とある闘技場の幕下ろし
英雄が闘技場で闘っている。
大柄な男だ。日焼けした肌に盛り上がった筋肉。身に纏っている物は重厚で全身が存在感を放っている。
試合の終わった後で、優勝者である英雄が酒を飲みながら希望者と決闘する、という名目の謂わばファンサービスの場所。
コロシアムの席を埋める大勢の観客は大人気なくバッタバッタと相手を薙ぎ倒す英雄にヤジを飛ばす。
英雄は豪快に笑いながら観客席に中指を突き立ててご満悦。
平和なコロシアムの光景だった。
その日の最後の挑戦者。
子供が3人入ってくる。
大柄な英雄の腰ほどもない背丈の子供達だ。
観客は笑う。英雄も笑う。
最後の試合で、こういう微笑ましい展開があってもいいだろう。
皆そう考えた。
英雄は問いかける。
「勇気ある小僧共、三人でくるのか?」
真ん中に立っていた少年が叫ぶ。
「いいや、僕一人だ!」
左の少女がその頭を叩く。
「みんなでやるって言ったじゃない!」
右の少年は何も言わない。
真ん中の少年がゴネる。
英雄はガハハと笑って、こう言った。
「ハンデをやろう。なにか言ってみろ」
少女は目を輝かせる。
「ほんと?!」
英雄はその人気ゆえ、時たまにこういった場で子供の相手をする事もある。その度にハンデをやると、そう言っていた。
右の少年はぼーっと何も無い虚空を見ている。
真ん中の少年と左の少女はこそこそと話し合って、やがてこう言った。
「じゃあ、僕のこーげきが終わるまで動かないで!」
英雄は酒瓶を煽って笑う。
「それだけでいいのか。いいぞ小僧。俺の身体に傷を付けられたら、お前は英雄だ」
少女が叫ぶ。
「ゼッタイだよ?!」
「ああ、絶対だ」
真ん中の少年が懐から手袋を取り出す。
「氷の国の英雄、決闘だ!」
その手袋が英雄の足元に向かって投げられる。
気分がいい。昔の自分もこのように腕白だったのだろう。酔った頭で郷愁を感じつつ、英雄は投げられたその手袋を拾った。
(………なんだ?)
虫と、目が合った。
見たこともない不吉な模様の虫は、拾った手袋の中から此方を覗いている。
キシリ、と不気味な声で鳴いて、その小さな針で英雄の人差し指を刺した。
途端、身体を覆っていた「外殻」が消える。体内の魔力が滅茶苦茶に乱れているのを知覚する。
反射的にその場から引こうと地面を蹴ろうとするが、
「『攻撃するまで動かないで』」
少女が此方を見ていた。
途端に身体に鎖が纏わりつく。魔力でできた鎖だ。認識できなかっただけで、元からまとわりついていたのか。
眼前に真ん中の少年が迫る。その目を限界まで見開いている。
少年の手に持つ刃物は変哲もない普通の刃物に見える。
英雄は簡素とはいえ鎧を纏っていたし、彼の肉体は生半可な刃物を弾くはずだった。
それでも英雄は全力で躱そうとした。
一瞬で鎖を引きちぎる。甲高い音が鳴り響いて鎖が弾ける。
「『ゼッタイだよ』」
再度少女の声が鎖で英雄を縛る。動きが一瞬止まった。
トスン、と。
胸にナイフが刺さる。まるで豆腐に刺しているかのように抵抗もなく小さな刃は鎧を突き抜け胸に埋まった。
英雄は口に炎を溜めていた。とうに眼下の少年を侮ってなどいない。
全力で殺すつもりで足元に向け、口から炎を放った。
「『チェンジ』」
今まで一言も喋らなかった最後の少年が一言、呟く。
炎が消えた。代わりにその場に拳大の結晶が落ちる。
初めて喋った少年の右手には英雄が放った炎が落ちた。
その間に英雄の胸には二つの刺し傷が付いていた。
「『チェンジ』」
英雄を縛る鎖は砕けている。
しかし英雄の足の下の砕けた地面が消えて、代わりに小さな結晶にすり替わった。
宙に浮いている一瞬。
英雄が全力で拳を振り下ろすのと、眼下の少年が更にナイフを突き立てるのは同時だった。
「『チェンジ』」
英雄の拳は少年の頭を砕いた。
ナイフは英雄の心臓を三度捉えた。
熱気が辺りに立ち込めている。
形を取ることに失敗した英雄の魔力が辺りに撒き散らされているのだ。
陽炎でゆらめく空気の中、ガク、と英雄が膝をつく。
カルナ、エレナ、すまん
声にならない声を残し、英雄は前のめりに倒れた。
英雄が、死んだ。
闘技場はいつの間にか静まりかえっている。
何百もの眼が英雄の死を目撃した。
闘技場の上には喉から血を流す少女と、ナイフから血を滴らせる少年だけが立っていた。




