なぜここにいるかも解らないアーリアが幸せになるまでの話。
調理室から失敬してきたパン一個と屋敷の偉い人たちが残したものがアーリアの食事になる。
今日の朝食は具のないスープしか飲めなくて、昼食は屋敷の偉い人たちが外出してしまったためアーリアが口にできるものが何もなかった。せめて使用人たちのまかないの残りでもないかと調理室を漁ったがアーリアが食べられるものは見つけることができなかった。
食材に手が伸びそうになって、前に空腹に負けて食材に手を出したことを思い出す。
三食ほどまともな食べ物にありつけられなかった時、空腹に負けて生のままの大根に齧りついているところを調理人に見つかった。
その調理人はアーリアが大根に齧りついていたことを偉い人に告げ口した。
黙っていても気づかれることなどないのに。点数稼ぎだと誰かが言っていた。
なんて卑しい子なんだと屋敷の偉い女の人に鞭で容赦なく叩かれた。
その後五日五晩熱を出し、体の痛みが引くまでさらに三週間も掛かってしまった。その時に食材には二度と手を出してはいけないと体に叩き込まれた。
元から細かった体が骨と皮だけになり、頬は落ち窪んでしまってアーリアの姿はまるで幽鬼のようになってしまった。
その姿に恐れたのかアーリアに近づく人はいなくなり、死を覚悟したのは五歳になったばかりの頃だった。
その時助けてくれたのはミケという新しく入った使用人だった。アーリアがふたたび立ち上がることができるようになるまで、量は少ないながらも毎日三食食事を部屋へと運んでくれた。
そのミケはアーリアに食事を運んだ咎で辞めさせられたと耳にしたのはミケがいなくなってから二週間も経ってからだった。
アーリアはこのままでは本当に死んでしまうと必死で考えた。
けれどたった五歳で、人として扱ってもらったことがないアーリアには何もいい案は思い浮かばなかった。
アーリアはなんとか食事にありつきたくて、たった一つ思い浮かんだのは使用人の仕事を手伝って、最低限の食事を恵んでもらうことだった。
使用人たちにその話を持ちかけると、あらゆる雑用を任されるようになった。
そしてその仕事ぶりに釣り合わない報酬が与えられるようになった。
アーリアは誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで仕事をしていた。
きつい仕事ばかりがアーリアに回ってくる。
アーリアにとって一番いい仕事は調理場の仕事だった。
お皿に残った残飯を食べ、お皿に残ったソースを舐めて少しでも腹を満たした。
惨めだと思う思考すらなかった。
ただ必死で生きているだけだった。
そんなアーリアにも一年に一度か二度、優しく接してくれる人が訪れる。
アーリアの境遇を嘆いてくれて、食事を恵んでくれるお爺さんが居た。
お爺さんが来るときには本邸に呼びつけられ、お風呂に入れられる。
ごわごわで着心地の悪い見た目だけは綺麗なドレスを着せられて本邸の偉い人たちと並んで座らせられる。
目の前に豪奢な食事が並べられ、執事長がアーリアの目の前の皿に食べてもいいものを載せてくれる。
その時ガツガツと食べると鞭打たれるので周りの人を見て同じように食べる。
お爺さんはアーリアを抱きしめてくれて、痩せていることを嘆いて、色々なものをくれる。お爺さんが帰るとすべて取り上げられるのだけど。
また来るからと頭を撫でられるとこのお爺さんに会うためにもう少し頑張ろうと思えた。
アーリアはなぜこの場所にいるのか、理由を知らなかった。
物心ついたときにはベッドも入れられないほど小さな物置部屋に一人で暮らしていた。
小さい頃は使用人の誰かか、もしかすると母親かもしれない人に育てられていたのかもしれない。
アーリアが覚えていることは傍に居た人たちはアーリアを飢えさせることも寒さで凍えさせるようなことはなかった。
アーリアを育ててくれた人たちは一人、二人と居なくなり、今では執事長しか残っていない。
執事長にアーリアはなぜここにいるのか訊いたことがあったのだけれど、その質問に執事長は何も答えてはくれなかった。
成長の遅いアーリアでも少しは成長する。着ている服のサイズが合わなくなって水を汲む動作をするとスカートの中が丸見えになるようになっていた。
執事長は身長に合う新品ではない服を与えてくれた。新しい服を嬉しいとは思わなかった。
胴回りはブカブカで作業をするのに邪魔になるけれど、針と糸の存在すらも知らなかったのでアーリアにできることは何もなかった。
一人のメイドが一本の紐で胴の部分をくくってくれて、作業の邪魔になっていた大きな服は邪魔にならなくなった。
ある日、使用人たちが話している内容がアーリアの耳に入った。
下町には孤児院というものがあり、成人までは面倒を見てもらえることをアーリアは知った。
その話を聞いたアーリアはすぐさま下町へと向かい孤児院の場所を尋ね、孤児院へと向かった。
アーリアは孤児院にいた大人に親は居ないこと、大きな屋敷に居たけれどそこでは食事ももらえないことを伝えると「今までよく頑張りましたね」とお爺さん以外の人に初めて頭を撫でてもらった。
アーリアは込み上げてくる何かを我慢できなくなって、大きな声を上げて泣いた。
アーリアに食事が提供され、綺麗に体を拭ってもらい、初めて柔らかい布団の上に体を横たえた。
孤児院の布団なんて柔らかくもない物だったが、アーリアにとっては床板の上以外で寝るのが初めてだったので、極上の寝心地だった。
アーリアは孤児院で量は少ないものの、毎日三食ちゃんと食べられる生活を送っていた。
同じような境遇の子供たちとシスターの手伝いをして、シスターに色々なことを教えてもらった。
アーリアにとってそれはとても幸せな毎日だった。
けれど、アーリアの幸せはたった二ヶ月しかもたなかった。
執事長がアーリアを探しに来て、シスターにアーリアを連れて帰ると言い出した。
アーリアはあの大きな屋敷には帰りたくなくて抵抗したけれど、執事長とシスターが話し合うと、シスターがアーリアに「帰らなければならないのよ」と頭を撫でてくれながら告げた。
アーリアは必死で抵抗したけれど、小さな体のアーリアでは抵抗らしい抵抗にならず、執事長に小脇に抱えられて屋敷へと帰ることになってしまった。
馬車に乗せられて聞かされたのは、アーリアはあの大きな屋敷の娘だということだった。
アーリアには執事長が言っている意味が解らなかった。娘というものがなにかも理解できなかった。
あの大きな屋敷にはアーリアより大きな男の子とアーリアより小さな女の子がいた。
その子たちは屋敷の主人と奥様にとても大切にされていた。
食事も贅沢なものが与えられ、服も、部屋もあの屋敷に見合うものを与えられていた。
アーリアが娘だと言うならなぜ?アーリアが住む部屋は使用人部屋で食事もまともに与えられないのか?
執事長は黙ったままアーリアの問いには答えてくれなかった。ただ今日からは食べるものに困るようなことは絶対にないからとアーリアを諭した。
大きな屋敷の門を馬車でくぐって、アーリアは泣きたくなった。またあの物置部屋で寒い日も暑い日も毛布一枚で暮らさなければならないのだと思うと、泣きたくないと思っていても涙がこぼれてくる。
孤児院でやっと幸せを感じられるようになったのに、執事長が食べることに困ることはないと言っても料理長は執事長の言うことなど聞きはしない。また食べるものも与えてもらえない生活に戻ってしまう。
初めて乗った馬車のことすら喜ぶこともできずに、アーリアは絶望だけを感じていた。
執事長に連れられてきたのは使用人部屋ではなく、大きな屋敷の一階の一番奥にある部屋だった。
使用人部屋が五つぐらい入る大きさの部屋で、大きな窓が付いていてベッドと机、椅子、小さなクローゼットが設置されていて、アーリアの身長に合う豪奢なドレスが吊るされていた。
小さな暖炉が付いていて薪も設置されていた。ドアからは見えなかったが 暖炉の裏側に小さなバスルームも設置されていた。
今日からはここに住むようにと執事長に言われ「食事は三食ちゃんと届けます」と執事長は言っていた。
アーリアはそれを信じられなかったけれど、その日から孤児院よりいい食事が出され、ベッドは孤児院の布団が板と同じだと感じるくらいフカフカのマットが敷かれていた。
一週間ほどすると執事長がアーリアに「家庭教師から色々なことを学んでください」と言われて勉強がなにかも解らないまま色々なことを教わるようになった。
アーリアは部屋から出ることをきつく禁じられていて、屋敷を出ていってからは一年に一〜二度現れたお爺さんが一度も顔を見せてくれなくて、誰かがアーリアの部屋にやって来るのをただ待つだけの生活になった。
孤児院から比べたらいい生活になったのかもしれないけれど、アーリアは寂しくて仕方なかった。
孤児院の子供たちや優しかったシスターを思い出しては一人泣いた。
勉強が進むとアーリアの今の状況のおかしさが解ってくる。
マナー教育の一環として朝食以外は家庭教師がつきっきりでカトラリーの使い方を教え込まれる。
家庭教師が沢山の本をアーリアに与え、広いけど寂しい部屋で何もすることがなかったアーリアは与えられた本を次々と読んでいくことしか時間を潰す方法がなかった。
家庭教師に尋ねてもアーリアの立場が解らない。
執事長、使用人に尋ねても誰も答えてくれなかった。
一階の部屋に閉じ込められて長い時間が経ち、アーリアは十三歳になり、学園に通うようにと執事長に言われた。
寮生活になると言われ、この部屋から出ていけるのならなんでもいいとアーリアは思った。
学園についても家庭教師に色々教えられ、決して男性と仲良くしてはいけないと再三言われた。
そして執事長からアーリアはエルンスト伯爵家の長女だと初めて聞かされた。
勉強が進む内にもしかしたら執事長が言っていた通り、貴族の娘かもしれないとは思っていたけれど、本当に貴族の娘だとは信じられなかった。
「だったらなぜ私は食べるものにも困るほどの生活をしていたのですか?私の両親は?!」と執事長に詰め寄ったけれど「これ以上の話はできません」と拒絶された。
そして一月二十日。雪の積もる寒い中、執事長に連れられて学園の寮にアーリアは入れられた。
執事長がアーリアの兄が一つ上の学園にいると言っていたが、顔も知らない相手なので関わることはないだろうと思った。
学園と寮生活は本当に楽しかった。人生で一番楽しい時間を過ごすことができた。
孤児院にいた頃に覚えていた人との関わり方を思い出しながら、人と関わって友人をたくさん作った。
あの大きな屋敷の家庭教師たちはアーリアの立場に関することは何も教えてくれなかったから学園に来てからアーリアは自分の立場を知った。
食べるものにも苦労したなど誰も信じてはくれないし、兄の顔を知らないと友人たちに言うと冗談だと思われた。
お屋敷の一階の部屋ですることがなかったので、勉強をして時間を潰していたためアーリアはとても優秀だった。
一度も学年首席から落ちることなく卒業することになった。
兄とは関わり合いを持つことは一度もなかった。兄の顔を知ることは出来たが、話しかけることも話しかけられることもなかった。
卒業式が終わった後、執事長が迎えに来た。またあの一階の部屋に閉じ込められるのかと思うとぞっとした。
自由を知ってしまったアーリアにはあの部屋は地獄でしかない。
馬車に乗せられると執事長はアーリアには既に婚約者がいること、あの大きなお屋敷に戻ることなく婚約者の家に行くことが告げられた。
アーリアは結局自分は一体何なのかを執事長に聞いた。
どんな事を聞いても受け入れられると執事長に告げ、答えを待った。
執事長は口を開いては閉じる動作を何度か繰り返して、かすれた声で執事長が知る真実を教えてくれた。
昔、アーリアを鞭打った人が生みの母親で間違いないと執事長は言った。
我が子を鞭で叩く人がいるのかと母親の異常さが怖いとその時は単純にそう思った。
父親は戸籍上で母親の夫である伯爵だけれど、本当の父親は違う人だと。
アーリアは何度か瞬きを繰り返して執事長の話に耳を傾けた。
アーリアの母、シャインは夫との子供である兄を生んで幸せいっぱいに暮らしていた。
義父母にも嫡男を生んだことを褒められ、嫡男を生むという重責から解放された気分を味わっていた。
ほんの少しの油断だった。
その日はいつもなら連れて歩く護衛騎士が休みだったので、護衛騎士を連れていなかった。
買い物に連れていた侍女は雇って間がなく、主より自分の身を守ることに重きをおいてしまった。
そんな不運が重なって、母は簡単に拉致されてしまい、拉致された先での抵抗も虚しく母が妊娠するまで汚され続けた。
そしてその時の子供がアーリアだった。
夫である伯爵は妻が拉致されたと知るや否や、必死で妻の行方を探したけれど見つけることが叶わず、もう殺されているのではないかと諦めかけていた。
母が拉致されて六ヶ月。妻はほんの少し膨らんだお腹を抱えて伯爵の下に戻された。
屋敷に帰ってからは子供が堕りるように冷たい水の中に一昼夜浸かってみたり、伯爵にお腹を殴ってもらったり色々試したがアーリアは生まれてしまった。
母親はアーリアの育児放棄をしたけれど生まれてすぐは本邸の子供部屋で育てていた。出生届も伯爵夫婦の子として届けられた。
けれど伯爵も夫人もアーリアの泣き声を聞きたくないと言って、乳母として雇った使用人と一緒に使用人の建物へと追いやった。
伯爵夫妻はとにかくアーリアに関わらないように暮らしていたが、成長していく姿を見ると使用人に守られてアーリアが育っていくのも許しがたいと思うようになっていってしまった。
アーリアがある程度成長すると、育てている乳母を辞めさせた。そして事情を知る使用人たちを次々に辞めさせ、アーリアから庇護者を取り上げた。
そしてアーリアが使用人の建物から居なくなって、伯爵夫妻は大いに喜んでいた。
そこに前伯爵がやってきてアーリアに「会いたい」と言い出した。
伯爵夫妻はアーリアは「出ていった」と伝えると前伯爵が怒りを顕にしてアーリアを探せと言い出した。
伯爵と前伯爵の間で探す探さないで揉めるだけ揉めると、前伯爵に「なぜアーリアに会いたいのか」尋ねると初めは誤魔化していたが、最後には拉致したのは前伯爵で、義理の娘となった母に懸想していて、妊娠させたのだと白状した。
そこからは果てしない罵り合いが始まって最後には刃傷沙汰にまで発展した。
前伯爵は伯爵に刺されて下半身が不自由になってしまった。
伯爵はアーリアが自分の妹だということに腹を立てたが、アーリアを孤児院に入れたままにできなくなってしまって、アーリアを孤児院から連れ帰って貴族の娘としての教育をすることになった。
アーリアを屋敷の一室に閉じ込め、伯爵家の子として有用な使い方を考えることにした。
アーリアを有用な手段として伯爵家に富をもたらす相手を探すことにした。
それが今まで知らされていなかった婚約だった。
アーリアが嫁ぐのは二十六歳年上の侯爵で、その若さで既に妻を三人亡くしている人だと執事長が申し訳無さそうに伝えた。
そして執事長はアーリアは決して幸せな結婚生活は送れないだろうと最後に言って紹介されたのは筆頭侯爵家のテレイアス侯爵だった。
紹介が済むと執事長はアーリアの前から居なくなった。
アーリアと侯爵の結婚は書類を提出するだけのものだった。
アーリアは侯爵本人に部屋に案内してもらうと、その場でベッドに押し倒された。
せめてお風呂に入らせてとお願いしても侯爵が止まることはなく、侯爵が満足するまで甚振られた。
翌日ベッドから起き上がれず寝込んでいても、夜になると侯爵はアーリアの下にやってきてアーリアを好き勝手に扱った。
アーリアが涙をこぼすと侯爵は興に乗るのか一層手荒く扱った。
アーリアは何のために生まれてきたのだろうかと涙をこぼさない日はなくなってしまった。
侯爵は高い金を出してアーリアを買ったのだからその代償はアーリアが払うのが当然だと言い、酷い扱いをした。
それでも人は慣れていくもので、侯爵に好きに扱われても起き上がれるようになり、部屋から出て邸内をうろつけるようになった。
伯爵家とは比べ物にならない豪奢な屋敷を驚きながら見ていると、次代の侯爵と話をするようになった。
次代の侯爵は結婚して四年が経つが妻との不仲で子供ができなくて困っていた。
侯爵がアーリアと次代の侯爵が仲がいいことに気がついて腹を立て、その日はアーリアが立ち上がれなくなるほど酷く扱われた。
アーリアは鎖で繋がれ部屋から出られなくなった。
アーリアは子供の頃を思い出して「部屋に閉じ込めるのは止めて」と侯爵にお願いしたけれど聞き入れてもらえず、三度泣き暮らすことになった。
侯爵が外出した隙を狙って次代の侯爵が部屋にやってきてアーリアを慰めてくれた。
次代の侯爵が「父さえいなくなれば助けてあげられる。少しの間我慢して。必ず助けるから」とアーリアを慰めた。
アーリアはそんな日は遠い未来のことだと思ったけれど、次代の侯爵の気持ちが嬉しかったので「ありがとう。その日が来ることを信じて待つわ」と伝えた。
アーリアが鎖に繋がれて三ヶ月と少し経った頃、次代の侯爵がアーリアの部屋にやってきて、足に繋がれた鎖を鍵を使って外してくれた。
次代の侯爵は二度とアーリアを繋ぐ者はいないからと言って部屋から連れ出してくれた。
部屋から出て最初にすることは侯爵の葬儀だった。
アーリアは前侯爵の妻として侯爵家の屋敷で暮らすことを新たな侯爵に許された。
新たな侯爵はアーリアを妻のように扱った。
屋敷の外では義母として扱ったが、新たな侯爵よりも年下のアーリアは義母には見えず、他の貴族たちに新たな侯爵の愛妾だと噂されていた
そしてアーリアは新たな侯爵の子供を身籠もった。
その事を知ると新たな侯爵の妻は離婚届を置いてあっさりと侯爵家から出ていった。
アーリアのお腹が大きくなり後少しで生まれるという頃、新たな侯爵とアーリアは入籍した。
アーリアは男の子を生んだ。
その頃になると新たな侯爵が、亡くなった侯爵を殺したのではないかと貴族の間でそんな噂が流れるようになった。
けれど証拠もなく、ただ面白おかしく噂されるだけだった。
アーリアは新たな侯爵が前侯爵を殺したことを確信していたけれど、助け出してくれた新たな侯爵を心から愛していた。
新たな侯爵はどこに行くにもアーリアを伴って、アーリアの美しさを見せびらかした。
子供の頃にまともに食事にありつけなかったからか、アーリアは小柄で細く儚げで男性が思わず守ってやりたくなるような雰囲気のある女になっていた。
儚げな雰囲気に近寄って話してみると機智に富んでいて、ユーモアもあった。
お茶会や夜会に出席するとアーリアの周りは沢山の人に囲まれた。
新たな侯爵が嫉妬するのは早かった。
外出を控えさせるために再び妊娠させ、アーリアを独り占めにして満足していた。
それなのにアーリアが出産するとまた茶会や夜会の誘いの手紙が山となって積まれてしまう。
アーリアは新たな侯爵が嫉妬していることに気がついていたので「愛している」と毎日伝え、お茶会や夜会には必ず新たな侯爵と一緒に行けるものしか参加しなかったし、傍を離れたりもしなかった。
それでも新たな侯爵の嫉妬は収まることがなかった。
その雰囲気が前侯爵を思い出させ、アーリアは少しずつ新たな侯爵が恐ろしくなっていった。
アーリアが五人の子供を生んだ後、さすがにこれ以上の子供は必要ないと判断されて避妊薬を飲むようになった。
新たな侯爵の束縛は日に日に強くなっていったけれど、子供たちとの触れ合いがアーリアを慰めた。
お茶会に出席する数を減らし、夜会は新たな侯爵が必要と判断したもの以外には出席しなかった。
それが功を奏したのか、新たな侯爵の嫉妬は鳴りを潜め、幸せな生活を送れるようになった。
五人の子どもと少し嫉妬深いけれど優しい夫に囲まれ本当に幸せだと思っていた。
新たな侯爵の嫉妬深さが鳴りを潜めたのは新たな侯爵が若くて美しい女に心惹かれ始めていたからだった。
アーリアと同じベッドで眠るが、手を出さなくなり、アーリアはそれをただ落ち着いてきたからだと勘違いしていた。
アーリアがお茶会に行く事を嫌がらなくなって初めてアーリアは新たな侯爵がおかしいと気がついた。
邪魔になった私は殺されるかもしれないと考えたのは前侯爵を簡単に殺した前科があったからだった。
学生の頃から仲の良かった友人に「嫉妬深かった夫が私を一人で外出することを嫌がらなくなったの。もしかしたら私、殺されてしまうかもしれない」とつい零してしまった。
その話は貴族では知らない人はいないほどにあっという間に広がっていった。
友人の一人が新たな侯爵の浮気相手が誰か調べてくれ、その相手が参加するお茶会に連れて行ってくれた。
その女はアーリアとは真逆な人だった。
大きな胸にしまった腰に張り出した尻。若さゆえなのかはっきりと物を言い、生き生きとした人だった。
その女はアーリアの前に堂々とやってきた。
「初めまして侯爵夫人。私はドーテリア子爵家の三女ケレスです。ご主人には色々お世話になっています」
アーリアを何度も頭から足先まで視線を往復させてクスリと笑った。
アーリアはこのケレスと名乗った女にある意味では感謝していたので「ええ。そうらしいわね。あなたには感謝しているの」と答えた。
「これからも夫のこと、よろしくお願いしますね」とアーリアが言うとケレスは真っ赤な顔をして何度か床を踏みしめて、くるりとアーリアに背を向けてアーリアの前からいなくなった。
その三日後、新たな侯爵に「ケレスと会ったって?」と聞かれ「ええ」と笑顔で答えると「それだけ?」とまた聞かれ「ええ。他になにかあったかしら?」ととびきりの笑顔で答えた。
すると久しぶりにベッドに誘われ、いつになく優しく丁寧に愛された。
しばらく愛されることがなかったので避妊薬を飲んでいなくて、事が終わった後に「避妊薬飲んでいなかったのに」と伝えると「出来たら出来たで可愛がろう」と言われた。
一度愛されるとケレスと比べているのか新たな侯爵はアーリアを何度も愛した。
アーリアの不安は的中して六人目の子供を妊娠した。
新たな侯爵は愛おしそうにアーリアの大きくなったお腹を撫で「今度は男の子かな?女の子かな?」と誕生を心待ちにした。
大きなお腹を抱えてでも参加しなければならない王宮での夜会に二人連れ立って行くと、王宮の舞踏会場でばったりとケレスと出会った。
ケレスはアーリアのお腹を見て「ありえないっ!!」と叫んだ。
ケレスは新たな侯爵に「なんでその女が妊娠しているの!!」と詰め寄るが、新たな侯爵は「妻が妊娠して何が可怪しい?」と薄く笑った。
ケレスは新たな侯爵の対応を間違ったのだと思った。
「あなた。まだ若いケレス様にその言いようは可哀想よ」とクスリと笑って返した。
新たな侯爵はケレスに興味を失ってしまって、ケレスに背を向けた。
夜会の後、ケレスと会っているのかどうかは知らないけれど、アーリアは新たな侯爵の愛は取り戻した。
けれど昔のように嫉妬深いことはなくおおらかで付き合いやすい夫となった。
一度夫と一緒にいる時にナイフを持ったケレスに襲われたけれど、夫があっさりといなして憲兵に突き出してドーテリア子爵家に慰謝料を要求してそれで終わった。
請求された金額があまりにも大きく、子爵家には払えなくてドーテリア子爵家を夫に渡すことで手打ちとなった。
六人目が生まれると定期的にアーリアを愛した。
つまみ食いの女は時々いるようだけれど、入れ込むことはなかった。
アーリアは鷹揚にそれらを許し、嫉妬深い女にはならなかった。
アーリアが生んだ子供たち全員が結婚して、嫡男が侯爵家を継いだので、夫とアーリアは領地へと下がることになった。
たくさんの孫たちに囲まれ、アーリアは最後まで夫に愛されて眠るように亡くなって、アーリアの葬儀が終わると夫も眠るように亡くなった。
いろいろな作品で誤字脱字報告ありがとうございます。
ものすごく手間がかかるのに本当に感謝しています。