想い
あくる日雪丸は無事退院。嵐は去っていった。
病室を出る際見送りに来た湊斗さんと少し話をしたらしい。
『芹香に、悪かったって伝えてほしい』
『……はい』
『芹香のこと、よろしく頼むな。──僕、頑張るから。見ておいて。会社が持ち直したらまた食事でもしよう』
湊斗さんの肩を叩き、『あばよっ』と笑いながら退院していったそうだ。
「もう……なんか……何と言うか……いや、お前がそれ言うんかい、みたいな……」
「ははは、雪丸さんらしいです。周りも笑っていました。彼はもう大丈夫ですよ」
「はぁ……」
「ふふふ」
湊斗さんが柔らかく微笑んだ。
まるで蕾が花開く瞬間のようだ、といつも思う。
それからは、穏やかな日々が過ぎた。
『ありのままの私を受け入れて』というのは厚かましい考えだと思っていたけれど、笑って受け止めてくれて、いつも優しく寄り添ってくれる湊斗さんという存在ができて以来、私の心は驚くほど満たされていた。
表情にもそれが出ているらしく、周りの人たちから『なんか顔つきが優しくなった』だの『角が取れた』だの言われたりする(なんだよ角って)。
湊斗さんもそれは同じらしい。『今だったら何をしてもお咎めなしじゃないか』なんて囁かれているそうだ。
2人して笑ってしまった。
そうして一緒に買い物に行ったり、湊斗さんの弓道の練習に付き合ったりはたまた湊斗さんが茶道の体験に来てみたり。
あたたかな部屋で膝枕をしながらただ湊斗さんの髪を撫でていた日もあった。
やがて1年が過ぎ、街にクリスマスやお正月の装飾が施される頃、私は一大決心をしていた。
「…………これでよし、と」
今日はクリスマス・イヴ。『特別にどこか行くというより、家でゆっくりしたいです』という湊斗さんのリクエストに応えて朝から準備を頑張った。
無宗教の私たちが浮かれていることに神様から怒られてしまいそうだけれど、今日は特別な日にしたいのでどうか気を悪くしないでほしい。むしろ、お力をお借りしたい。
神頼みしているのにはわけがあった。
(プロポーズしよう。職も安定してきたし、贅沢はさせてやれないけど、なんとかなるだろ)
胸に手を当て、深呼吸する。
そう、私は今日湊斗さんに結婚を申し込もうとしているのである!
そのためにこの1年、少しずつ足場を固めてきた。
今までを振り返りじーんとしているところに、しかし急に不安が襲ってきた。
湊斗さんはどう思うだろうか?もしかして今のままでいいと思ってる?
断られて気まずくなって、この関係を解消することになったらどうしよう。
プロポーズを受け入れてくれたとしても、もし、また、
離婚することになったら?
考えれば考えるほど思考の迷路にはまり、やっぱりやめようかな、という気になってきた。
(無謀かな……。ていうかずっと一緒にいたい、というのが結婚を希望する理由だったら今現在それはもう叶っているわけで、そこにわざわざ法が介入する意味もないんじゃ……)
堂々巡りに、頭を抱えてうわぁぁぁとなっているところに、タイミングよく玄関のチャイムが鳴った。湊斗さんだ。
出迎えに行くと、真っ赤な薔薇の花束が私を待っていた。
「わ、どうしたのこれ」
「今日はクリスマス・イヴですので予約していました。プレゼントです」
「嬉しい。ありがとう」
「芹香さんが欲しいものを言ってくれないので花にしてみました。ありがちなので、少し恥ずかしいですが」
「そんなことないって!」
苦笑いする湊斗さんに笑って言うと、ほっとした様子になった。部屋に移動し、私の方もプレゼントのマフラーを渡すと、とても嬉しそうにしていた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、ありがちですが」
「そんなことないです」
そのまま食事をし、ケーキを食べ、ソファでリラックスしながらとりとめのない会話をした。
「斗真くん、プレゼントすごかったんじゃない?」
「あはは、あれは病院の風物詩ですから。今年もリヤカーをひいてましたよ」
「あはは!」
ありがとね~はーいこれは俺から~、なんて言っている斗真くんが目に浮かび、思わず笑ってしまう。
場の雰囲気がいい感じになごんだところで、今日の本題を切り出そうと湊斗さんの横に正座した。
「?どうしました?」
「…………………………うん」
「??はい」
なんということでしょう。
あんなに練習したセリフも、本人を目の前にすると一向に出てこないのです!
(勇気を出せ私────!まずは一言!!一言出れば何とかなる!!!!)
「み、みみみ湊斗さん」
出た!
「あの、折り入ってお話がありまして」
後は言うのみ!
「私と」
そこまで言うと、まさかのストップがかかった。
「すみません」
湊斗さんの焦ったような表情。
え?もうこれ以上は言ってくれるなってこと??
悪い予想に目頭が熱くなった。
「俺に言わせてください」
そう言うと湊斗さんが私の手をとった。
「芹香さんとずっと一緒にいたいんです。けど過去の離婚が頭をチラついて、芹香さんともそうなったら嫌だなって、怖かったんです」
「でも、あなたと夫婦になりたいと思うんです。紙一枚のことですが、俺にとっては心の支えになります。だから、その、芹香さんさえよかったら」
「結婚してくれませんか」
────湊斗さんらしい、穏やかな言葉だった。
意味を理解すると、ポロポロと涙がこぼれ始めた。
湊斗さんが涙をぬぐってくれ、自分のポケットをごそごそして何かを取り出した。
指輪だった。
「手、貸してください。……うん、よかった。ぴったりですね」
自分の指に光るリングに、ますます泣けてきた。
「これ……」
「あ、すみません、まだお返事を聞いていませんでした」
慌てる湊斗さん。
その胸に飛び込んで、気持ちを伝えた。
「私の方こそ、結婚して!一生大事にするから!お願いします!!」
年甲斐もなくわぁぁぁんと泣く私を、湊斗さんは優しく抱きしめてくれた。
ふたりで選んだ柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐる。
そっと唇が重なった。
抱きしめ合ったまま、ふと窓を見た湊斗さんが言った。
「あ、雪です」
「ほんとだ!ロマンティックー!」
窓の方に寄り、きれいな夜景とはらはら舞う雪を眺めた。
あの、それぞれが宝石のような光の中に、クリスマスのテレビ特番を観ている両親、病院で一生懸命働く斗真くん、数字と睨めっこしているであろう雪丸を見た気がした。
「きれいですね」
「ね、ほんとに」
腕に手を絡めると、嬉しそうに笑い頭をコテンと預けてきた。
「これからよろしくお願いします」
「私の方こそ、至らぬところも多々ありますが……」
「あぁ、いえ、俺の方こそ……」
ふたりの笑い声が響く。
出会ってからこれまでのことが頭をよぎった。
うまくいかない時もあったけれど、なんとか乗り越えてこれた。
どうか、これからの日々が穏やかなものでありますように。なるべく笑って過ごせますように。
祈るような気持ちで外を眺めた。
きらきら光る宝石たちが、後押ししてくれるかのように煌めいていた。




