サムライsamourai
『湊斗先生、斗真先生がお見えです』
「……すまない、今作業中だから後で電話すると伝えてくれ」
『かしこまりました』
内線をぷつっと切り、回転椅子を回して窓の方を向いた。
ブラインドを開けると、しとしとと降る雨が外を濡らしていた。
軽くため息をつき、ぼんやりと外を眺める。
窓ガラスにうつった自分は、ひどく疲れた顔をしていた。
あれからどのくらいの日が経過したのか、正確にはわからない。ただ、ずいぶん長い間斗真にも、そして芹香さんにも会っていない気がした。
斗真の訪問を断ったのはもう何回目だろうか。
芹香さんからの電話やメッセージにも、ありきたりの返事を返すのみだ。呆れられたのか、最近はめっきり数も減ってしまっていた。
これではいけない、と思いつつも、思考がうまく働かない。大量の仕事に忙殺されることで、目を背けていた。
ーーーー自分が情けない。
髪をぐしゃぐしゃとしながら遠くを眺めた。
秒針が進むカチカチという音が響く。
雨は、降り続いている。
・・・
本日の仕事に目処をつけ、帰り支度を始めた。時計は21時を少しまわったところだった。
ふとスマホを見ると、芹香さんから着信が入っていることに気づいた。
「…………………………」
どうしよう、かけ直そうか。けれど何を話せば?
しばらくスマホの画面を眺めていたけれど、折り返す勇気が出ずポケットにしまおうとしたとき、ふと違和感に気付いた。
メッセージが来ていなかった。
着信を残したら何の用事だったのかのメッセージを必ず送ってくれていた芹香さん。それが、今日は来ていなかったのだ。
「ーーーーーー」
常とは違う事態に、血の気が引いた。嫌な予感がする。
急いで電話をかけるが、呼び出し音が虚しく響くだけだ。
「ーー芹香、さん」
スマホの位置情報システムの存在を思い出し(あぁ、天啓!)、震える手でアイコンをタップした。
示されたのは2人のマンションの住所。
いてもたってもいられず、副院長室を飛び出した。
誰もいない静かな廊下に俺が走る音が騒々しく響いた。
・・・
いつもはバックできっちり白線内に停める車も、今日は頭から乱暴に突っ込んだ。
エレベーターのボタンを連打し、乗り込む。ゆっくりと閉まるドアがもどかしい。
目的階に着くやいなやエレベーターを飛び出し、部屋へ走った。がちゃがちゃとドアを開け、まるで悲鳴のように叫んだ。
「芹香さん!!」
俺の声だけが反響した。はぁはぁ、という呼吸音がうるさい。
リビングの電気はついておらず、芹香さんの部屋の明かりがついていた。
「芹香さん」
覚悟を決めて部屋をのぞいてみたが、そこに芹香さんはおらず ーー本棚にあったはずの本たちが段ボールにつめられていた。
まるで引越しをするかのような様子に、ドクン、と鼓動が早くなる。
え?これは一体どういうことだ?
芹香さん?
困惑してただ立ち尽くしていた俺の背に、優しい声が聞こえた。
「……湊斗さん?」
今1番聞きたかった声だった。
振り返ると、芹香さんが目を丸くして俺を見ていた。
「あれ?え?どうしたんですか?」
「芹香さんこそ、どうしたんですか。なんなんですか、これは」
そう言いながら段ボールに詰められた本たちを指す。
「何、と言われても……。いや、えと、に、荷造り……的な?」
「…………!」
目線が怖かったのかもしれない。芹香さんが肩をすくめ早口で言った。
「ガムテープがなくて買いに行ってたの電気消すの忘れてたけどちゃんと鍵はしめてましたよ?」
「はい」
俺が怒っているように思ったのかもしれない、気まずそうに視線をそらした。
「……いや、えーと、出て行くときはちゃんと挨拶しようと思っていました。うん、鍵のこととかもちゃんと話したくて電話したんだけど出なかったから」
芹香さんは俺を見ず、明後日の方向を見ている。
「家賃は日割りにしてとか言わないから。餞別ってことでどうぞ湊斗さんのお小遣いにでも
たまらずそばに行き、芹香さんを問答無用で抱きしめた。芹香さんは身を強張らせ、俺の行動に困惑していることが手に取るようにわかった。
芹香さん。
「ーーすみません。全部。全部俺のせいなんです」
「????」
戸惑いに揺れる瞳が俺をとらえた。
頬に手をそえ、しっかり目を見て伝えた。
「芹香さんがどうこう、ではなく全部俺の弱さが原因なんです。だから、出て行くなんて言わないで、ここにいてください。お願いします」
「あなたがいなくなったら、俺は立ち直れません」
芹香さんの目が驚きで見開かれる。何度か口を開きかけ、うつむいた。
「……えっと、整理していい?」
やがて頭をかきながら照れくさそうにそう言った。
「湊斗さん、私のことが嫌になったんじゃないの?」
「違います。ありえません」
「電話もメッセージものらりくらり交わしてたのは、別れたいのサインでは」
「ないです」
きっぱりと言い切った俺に、芹香さんが困ったように笑った。
「……じゃあなんで急に私のこと避け始めたの」
「ーーーーーー!それは……その、……」
核心をついた質問に言葉につまった。
どう説明すればわかってもらえるのか。
理由を話して女々しい男だ、と笑われたりしないだろうか。
何より、誰にも言ったことのないこの思いを、うまく言葉にできるだろうか。
無様に「あの」と「えと」を繰り返す俺に何かを察したのか、芹香さんが力強く俺の肩を叩いて言った。
「うん。もう、何も言うな」
芹香さんと目が合う。力強くうなづいた。
「飲もう。付き合うぞ」
「あ、はい……」
有無を言わさぬ迫力に圧倒され、気付いた時にはそう返事をしていた。
こんなときの芹香さんは強い。促されるままリビングへ行き、ソファに座った。
芹香さんがテキパキとグラスとお酒を用意し、テーブルに置いた。
あの旅館での夜を思い出し、甘えたくなっている自分がいた。
・・・
「ーー羨ましかったんです。誰とでも仲良くなれる斗真が」
2人、グラスを傾けながら語った。
熱い液体が喉を通る。脳が心地よくしびれてくれ、今だったら思うように話せるような錯覚に陥った。
けれど、何をどこから話せばいいのか。
お酒の力を借りても内面を吐露することは俺にとっては大変難しいことで、途中、何度も言葉に詰まった。
芹香さんはせかしたりすることなく、辛抱強く俺の言葉を待ってくれた。
「すみません。勝手に落ち込んで、振り回して……」
「いいのいいの!すれ違ってたのね私たち。誤解が解けてよかった~」
芹香さんが頭をこてんと預けてきた。
「……斗真くんは確かにかっこよくて面白いけど。私の恋人は湊斗さん以外ありえない」
「そうなんですか?」
嬉しい言葉に、頬が緩んだ。
「そうそう!そこんとこちゃんとわかっててほしいな~。それに病院の人たちも、湊斗さんに斗真くんみたいになってほしいとは思ってないでしょ」
不意をつかれ、無言になってしまう。
酔っ払った芹香さんはそれには構わず話し続けた。
「湊斗さんは湊斗さん。だから、元気出して。私は湊斗さんのことが大好きなんだから」
腕にぎゅっと抱きついてきた芹香さん。髪の毛をなでると幸せそうに笑った。
しばらくそうしていると、すーすーという寝息が聞こえてきた。
愛しさが込み上げてきて、むに、と芹香さんの頬を軽くつまんだ。
「………今日は、付き合ってくださるんじゃなかったんですか?」
返事はなかったけれど、穏やかな寝顔を見ていると気持ちが癒されるのを感じた。
「………ありがとうございます」
先ほどの芹香さんの言葉を反芻しながらグラスを傾ける。
視界がにじんだ。
少し飲み過ぎたのかもしれない。