近づく距離
初デートを経て湊斗さんとの距離は徐々に縮まってきていた(と私は感じている)。
湊斗さんは忙しい人なので、毎週会うことはできないけれど、毎日欠かさず業務日誌のようなメッセージをくれた。
『〇〇時出勤 午前は外来 〇〇時〜会議 夕方に△製薬会社の方来院・対応 〇〇時退勤』
それに見ましたスタンプを送りその後二言三言交わすのが最近の私たちのやりとりだ。
今日もいつもの見ましたスタンプを送って、学校の先生のように一言添えた。
『本日もお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。お時間あるときに、おいしいお茶でも飲みにいきましょう』
派手ではないけれど、こういう何でもないことの積み重ねが嬉しかった。
・・・
その電話が鳴ったのは、小腹が空いてきた16時頃。明るいくもり空の下、せっせと庭掃除に励んでいたときだった。
首からかけたタオルで汗を拭きながらポケットのスマホを手に取り、相手を確認する。
「湊斗さん?」
え?なんだろう??
嬉しいよりも戸惑いながら、スマホを耳に当てた。
「はい、夏目です」
『…………………………』
電話の向こうは無音だ。
「?もしもーし??間違い電話かな??」
きっと、誤操作だろう。あの湊斗さんのスマホでもそんなことあるんだ、と面白く思いながら「電波悪いみたいなんで一旦切りますね〜」と切ろうとした瞬間、
『あ、すみません、私です。鈴木です』
慌てたように、甘いアルトの声が聞こえてきた。
突然のことに思わずスマホを落としそうになった。
「み、湊斗さん!」
『失礼いたしました、かけておいてなんですが、まさかとっていただけると思わなくて』
「いえいいんです耳元でイケボが聞けて最高です……じゃなくて。どうされたんですか?」
努めて落ち着いた声を出した。
『…………いえ、その、特に用事があるわけではないのですが、最近メッセージのやりとりだけでしたのでどうされているかなと思ってお電話差し上げた次第で』
少し早口の湊斗さん。困ったような表情をしているのが電話越しでも伝わってきて自然と口角が上がった。
「あはは!ご機嫌伺いというわけですね?」
なぜ私はこんな言い方しかできないのかーーーー。
からかうような声音とは裏腹に、柔らかな土の上に膝から崩れ落ちた。おちょくられていると気を悪くしたかもしれない。
案の定湊斗さんは黙り込んでしまった。
「『……………………………………………………』」
いたたまれない沈黙が続き、電話を切るタイミングすら逃してしまった。何か話題を、と焦るばかりで喉がどんどん渇いてくる。きょ、今日の株価の話をする?あぁ、それとも企業短信の話がいい??
『……急なお誘いで申し訳ないのですが』
湊斗さんが静かに言った。
『本日、一緒にお食事でもいかがですか』
お食事でもいかがですか
お食事でもいかがですか
お食事でも
いかがですか ーーーー
「いいですね。ぜひ」
軽い女と思われないため直前のお誘いは断りましょう、なんてアドバイスはくそくらえ。
大人の付き合いははっきり、わかりやすく!駆け引きなど無用である!
私の意気込みが伝わったのか、湊斗さんが微笑んだのがわかった。
『何か召しあがりたいものはありますか』
「特にないです。湊斗さんがお好きなもので」
『うーー……ん、それでは、私がよく行く和食のお店でいいでしょうか』
え?それって、逆に…………いいの?か??
「勿論です。お会いできると思っていなかったので、嬉しいです。何時頃向かえばいいですか?」
『あ、いえ、芹香さん、ご自宅まで迎えに参りますので……』
「あはは!お気になさらず。お仕事終わってこちらに来てまた向かって、というのは大変ですので」
『……でも……』
「いいんですって!湊斗さんを疲れさせたくないので!」
あくまで気の進まない様子の湊斗さんを強引に押し切り、現地集合にしてもらった。こういうところ、私ってほんと可愛げがないんだろうな。男のメンツを潰してしまっただろうか。
『それでは、後ほど』
しゅんとした心はけれども湊斗さんの優しい声で治癒された。
電話を慎重に切り、薔薇色に染まった空を見上げて気合いを入れた。
「っしゃーーーー!!まずは風呂だ!!!!」
汗の滴が、背中をつたった。
・・・
からからから……
引き戸を引くと、中に控えていた下足番の方と目が合った。
「いらっしゃいませ。ご予約の……」
「あぁ、えと、鈴木で入ってるかと思いますが」
「かしこまりました。ご案内いたします」
案内係の方に連れられ、長い廊下をしずしずと進む。そこかしこから宴の楽しそうな声や優美な箏の音が漏れ聞こえ、こういう所によく来るのか〜と妙に感心していた。
奥の個室のような障子の前に案内係の方が膝をついたので、お茶のお稽古のときのようにわたしもそれに倣った。
「失礼いたします。お見えになりました」
「はい。どうぞ」
湊斗さんの低い声がよく響いた。
案内係の方と挨拶し、席に着く。
「芹香さん。お久しぶりです。急にお誘いして申し訳ありませんでした」
「いいえ、お電話いただけて嬉しかったです」
久しぶりに会った湊斗さんは今日も相変わらずイケメンだった。
美形ゆえに真顔で黙っていたら怖いけれど、今のように優しく微笑んでいてくれたら見ているこっちは悶絶ものだ。
これで頭もいいのだから神は二物を与えたのだなぁとしみじみとした。
「お食事はコースにしてしまいましたが、よろしいですか?」
「はい。お手数おかけしました。ありがとうございます。いつもお仕事お疲れ様です」
ぺこっと頭を下げると、湊斗さんの顔が少し赤くなり、横を向いた。
「?」
「……いえ、この間と随分雰囲気が違うので……」
そう言われ自分の格好を思い返してみる。
毛先を緩く巻いたハーフアップ、淡い色のトップス。丁寧なスキンケアを続けていたおかげか、化粧ノリもよかった。
おぉ、こういうのが好きなのか!
「湊斗さんと会えると思ったら気合い入ってしまいました」
本心を伝えると、湊斗さんが片手で顔を覆って横を向いた。
「…………………………言おう」
「え?」
聞き返したそのときに丁度食事が運ばれ、別の話題へ話が向いた。
仕事の話、家族の話、学生時代の話……。
様々なことを話しながら、和やかに時が過ぎていった。
「へ〜湊斗さん弓道部だったんですか!イメージぴったり〜!」
「そうでしょうか」
「そうですよ〜。あの、矢を放つ前の構え?かっこいいですよね〜」
「……?多分『会』のことをおっしゃっているのでしょうか……?止まっているように見えるかもしれませんが、結構コツがいるんですよ」
「そうなんですか!へ〜!」 ……。
・・・
「ごちそうさまでした。本日のお代です。お納めください」
「受け取れません。私がお誘いしたのですから、ご馳走するのは当たり前です」
「出したものは引っ込められませんし、そんなこと言われたら今後やりにくくなりますから……!」
送ってくださる帰りの車の中。2人、封筒を押しつけあっていた。
そのどさくさに紛れて触れる湊斗さんの指先が心地よいとか思ってる私はキモいという自覚はある。
「……わかりました、こうしましょう」
湊斗さんがまたアームレストの小物入れをぱかっと開けた。そこには封筒がこの間と同じように入っていた。
「次の機会の、お茶代に」
「……いつになることやら……」
「あはは!」
楽しそうな笑い声が響いた。小物入れが宝箱のように閉じた。
そして湊斗さんがゆっくり真顔になり、私の手を取った。
「……えっと?」
「芹香さん」
急展開に頭が追いつかない私に構わず、湊斗さんが言った。指先から体温が伝わってくる。
「私のこと、どう思っていらっしゃいますか」
「どうって……」
イケメンで優しくて、気が合いそうだなー嬉しいなー!って思っています。
「素敵な方だなぁと思っています」
「それはどういった意味合いでしょうか」
詰問するような言い方に思わず無言になってしまう。それに気付いた湊斗さんがハッとして言った。
「すみません、また会議で言うような言い方を。お許しください」
「あぁ、いえ、お気になさらず……」
会議中の湊斗さんはまじでこえーな。
苦笑いしながら両手をパタパタと振った。
「すみません、つまり何が言いたいかと言うと」
「はい」
「私と、ちゃんとお付き合いして頂けないでしょうか」
それを言うと、照れくさかったのか真っ赤になって俯いてしまった。
……かくいう私の顔も真っ赤だ。
「あぁ、えと、そうですね、喜んで」
「本当ですか!?」
がばっと顔を上げ、みるみるうちに破顔した。
「本当に、いいんですか?」
「はい。むしろ私でいいのですか正気ですかと確認したいですが」
ムードを台無しにする私の減らず口に湊斗さんが優しく笑った。
「正気も正気です。必要だったら公正証書も作成します」
「それはまた大げさな!」
湊斗さんの冗談に思わず吹き出してしまう。あはは、真面目なジョークって好きだぞ。
くすくす笑い続ける私に微笑みながら、湊斗さんが言った。
「えと、ではよろしくお願いします。あ、ご両親にもご挨拶させていただきたいのですが……」
「大丈夫大丈夫、親のことは気にせず好きにしろって言われてるから」
見合いという出会い方だったので、返事とか結婚とかそこんとこちゃんとした方がいいのかな〜と思い父に確認したところ、上記の答えだったのだ。
『見合いというか、コンパみたいな感じだったな。お父ちゃん青春時代に戻った気がしたわい』
「私も湊斗さんのご両親にご挨拶したいのですが……」
「あはは、うちも大丈夫です。お見合いの手順を踏んだ方がいいのか確認したところ『そんなにかたくならなくてよい。自由にやれ』と申しておりましたので」
「そうでしたか」
「はい」
2人、笑いあった。
まったく、いい大人同士で何やってんだか。
でもまぁ、久々の恋なのでどうか見逃してほしい。いくつになっても、好きな人ができるってこうも幸せなものなのかと知った。
つないだ手の温もりがとても心地よかった。