狩野トーマスのピンチ
駅前通りで起こった爆発は車を数台大破させ交差点中心部まで及んだ。歩行者が通行中でなかったのは不幸中の幸いであった。
大勢の野次馬が集まり現場は騒然としていた。
狩野トーマスは太い腕を窮屈そうに組みながら暗く大きな穴を覗き込んでいた。
飛び降りるべきか止めるべきか、底が見えないので高さの見当がつかない。しかしこの穴の中にジェットが居るかもしれない。
サイレンの音が近づいてくる。救急車や警察、マスコミ連中が直ぐにここににやってくるのだろう。ぐずぐずしてると立ち入り禁止になる。
意を決して穴の中に飛び降りることにした。
落下中の秒数を数えていると思っていたよりずっと深い穴であることに気づいた。狩野トーマスの強靭な足腰でも無事では済まない加速度になる。経験のない落下距離に背筋が寒くなっていた。二秒後に足の裏から腰にかけての激しい痛みが走り地底に到着したようだった。衝撃音が穴の中に反響してそこが広い空間だということがわかった。
激痛で足を動かす事が出来ない。そのうち下半身が痺れて何も感じなくなった。じっと耐えて元に戻るのを待っていると少しずつだが感覚が戻り屈伸出来るようになった。足を触るとどうやら機能に問題ないようでホッとしていた。
姿勢を正し何回か深呼吸をすると辺りを見回してみる。暗くて何も見えない。光は今落ちて来た穴から僅かに差し込んでいるだけだった。
どうやって地上に戻ればいいか分からないがこの空洞を探索していたら地上に出る手段を見つけられるかもしれない。
すり足をしながら少し前に歩いてみると足の裏に硬い土の感触がした。狩野トーマスは明かりを灯そうと思ったが今はその時ではないと判断する。自分以外の何者かがこちらを窺っている気配がする。明かりで自分の位置がばれてしまうことになる。
目をつむり、より感覚を研ぎ澄ませると静寂の中に微かな音が聞こえてくる。それは足音のようだった。
二足歩行ではあるがが歩幅、足運びが今まで会ったどの人間とも違う。もしかすると人間ではないかもしれない。
ジェットをさらった奴等がここにいるのだろうか?
今朝の事を思い出す。豪輪寺の本堂で座禅をしていた狩野トーマスの元に、寺の住職が郵便受けに入っていた一枚の紙を持ってきた。
『ジェットを預かっている。返して欲しくば紅蓮駅前通りのスクランブル交差点中心で8:00に待て。来なければジェットを殺す』
あわててジェットを探すが本堂の中にも境内にもいない。いつもなら呼ぶと直ぐ来るが姿を現さなかった。
あの時の怒りが甦ってくる。体の筋肉が盛り上がり硬くなると脇から強烈な臭いを発し始めた。
それに合わせて近付いてくるなにかの足音が一瞬途切れる。次に聞こえた時、音のペースは速くなった。
狩野トーマスは目を見開き、音の方に半身になる。気を練り拳を握り締め何かが来るのを待ち構える。真っすぐこっちに向かって来ている。暗闇でも自分の姿がはっきりと見えているのだろうか。それとも今出た臭いをたぐってきているのか。
5メートル付近で、音が途切れる。それは止まったのか、もしくはジャンプした?
死の恐怖を感じていた。この一瞬の判断が生死を分ける。いくつもの修羅場をくぐり抜けて来た長い格闘家人生の中で培った己の経験がそう告げていた。
体全体の感覚が研ぎ澄まされる。一瞬だが右の方で微かな音がした。敵はフェイントをつくつもりなのかもしれない。
気配のする方に向き直ると中腰になり正拳突きをする。硬い感触があった。それは無機質な金属のようでなく硬い皮のような殻のような感触であった。
「これは一体なんだ?」
今まで出会ったことのないタイプの敵との遭遇に暗闇の不利、もう様子見している余裕はない。狩野トーマスはここで必殺技を出すことにした。
「狩野流炎舞脚」
業炎を纏いし短足は横回転で円を描き加速すると相手に斬り込んだ。その炎の明かりで一瞬見た。人型の昆虫のような生き物が白く四角い薄板を持って立っている様子を。
腹の横と思われる部位に脛がめり込むと異形の生き物は衝撃で飛んで燃えながら倒れた。焼けて動かない生き物を見ても警戒を解く気にはならなかった。重量は人と変わらぬようだ。人ならこれで死んでいるはずだがこれは人ではない。炭になるまで安心はできない。見届けているとその生き物は燃えたまま起き上がり、狩野トーマスを一瞥して逃げて行った。
羆をも倒す狩野トーマスの炎蹴りが全く効いていない。驚きのあまり炎を纏って逃げる生物を呆然と立ち尽くして後姿を見ていた。
燃えている明かりを頼りに追いかけ始めると50メートル程先で炎と共に気配が消えてしまった。消失した場所は行き止まりになっていてこれ以上進むことは出来ない。
狩野トーマスは掌を上げるとそこに火の玉が浮かんで来た。頭の上まで玉が上がると空中で停止した。それは周りを照らすランプのように輝く。
行き止まりの岩の傍まで行き触ってみると甲殻類の殻のような感触があった。先程出会った異形の生物の表皮と同じように感じた。
この岩はイミテーション、人工物だ。探るように丁寧に壁を調べると窪みを見つけた。手を入れると乱暴に中で指を動かした。何かを押す感触がした。
音は何もしなかったが、周りを確認すると真横に人ひとり通れそうな長方形の枠が現れていた。
枠を覗き込むと部屋がある。入るとエレベーターらしき乗り場がある。乗り場だけで手前の二つの乗り物はどこか違う場所に行っているようだが、一番右には鳥かごのような円柱の乗り物が一つ止まっていた。意を決し中に入ると自動で下に移動し始めた。
未知の世界に足を踏み入れた緊張と興奮で狩野トーマスは落ち着きなく狭い乗り物の中を動き回っていた。籠枠に触るとこれもまた殻のような感触がしていた。枠の間から周りを上に滑って行く地層が変化していく様子が見てとれた。地下何階で止まるのか不安な気持ちで待っていたがエレベーターは何時まで経っても止まる気配が無かった。
だんだんとスピードが上がっていく。一体今は地下何メートルなのか、乗った事を後悔し始めていた。
籠の中が暑くなってきている。地下にはマントルという高い温度の層があるというが、まさかこの装置はそんなところまでいくのだろうか。
先程の人型の昆虫生物は暫く燃えていたが全くダメージが無いようだった。地下の高温環境に適応しているのかもしれない。
エレベータを早く止めなければ人間の自分は暑さに耐える事が出来ない。焦って操作盤を探すがそんな物はどこにもついていない。更に気温が高くなってきている。道着は限界まで汗を吸い込み重量が増していた。頭痛や息苦しさを感じているのは気圧が高くなってきているからかもしれない。このエレベーターはまだ止まらない。まんまと敵に、地底人におびき寄せられたのか。
「だれか、助けてくれ。熱い、蒸し焼きになっちまう」