穏な行軍に戻ったアルダッシムは、ふうと息を吐く。
――昨夜は、なりゆきで自分の実家が政争に巻き込まれて取り潰されたこと。彼女の出身もアラッガであることを互いに話した。
見送ってあげる、と、部屋の扉の外まで出てくれた彼女とは、いくつかの約束をした。
ひとつ、この先もどこかの街で会えたら、必ず歌を買うこと。彼女が愛してやまない、一癖も二癖もある難曲を乞うこと。
ふたつ、生き延びること。強くなること。
そして、縁あれば。
「……天下一品の意地っ張りだし。素直じゃないし、危なっかしいし……なんであんな女に惚れたんだろう」
「アルダッシムー? なんか言ったか」
「何でもない」
耳ざとい後続の同僚に聞き咎められ、アルダッシムは即座に誤魔化した。そうして耳を澄ませる。
〜〜〜〜、〜〜♪
「お、夜明けの歌か。ベレスはさすがに辺境まで風流だ」
「……そうだな」
乾いた風に乗り、雲一つない蒼穹を彼女の声が彩る。高く低くおごそかに、歌人そのものの声と楽の音に。目を細める。
胸に残る切なさに左の拳を当て、アルダッシムは、ひそかに誓った。馬上で空越しに彼女の瞳の色を想い、いちどだけ振り向く。
昨夜の、夢のようなひとときを思い出して。
(必ず。また、どこかで)
❇
――……もし、あなたがちゃんと長生きして、五体満足で栄誉の引退を飾れたら、私が歌にしてあげる。
――……結婚? そうね、私も、そのころには自由になれるかしら。
――……そうね、約束……。
fin.
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