掴めない人
明るいくもり空の下、車を慎重にバックさせながら白線内に停めた。
うん、いい感じ。
前後左右どこに偏るわけでもなくぴたっと停められたことににんまりしながらドアを開け、書き物道具と飲み物を手にとる。
「わーー大きいな~~!」
車を停めた場所・駐車場の1番端っこから振り返ってみれば、鈴木病院の全景が視界に収まった。
近代的な印象の清潔な建物。
2つある棟の片方にはヘリポートらしきものが見える。
ぼうっと眺めていると、救急車のサイレンが近づいてきて一階のところで停まった。音が消え、救急隊員の方や病院の職員さん達が出てくるのが見えた。
普段接することのない緊迫した世界に息を呑んだ。
(湊斗さん、こういう世界に身を置いてるんだ……。すごいな、私には無理そう)
スキあらばすぐに甘えてくる彼を思い出す。もう、とふり払うこともあったが、これからはもうちょっと優しくしようと思った。
13時半ぴったりに、以前伺った副院長室についた。
そっと覗き込んだ私に気付いた加賀山さんがメガネをあげて、立ち上がった。
「お待ちしていました。…………ずいぶん息があがっていますが、ジョギングでもしてきたのですか?」
ぜぇぜぇはぁはぁと肩で息をする私に呆れたように、加賀山さんが言った。
そんな彼は、この間と同じきれいに整えられたオールバックの髪、細いフレームのメガネ、きちんとアイロンをかけたシャツに身を包み、実に涼しげだ。
「……いえ……エレベーターは……お客さじゃない、患者さんのためのものじゃないですか……。だから階段で来たんですけど……結構きつくて……」
たった5階分の階段にここまではぁはぁいうなんて、自分でも意外だった。持ち物が多かったせいだろうか。そうだ、そうに違いない。
膝に手をやり「あーーーー」となっている私に構わず加賀山さんの声が響いた。
「……早速ですが、会議室にご案内します。そちらに用紙や例文をご用意していますので」
「…………あらそんな……ありがとうございます。逆にお手間を増やしてしまいましたね……すみません……」
「いえ」
さっさと会話を終わらせてしまいたいのか、加賀山さんが会議室の方へ向かい始めたのであわてて続いた。
広大な院内を歩き回るかと思いきや、同じフロアの片隅に「第5会議室」と札がついた小規模の部屋があり、そこに通された。
よく見る会議用の長机とパイプ椅子がコの字に並べてあり、どこの組織も一緒だな、と少し笑ってしまった。
「こちらへどうぞ。椅子の座り心地と高さはいかがですか」
「あ、はい、大丈夫です。丁度いい感じで」
「よかったです。こちらが用紙と例文です。頂いたものリストはこちらに印刷していますので、それと照らし合わせながらご自由にお書きください」
「わかりました。一枚書いてみますので、出来上がったら確認していただけませんか?」
「……はい。秘書室におりますのでお声がけください」
不機嫌そうに眉をしかめ、舌打ちでもしそうな勢い。
おい、私何かしたか?
なんでそんなに怒ってんだよ。
心中穏やかではないが、にこやかに微笑んで「よろしくお願いします」とお辞儀をした。
顔を上げたときには加賀山さんはもう会議室を出ていくところだった。
・・・
「できた……!」
あーでもないこーでもない、あっちょっと斜めになっちゃった書き直し…なんてことをやっていたら、1枚を書き終えるのに1時間近くかかってしまった。
出来上がったものを持って、秘書室に向かう。
電話対応をしていたので廊下で待ち、終わったタイミングで声をかけた。
「加賀山さん。遅くなり申し訳ありません。こんな感じでいかがでしょうか」
めんどくさそうに片手で受け取り、メガネを整えた。目線が上から下へ移動しているのを見るととても緊張した。
(書き直しって言われたらどうしよー!いきなり書かないで、メモか何かで『こんな文面でいいですか』って聞けばよかった……)
最悪のパターンを想像していたが、加賀山さんからは予想外のオッケーが出た。
「結構です。このようにお進めください」
「え!?ほんとにいいんですか?」
「……はい。思っていたよりましな字を書いてきたので驚いているところです」
「え?」
「なんでもありません」
悪口が聞こえた気がしたが、追及することはしないでおく。私が何か騒ぎを起こしたら、それは湊斗さんの評判にも関わるから。
少々びきびきしているこめかみをおさえ、副院長室を後にした。
結局その日は4枚ほどしか終わらなかった。
……焦ると間違うので、1枚1枚落ち着いて書こうと思う。




