芹香さん
ピリッと張り詰めた空気。
目だけはテレビの雪を見ながら、話を続けた。
「……前の夫とは異業種交流会で出会ったんです。彼も2代目を継ぐ立場だということで、親近感が湧いたんですね」
湊斗さんは黙って聞いている。
「社交的で明るくて、私みたいなお堅い女からしたらひまわりみたいな人で。けどまぁ、いいなぁと思う気持ちはあれど、自分とは全然違う人だと思っていたので告白なんてしませんでした」
「だから、彼の方から付き合おうと言ってきたときはほんとに嬉しくて。すごく舞い上がっちゃって。で、請われるがまま結婚しちゃった……のが運の尽きでしたっていう」
冗談のように言ってみたのだが、湊斗さんは笑わなかった。やっぱり私はジョークの練習をした方がいいな。
「最初から義母と住んだんですけど、またこの方と気が合わなくて…。『女に学は必要ない』だの『気難しくて付き合いにくい』だの色々言われて」
「夫はかばってくれることもなく、いっつも義母の味方。私も最初は耐えてたんだけど、やっぱり我慢できなくなって」
肩をすくめた。
「別れました。辛抱が足りないって責めないでくださいね?」
「素晴らしい見極めだったと思います」
湊斗さんの落ち着いた低い声に妙に安心したのか、話す予定もなかったこともつい言ってしまった。
「ていうか、あいつ最初からうちの会社との繋がりと、うちの財産目当てだったの。義母とそれ話してるの偶然きいちゃってさー。まじでむかついたー」
一つタガが外れたらもう止まらない。
「あとずっと続いてる彼女もいたんですよ?もう、気付かなかった自分を殴りたい」
離婚届を取りに行ったときも、記入するときも、提出したときも、全く悲しくはなかった。ただただーー情けなかった。
見抜けなかった自分が。舞い上がっていた自分が。自分の会社のためとか言って身売りのようなことを平気でやってのけたあいつが。
『かわいそうな、頑張っている僕』。私は悪役かっての。
テレビでは北ヨーロッパの厳しい冬の季節が続いていた。あたり一面白の世界。全ての汚いものを隠したその世界はとても美しく感じた。
湊斗さんが私を強く抱きしめた。
「つらかったですね」
「……うーん、ま、少しはしんどかったかな?今となっては笑い話ですけど」
湊斗さんは無言だ。こんな三文芝居みたいな話を聞かせてなんだか申し訳なくなったが、開き直ることにした。
テレビの画面は焚き火の映像に変わった。
パチパチ……と薪が爆ぜる音もする。
揺れる炎を見ながら、それに耳をすませた。
おいしいコーヒーに昔話。話を聞いてくれた自分好みのイケメンが抱きしめていてくれる。
(……控えめに言って、最高だわ。はーー私の人生も捨てたもんじゃなかったな)
そんなことを考えながら目を閉じていると、湊斗さんが耳元にキスをしてきた。くすぐったさに振り返ると彼の誠実な瞳と目が合った。
そのまま、そっと唇が重なった。
ついばむように、優しく、優しく、何度も口づけされ、この前とは全然違う情熱的な刺激にめまいがしそうだった。
「み、湊斗さん……」
「芹香さん、すみません……」
そのままお姫様抱っこでベッドに連れていかれ、石鹸の香りがするシーツの上に静かに降ろされた。湊斗さんが私の服を脱がし始めた。
わ、わ。
何年振りだろ。できるかな?ていうか、私の体で湊斗さん気持ちよくなれるかな?
神様頼む、多少痛くても我慢すっからさ、湊斗さんを気持ちよくしてやってくれ。
「……どうしてもお嫌でしたら、やめます」
知らず知らず体が強張っていたようだ。さすが、外科医はごまかせない。その緊張を拒絶と受け取ったようで、湊斗さんはなんだか傷ついたような顔をしていた。
「えと、嫌じゃないです。全然。ただ……」
「ただ?」
「…………………………自信が、なくて」
「?」
湊斗さんが眉を寄せた。
「あははーぶっちゃけ何年振りでさーだからさーあんまりよくないかもごめんー」
肩をすくめながら、なるべく明るく伝えた。
「……できるだけ痛くないよう、ゆっくりやります」
そう言って首筋にちゅっ…と音を立ててキスされ、体中に電流が走った。
そして彼が誤解をしていることに気づいた。
「あ、違う違う。『よくないかも』っていうのは私のことじゃなくて湊斗さんのこと」
「俺?」
「うんうん。ま、はっきり言ってしまうとあれだ、挿入しても気持ちよくないかもごめんって言いたかったんです」
黙り込んでしまった湊斗さん。さすがにムードぶち壊しか。
押し倒されていた体勢からいそいそと起き上がると、そっと抱きしめられた。
「??????????」
「……あなたはどうしていつも、人のことばかり……」
「??????????」
「俺のことはいいんです……。俺だって、自信ないですよ?離婚してからしてませんし」
湊斗さんの告白に驚いた。
「え?ほんとに?健康な成人男子でそれって大丈夫なの?」
「はは、仕事が忙しすぎてそれどころではなかったので」
「お、おぉ……」
なんと、我らは同志であったか。友よ、さぁ抱擁を交わそう。
湊斗さんの背に手を回した。照れくさそうに笑った。
「……だから、よくなかったらすみません」
「あはは、私たちまるで処女と童貞だな」
「ははは!そうですね」
2人で笑い合いながらそっと唇を重ねた。
「緊張する」
「俺もです」
先ほど脱がされかけてた洋服が、ぱさっと落ちた。下着があらわになり、あー新しい下着着ててよかったと思った。
湊斗さんの服も脱がした。
久しぶりに見る『男の体』に、胸の高鳴りを感じた。
そしてその日、私と湊斗さんは不器用ながらも愛を交わした。
愛しい人と一つになる喜び。
重なる吐息。
触れ合う素肌。
優しい口付け。
「……もう、泣かなくていいですからね」
湊斗さんが私の髪をかきあげながら言った。
私は涙なんて流していないのに、なぜそんなことを言ったのかはよくわからない。
けれどもしかしたら湊斗さんは、私の胸に沈んでいた寂しさを、私が知るより先に気付いてくれていたのかもしれない、と思った。