見合いの日(前編)
エステに行ったり、美容室でトリートメントをしたりして過ごしているうちに、とうとう見合いの日がやってきた。車に乗り、会場へ向かう。
「芹香、着物じゃなくてよかったのか?」
バックミラーごしに、父が心配そうに尋ねてきた。
「あはは、バツイチが振袖なんて着ていったらギャグでしょ」
茶化すような私の言い方を、母が嗜めた。
「芹香ちゃん、そんな言い方はおよしなさい。勿論知ってのことだと思うけど、振袖だけがお着物じゃないのよ?お父様はそこをおっしゃってるの」
「あーはいはい、なんか上品な色の訪問着かけてあったね。準備してくれてたのに着なくてごめんねー」
ま、今度の初釜のとき着るわと続けると、母が困ったように眉を下げた。
「……まぁ、そのワンピースも似合っているから大丈夫よ。……多分」
着慣れているのが1番よね……と半ば諦めのため息をつかれた私の服装は、友人たちの結婚式に出席するために散々着倒した黒のワンピース。
いい感じにくたっとなってくれて、長時間着ていても疲れないのだ。それに真珠のネックレスを合わせると中々こなれた感じに見えると思う。ーーーー『こなれた』という要素がお見合いに必要かどうかは別として。
車内に少々不穏な空気が流れたが、それを吹き飛ばすように母が明るい声で言った。
「なんだか緊張してきたわね。私、院長夫人とうまくお話できるかしら。どんな方なのかしらね」
「なんかピアノの先生やってんでしょ?大丈夫大丈夫、お母様おハイソだからきっと気が合うって」
「そうかしら。話に詰まったら芹香ちゃん助けてちょうだいね」
「母さん、芹香の助け舟なんて泥舟だ。あまり期待するなよ」
「じゃあお父様が何かおもしろい話をしてくださるのを期待してますー」
父が眉をしかめたのが見えた。
「……どうしてこんな子になっちまったかなぁ……」
「蛙の子は蛙でしょ」
「………………はぁ………………」
わざとらしく大きくため息をつく父のシートに飛びつくようにして、話しかけた。
「ね、今日の会場は◯×ホテルの◇◇でしょ?あそこのコース料理、食べてみたかったんだよね〜!ナイスセレクト」
「……頼もしい食欲だよ、お前は」
ぽんぽん、と頭を撫でられ「だが座ってシートベルトをしろ」と言われた。
さらさらさら…… とんっ
軽快な鹿おどしが、端正に調えられた和室に響く。その音に耳を澄ませる。
これを美しいと思う心が、古来より脈々と受け継がれてきた日本人の遺伝子なのだろうと思う。
ふと、蝉の話を思い出した。
学生時代、国語教師がどこか誇らしげに語っていた話。
『この俳句を読んで、外国人は驚いたわけです。蝉の声を静かさや、と表現する日本人って!と ーーーー』
「本当に、申し訳ありません。今こちらに向かっているとのことですので……」
「ああ、いえいえ、お気になさらず。医師としてだけでなく経営の方もされているのでしたらそれはお忙しいかと思いますので……」
母同士がぺこぺこと頭を下げあっている。その横で父同士は早くも酒を酌み交わし、上機嫌で今朝の円相場を語っていた。
ーーーー お相手が、もう30分ほど遅刻している。
和室ではあるが机と椅子が用意されていたので足が痺れることはないが、やはり待ち長いものだった。
お相手のお母様が私を見て「ごめんなさいね」と頭を下げてくれた。私のような若輩者にも頭を下げるなんて、なんという人格者なのだ。
慌てて立ち上がり、母のようにぺこぺこ頭を下げる。
「本当に、お気遣いなく。おかげで ーーと言ったら失礼ですが、この素敵なお部屋もゆっくり拝見できております」
季節の花が飾られ、磨き込まれたテーブルは鏡がわりになりそうだ。花びらが浮くお茶もとてもおいしい。丁寧に用意されたことが伝わってくるあたたかいお席だった。
「そう言ってくださると嬉しいわ。お部屋係の方と、ずいぶん相談したの。芹香さんがお茶をされてるって伺ったものだから。少し学んでみたのだけれど、奥が深いわねぇ」
びっくりしちゃった、とまるで少女のように言う様子がかわいらしかった。
「恐れ入ります」
「奥様もピアノの先生をされてると伺っております」
母が話をお相手のお母様に向けてくれた。いいぞいいぞ。話題の中心は移り変わらねば。
「あらやだ、そんなに立派なものじゃないですのよ。生徒さんは40人くらいの小さなお教室で」
「えっ、そんなにたくさんの生徒さんをお一人で!?」
「えぇ。小さい子達から大人の方までいらっしゃいますよ。最近は『ピアノをやってみたかったの』とおっしゃる大人の方が体験に来てくださることも多くて……」
商売繁盛何よりです!と言いそうになり下唇を噛んだ。セーフ。
「奥様のお人柄でしょうね、きっと」
「いえいえ、そんな……。生徒さんに助けられてますよ。あとこどもたちにも。……あ、噂をすれば」
外の方で何やらガタガタと音がし、お相手のお母様が障子の方を見やった。お部屋係の人が「失礼いたします、お着きになりました」といい、障子を開ける。
「遅れて申し訳ありません」
そう言いながら入ってきた男性は。
端正で、かつ精悍なお顔。体格の良い体つき。仕立ての良いスーツを嫌味なく着こなしている。
年齢は私の3つ上と聞いているが、とうていそうは思えない威厳?を感じさせる方だ。
思わず息を呑んだ。低い声が鼓膜を揺らした。
「鈴木湊斗と申します。本日はお時間をとっていただきありがとうございます。時間に遅れたこと、お許しください」
礼儀正しく深々と頭を下げた。
「あーいーのいーの!もう勝手にはじめちゃってるからー」
「そーそー!さっ、はやくみんなたべよー!」
既にご機嫌な父2人に、皆が顔を見合わせて笑った。湊斗さんって笑うんだ、と初対面なのに変なことを考えてしまった。
食事がはじまる。
酔っている父達は放っておき、主に私たち4人で話をしていた。といってもメインは母親同士の会話で、私は小鳥のさえずりのようなそれらをききながら、おいしいお料理に舌鼓を打っていた。
(うまうま……。は〜〜幸せ〜〜。イケメン見ながらうまい飯食うってのは最高の贅沢だな!)
私の前に座る湊斗さんを見ながら、思う。
(箸の持ち方も、食べ方もなんてきれいなんだ……。マナー本を見ているようだ)
グラスが空いているのに気づいた。
「湊斗さん、何か飲まれますか?」
「え?」
驚かれ、こっちが驚いてしまった。うん?今の何かまずかったかしら??
「あ、いえ、グラスが空いていたので。何か飲まれるのでしたらご一緒にと思ったのですが……」
飲み物のメニューを手に取る。おっ、私はこの季節の果物を使ったおしゃれなやつにするわ。
「どうされます?」
「湊斗、芹香さんは走ってきたあなたの喉が渇いてないか、心配してくださってるのよ」
お母様が慌てたように言った。
「あ、ああ、失礼しました。そういうことでしたか。では私はこの季節の果物を使ったものを」
「あら、私も同じものを頼もうとしていました」
お部屋係の方が覚えやすいですねぇ、と言うと湊斗さんも「そうですね」と返してくれた。
こんな、偉大なる将軍様のような威厳ある方と会話のキャッチボールができて、なんだか無性に感激した。
安全ヘルメットをかぶって枝でつんつん、とついてみたものが危険ではない、とわかった瞬間のように心に小さな安堵と喜びが生まれ。湊斗さんのことをもっと知りたいという思いが一気に芽吹いた。